零るる涙は雪となり

それからの雪音は先輩、現ビッグ3とだけあって酷く頼もしかった。冷静に、的確に作戦を爆豪らに伝えると同時に、ホークスにマンダレイのテレパスを通して、女の子に伝言を頼んだのだ。


「雪音さん……本当にやるのか」
「やる。これが一番安定してる」
「けど、この作戦だと雪音さんが……俺が全部やるんじゃダメなのか」

作戦に向けて準備をしている途中、轟は雪音が心配でたまらなかった。
絶対安静の身体に鞭を打って派手な戦闘を行った上に、更に個性を行使しようとしている。未だに眠る複数の爆弾と、女の子の救助を加味すると、とてもではないが動ける身体ではないと判断する他なかった。
それを雪音はなんてことない顔で、むしろ轟を宥めるかのように頭をポンポンと叩く。幼き日にされたそれを思い出し、轟は面食らった。


「このショッピングモールは大きくて、広い。それに複雑な構造をしてる」
「……俺が、複雑な形に造形できないからダメなのか」

それに対しては何と言ったらいいか分からなかった。造形出来ないからダメなのかと言われると、造形できなくても轟の氷結ならいけるだろうとは思う。けれど、雪音がやった方がきっと速い。雪音は氷の造形が得意だから。
でも、より今回の理由として正しいものが別にあった。


「派手な脱出劇になる。きっと、工夫しないと・・・・・・怖い思いだけをさせてしまうから。今まで一人で頑張ってくれた女の子に、そんな思い出だけを与えたくない」
「それは俺もそうだ。……そうだな。雪音さんがやるのが……正しいな」

轟もしょうがないと困ったように笑って、納得する。
ヒーローとは、人々に安心を与えるものだから。それを轟と雪音は冷と一緒に、テレビ越しに学んだのだ。自分たちはヒーローだ。これは立派な……ヒーロー活動であるべきなのだ。


「道は私が作る。だから焦凍くんは――」
「左で空気層を作ればいいんだな」
「うん。怯えてる女の子を救けに行こう」
「……ああ」

準備は万端、緑谷も爆豪も気合十分だった。
緑谷が勢いをつけて天井を破壊したと同時に、雪音の氷結が勢いよく繰り出される。美しく造形されていく動物の氷像と氷の馬車。爆豪の爆破がターボとなり、轟の左で空気層を作って摩擦を軽減すると同時に、爆豪の発汗を促した。緑谷が黒鞭で敵を括り付け、それとは別に命綱のように皆を繋ぐ。一気に駆け上がって、そして……見つけた女の子は指示通りにそこにいてくれた。


「遅くなってごめん。救け迎えにきたよ」

女の子の目に大粒の涙がボロボロと溢れ出す。雪音が伸ばした手を、女の子は掴んでくれた。
本当に、頭の中で喋っていた女の人が言った通りだった。――たくさんの動物たちが、氷の馬車が迎えに来てくれた。


「いい? 隅っこに寄っててね。最初は大きな音がしてびっくりしちゃうだろうけど、それは動物さんたちが、あなたに会いたくてうずうずしてるだけだから。すぐに氷の馬車に乗って迎えに来てくれる。だから少しだけ待ってて」

わんわん泣く女の子を抱いて、雪音は絶えず氷結を造形し続けた。その涙はもう怖いだけのものではないと分かっていたけれど。その方がずっと、子どもは喜ぶから。焦凍がそうだったように、エリがそうだったように。氷を複雑な形に造形するのは、雪音の得意分野だ。
それはそれとして、爆豪は大層不服だった。何で俺らまで動物の耳つけらんねぇとなんねぇんだ、といったやつである。氷でそれぞれ造形された動物耳を全力で拒否するも、雪音にすぽっとはめられてしまった。本当人の話聞かねェ人だな、と思うも、これを見た子どもの反応を見ると「ケッ」と吐き捨てることしかできなかった。









時は少し遡り、雪音たちが脱出しようと試みている頃、各所で動きがあった。
その一つ、リューキュウ事務所では、リューキュウが波動に指示を出していた。


「ねじれ! ここはもういいから、あの子のところに行ってあげて!」
「えっ、でもまだ!」
「いいから! 友だちなんでしょう。じゃあ行きなさい。後は私たちに任せて! さぁ、早く!」
「リューキュウ……」

リューキュウ事務所の受け持ちは近くの爆弾捜索だったが、それらしきものは発見されず、安全を確認した上でショッピングモール上階での加勢に当たっていた。
爆弾が爆発して、最下層へはもう行けない。脱出ルートを考えるなら、ショッピングモールの天井をぶち抜いていくしかなかった。
リューキュウは波動が雪音と接触し、止められなかったことを気にしていることを知っていた。それに、リューキュウは知っている。波動が強くなりたかった最もたる理由を。


「ねぇねぇ聞いてよリューキュウ! 氷叢さんってすごい人がいるんだけど、1番とってもつまんなそうな顔してるの! 何でか聞いても教えてくれなくてね。有弓は私たちのこと見下してるじゃないかっていうんだけど……そうじゃない気がするの。ねぇ、なんでだと思う? どうしたら氷叢さん、楽しくなるのかな? もっと強くなって、氷叢さんが見てる景色が見えたら……わかるのかな」

波動も、入学当初は中学でのことが過って、本当の自分で接することができなかった。でも、天喰がきっかけをくれて、皆がたくさん皆のことを教えてくれたから、強くなれた。
初めて雪音が見ていた景色を見れて、雪音が答えてくれなくても、雪音のことが少しは知れるかもしれないと思ったけれど、そんなことはなかった。雪音が見ている景色は、自分たちが見ているものと全然違った。
だから、波動は知りたいのだ。雪音のことをちゃんと知りたい。


「違うよ、リューキュウ。友だちじゃない!」
「え?」
「友だちじゃなくて、大親友だから!! 絶対、そうなるからっ! そうなってくるんだから!!」
「ねじれ……」
「ありがとリューキュウ! 私いってくる!」
「ええ。いってらっしゃい」

雪音を一目見た時から、波動は知りたいことだらけだった。ずっとたくさん知りたかった。波動の「知りたい」は「仲良くしたい」で。ずっとずっと、雪音と仲良くなりたかった。

――ねぇ、氷叢さん。何が好きなの? 何でつまらなそうなの? 何でそんなに強いの? 何でヒーローになろうと思ったの? 何で氷叢さんの作る氷はそんなに綺麗なの? 何でレンジ壊しちゃうの? 何で自信ないの? ねぇ、ヒーローは誰が好きなの?

知りたいことはたくさんある。雪音に出会ったその日から、好奇心が渦巻いている。
大親友になると波動はもう決めてしまった。もうずっと第一印象から決めていた。雪音にとってこの世界がつまらないものなら、自分が変えてしまえばいいんだと思うほどに。


――何がつまらないの? 私に教えて。絶対絶対、そのつまんないの……変えてみせるから!


想像する、雪音と一緒にショッピングをしたり、カフェでお茶をしたりするのを。肩を寄せ合って笑い合うのを。今からだって絶対絶対、遅くなんてないはずだから。









天井を緑谷が次々に破壊していく。飛んでくる瓦礫を雪音がそのまま氷結で押し切り、道を作る。轟が摩擦を軽減して衝撃を抑え、爆豪のターボで突き進んでいた。
そして最後の屋根をぶち抜いたところで、ジェットコースターのように滑り落ちるための道を造形すると、それが現れた。


「っ、脳無!」
「片付けたんじゃねェんか! さっきから次々増えやがってよ!!」

ギャンっと爆豪が吠える。急に加わった要救助者といい、今回の脳無といい、しっかりしろと言いたいところだったが、緑谷が破壊する前からショッピングモールの上階は酷い有り様だった。
ハイエンドというだけあって激戦だったのだろう。それは想像に容易かったが、今ここで出てこられるのは厄介でしかなかった。

すでに道を形成した後である。軌道上に位置する脳無を退かすには個性を行使する他なかった。飛び出そうとする緑谷を制して――急な下り坂になるので飛び出した瞬間、緑谷が安全に戻れなくなる――雪音は個性を更に行使しようと構える。身体に激痛が走ろうとしたその時、雪音のよく知る紅炎が脳無たちを貫いた。


「赫灼熱拳ヘルスパイダー!!」
「っ親父!!」
「「エンデヴァー!!」」
「おじ様……」

傷だらけのエンデヴァーが息を切らしながらも立って、脳無を払ってくれた。ゆらりと傾く身体を、バーニンたちが支えていた。
轟たちはエンデヴァーが戦線離脱を余儀なくされた場面を目撃しているだけに、その雄姿にNO.1の所以を感じずにはられなかった。そしてそこには、息子と義姪――もはや娘のようなものだ――を救けんと動く親としての轟炎司がいたのも確かに感じた。

その後すぐにショッピングモールが爆発する。爆風に煽られ起動がずれた馬車を、絶えず新しい道を造形して着地を試みる。激しく揺れる馬車に女の子が悲鳴を上げるのを「大丈夫」と抱きしめた。
減速しようと氷結を繰り出し続けるけれど、なかなか減速しなかった。


「おい! 前っ!」
「っ」
「僕出ます!!」
「ダメッ」
「でもっ!」

木々が目の前に迫っていた。緑谷が飛び出そうとするのを必死で掴んだ。氷結で薙ぎ倒すか、道を形成して上を滑るか、どちらにしろ着地は――その時、明るい声が響いた。止まらなかった馬車がゆっくりと浮遊して、止まった。その捻じれたエネルギーに見覚えしかなかった。


「みんな大丈夫ー? ほんとに馬車がジェットコースターになってるんだもん! びっくりしちゃった! ジェットコースターなのに馬車で、馬車なのにジェットコースターなんだもん。不思議!」
「波動先輩!」
「波動……」

波動はいつもの明るい様子で雪音に笑いかけると、馬車を丁寧に降ろしてくれた。
氷の馬車から出ると、爆豪はやっと解放されたとばかりに肩を鳴らし、緑谷は拘束した敵を逃がさないように少し離れた位置でプロヒーローに引き渡しをしていた。轟は雪音を心配するように視線を向け、雪音は駆け寄ってきた女の子の母親に、女の子を渡していた。


「ありがとうございますっ、ありがとうございますっ」
「……いえ。あの……その子、立派でした。よく頑張っていたので……たくさん、褒めてあげてください」
「はい……!」

ぎゅっと母親が女の子を抱きしめる。嗚咽を零しながら「がんばったねぇ……! すごいねぇ……!」と褒めていた。「はぐれたりしてごめんね」という母親の謝罪に、女の子は意外にもけろっとしていた。
「大丈夫だったよ」と言って母親の腕から抜け出すと、キラキラした瞳で雪音の方を向いた。


「ヒーローのお姉さん、ありがとう。ねぇ、名前なんて言うの?」
「……ネージュ」
「ネージュ……ありがとうネージュ! 私、大きくなったらネージュみたいなヒーローになる!」

眩しい笑顔に雪音は一瞬息を呑んだ。その目が、その顔が、一緒にテレビでオールマイトを見た焦凍に重なった。憧れを湛えた目。雪音はこの瞬間、この女の子の憧れのヒーローになったのだ。
何者にもなれなかったはずの雪音が、誰かの憧れになっている。
それと同時に、自分が気づかないうちに踏みにじってしまった憧れも脳裏を過る。爆豪の叫びがこの胸に響いている。うるっと歪んだ視界に瞳から雪が零れた。


「……あなたが誇れるヒーローであるために。私も頑張るわ」

背を屈めて、女の子の頭を撫でて、誓いの証とでもいうようにリンドウの花を象った氷花を手渡す。
憧れは、大事だ。それはいつだって心の奥底にあるものだから。
ナチュラルボーンヒーローオールマイトにはなれないけれど、雪音は雪音の思うヒーローになればいい。この憧れを今度こそ、ずっとずっと大事にしようと思った。

親子が去ると、雪音は気が抜けたのか、ふらっと倒れ込もうとした。それを轟が受け止めようとして、それより早く伸びる手があった。


「どけ、救護班とこ連れてく」
「お……わかった」

雪音を抱き上げて颯爽と駆けていく爆豪に、轟は何と言ったらいいのか分からなかった。雪音の身体が限界なのは分かっていたから、轟はいつでも支えられるようにと誰より近くにいたのに、それより遠くにいたはずの爆豪が、自分より先に雪音に手が届いたのが衝撃だったのだ。


「爆豪……よく、見てんだな」
「なになに? なんのこと?」
「あ、いや……」
「ねぇねぇ、なんか氷叢さん、雰囲気変わった気がしたの気のせい?」
「え」
「なんか……すごく素敵になった気がする! 轟くんはそう思わない?」
「……それは……」

轟は少し考えて、小さく頷くと「そう思います」と答えた。それに波動は嬉しそうに笑って、何があったのか雪音に聞きたいと思うのだった。自分が雪音の世界を変えたいと思っていたけれど、雪音が楽しそうなら自分でなくてもいいのだ。きっかけというのはそういうものだから。
雪音を動かす何かが、ここにはあった。それが知れただけでも波動は十分嬉しかった。













爆豪は雪音を救護班まで連れてくると、救急車に乗るまで雪音の傍についていた。
雪音は本当に大分無理をしていたらしく、身体の至るところを骨折していたし、肺に肋骨が刺さっていたというのだからさすがに驚いた。その状況で動き続けて、戦って、救けて、絶えず個性を行使した。
自分たちの前では一切そんな素振りも見せずに、氷叢雪音で、ネージュであり続けたのだ。
爆豪は少なからず汚れた雪音の顔を、優しく拭った。


「おうおう、さすがのあんたも今回ばかりは汚れちまったなァ」

気を失っている雪音から反応が返ってくることはなかったが、爆豪は概ね満足していた。
いつかのムカツク試験で、思ったことがある。一度でも泥臭く足掻いてみろと。今の雪音の姿は正しくそれだった。
飛び出そうとする緑谷を、轟を、完全に制して先輩としての意地を見せた。脱出劇のあの場面で、自分たちは雪音の後輩だったのだと爆豪は理解していた。


「あんた……意外と見栄張るんだよな。さては後輩出来て、浮かれてたろ」

軽く雪音の頬をむに、と引っ張る。
朝が死ぬほど苦手なのは今も変わらず、それでも爆豪たちが朝からいる日は雪音の寝ぼけ率は低下したままだ。最近はバーニンらに「偏食は後輩にも悪影響」だとでも唆されたのか、そうめんの大盛だけでなく、他の物も頼んでセットメニューとしてそうめんをつけるようになった。エンデヴァーの計らいがようやく正しい形で実を結んだのもあり、しばらくエンデヴァーがご機嫌であったほどだ。

爆豪は思う。自分の叫びの何が雪音の中のスイッチを押したのかは分からないが、これからの雪音は爆豪が憧れた氷叢雪音で在り続けるだろうという確信があった。
あの救けた子どもが「ネージュ」に憧れたのだからなおさらだ。雪音がそう在ることを誓ったのなら、疑いようもなくこれからずっと、爆豪の理想として氷原に咲いていてくれるだろう。だからもう、爆豪は答えを出すことにした。


――泥に塗れるあんたも、綺麗だって思っちまったんなら。もう、それが答えだわ。


掌にある花を、大事に包んだ。今までそうしたかった分も含めて、これからは大事にしようと思う。花が、まるで雪のようにゆっくり溶けていく。溶けて、自分の一部になっていくのを感じた。
ようやく自分の抑えた気持ちを認められる。あんたが好きだって、まぁ、簡単には言ってやらねェけど。俺ばっか好きなんは、ムカツクだろ。


 


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