スタートライン

雪音は目が覚めると、エンデヴァーやバーニン、キドウにオニマー、そして爆豪らインターン生に囲まれ、それはそれはもう叱られた。
絶対安静の状態で駆けだしたのも、戦闘を行ったのも、すべてが褒められた行為ではなかった。怒られたのは心配からだった。
けれど一方で、ヒーローネージュとしての行動は素晴らしかったとも称された。それに雪音は静かに首を振った。


「ヒーローだから行ったんじゃない。焦凍くんの姿で好き勝手されるのが……嫌だっただけ」
「雪音さん……」
「でも、これからは……私に憧れてくれた気持ちをもう裏切りたくないから……ヒーローとして、ネージュとして……頑張る」
「――そうか」

エンデヴァーは雪音の変化に少なからず驚いていた。雪音が自分に呪いをかけてしまったのは、自分のせいであるとエンデヴァーは理解していた。近くでずっと半冷半燃に固執する姿を、それ故に焦凍が血反吐を吐きながら鍛えてきた姿を、雪音は間近でずっと目の当たりにしてきたのだ。
それ故に自身にかけてしまった呪いを、どうにかしてやりたいと思いつつ、自分ではその呪いを解いてやることなどできようもないことは、誰より理解していた。
誰かが、何かが、雪音の氷の呪いを解いてくれたのだ。

話したいことがあるという焦凍を残して退室しようとしたとき、雪音が爆豪に声をかけた。


「バクゴー」
「あ?」
「ありがとう」

真っ直ぐに爆豪を見る雪音に、爆豪は一瞬固まった。
雪音は爆豪の言葉だからあんなに胸に響いたのだと理解していた。焦凍が緑谷だから心を動かされたように、雪音も爆豪だから立ち上がれた。ずっと諦めない、NO.1を本気でとりに行く爆豪が言った言葉だから信じられた。
雪音にとって爆豪はヒーローだった。


「……それは仮の名だって言ったろ。本当のやつ名乗った時に、また言い直しに来いや」
「わかった」

こくりと頷いた雪音に満足そうな顔をして爆豪が出て行く。
ドアが閉まっても、そちらから視線を逸らさない雪音に、焦凍はどこか伺うように話を切り出した。


「ずっと、気になってたんだけど……」
「……うん?」
「何で雪音さん、ヒーローになろうと思ったの?」

この質問をするのに少しだけ勇気がいった。何てことはない話題のはずなのに、これを聞いたら何かが壊れそうな、そんな予感がしていた。
雪音は焦凍の方を見ると、どこか困ったような顔をしていた。


「話したくないなら、話さなくても……」
「……そうじゃないの。話したくないというより……恥ずかしくて」
「え……?」
「かっこいい理由じゃないけれど……それでも、いい?」
「……うん。聞きたい」

雪音からヒーローになりたいといった言葉は一度も聞いたことがなかった。だからずっと、雄英に入ったと聞いても、ヒーロー科だとは思っていなかった。雄英に入学して、初めてそのことを知って、少なからず驚いた。どうしてヒーローになろうと思ったのか、それはずっと謎のままだ。
雪音はどこか緊張した面持ちで、静かに話し始める。


「私が実家に帰るとき……焦凍くんの背中が、とても寂しそうに見えた」
「……ああ、あの時。ごめん、俺ひどい事言った」
「大丈夫、気にしてない。ただ……その背中が印象的で……もう、あなたをひとりぼっちにしたくないと思った」
「……え、じゃあ、雪音さんがヒーロー科入ったのって……俺のため?」
「……私のエゴよ」

誰かのためと言えば聞こえはいい。けれど実際は雪音のエゴだった。焦凍が一緒にヒーローになってくれと言った事など一度もなかった。後ろ姿が寂しそうに見えたのだって雪音の主観だ。これは紛れもなく、雪音のエゴだった。焦凍のためなんて、そんな偉そうなことは言えるわけがなかった。


「私は……ずっと止まったままだった。あなたが友だちを得て、どんどん変わっていくのを……嬉しいと思うのと同じくらい、勝手に取り残された気になってた」
「雪音さん……」
「どんどん、あなたは素敵になって、伯母様たちも、乗り越えようとして……でも、私は何も変ってなくて……どうしたら、私の時間があの時から動き出すのか……分からなかった」

自分だけが取り残された薄氷の時。身体だけが成長しても、心はずっとあの時のまま、人形のままだった。
焦凍は思ってもいなかった雪音の告白に、僅かに動揺していた。焦凍にとって雪音は初恋相手で、姉のような人で、救けになりたいと思うのに、救けに入る隙の無い人だった。けれど実際は雪音はずっと、悩みを抱えていたのだと思うと……何で気づかなかったんだろうと、自分が情けなくなった。


「ごめん……俺、なんも気づかなくて……」
「焦凍くんのせいじゃない。私は……焦凍くんには、知られたくなかった」
「……俺が頼りないからか?」
「違う」

間髪入れずに否定が入る。常から雪のような音を奏でる雪音にしては珍しく、強めの主張だった。誤解してほしくないとでもいうように、雪音はどこか焦ったような様子だった。
轟はそれに少し驚きつつも、黙って雪音の話に耳を傾ける。


「上手く言えないのだけど……」
「うん」
「自分のことで焦凍くんを煩わせたくない……」
「俺は煩わしくなんて思わない」
「うん……でも、私はいや」

轟は雪音の「いや」に困ったような顔をした。でも一方で雪音も雪音で、その表現はしっくりこなかった。自分の気持ちを話すのは苦手だ。なんて例えたらいいのか、分からないから。
でもどこかで、的確な何かを聞いた気がする。必死に記憶を辿って、はっとした。


「違う……」
「ん?」
「いや、は違う」

むにっと、頬っぺたを引っ張られた感触を思い出す。いつもの声より、どこか優しかったような、呆れてるような声。彼はまたしても雪音が分からない雪音を言い当てる。


「見栄を……張りたかっただけ。お姉ちゃん、だから」

今度はしっくりきたそれに、雪音は何だか胸がいっぱいになって、泣きたくなった。
どうして分からなかったんだろうと、自分でも思う。薄氷の記憶が、冷が、お姉ちゃんだと言ってくれたから。雪音にとって焦凍はずっと、大事な弟だったのだ。
お姉ちゃんだから、情けないところを見せたくなくて、ずっと一緒だったのに、自分の知らないところで変わっていく焦凍の姿が、嬉しくも寂しかった。答えはこんなに近くにあったのに、雪音は今やっと、自分の感情の一部を理解したのだった。


「……俺も、雪音さんのことはもう一人の姉さんだと思ってる。だから、力になりたいんだ。雪音さんが困ってるとき、苦しい時、俺もあなたを救けたい。きっと俺たちの気持ちは同じなんだと思う。家族、だから」
「……うん」

家族としては歪な轟家で、雪音と焦凍は従姉弟ながら、一番家族に近い存在だった。対象の最も大切な人になる個性、それで真っ先に浮かんだのはやはり雪音と冷だった。


「俺は……お母さんと雪音さんが、俺が来て安心できるようなヒーローになりたいって思ったのが始まりだ」
「……え」
「オールマイトが来ると、みんな安心した。だから、俺もそうなりたくて……俺は……雪音さんを守りたかった」

思いもよらなかった焦凍の気持ちに、雪音は僅かに目を見張った。
オールマイトに憧れた理由に、自分たちが入っていると思っていなかったから。けれど、確かにと思う。あの頃のエンデヴァーは本当に苛烈で、冷は暴力を振るわれることもあった。雪音もその時ばかりは怯んだものだ。けれど焦凍は……その父にやめろと泣いて歯向かっていたことを覚えている。


「雪音さんは俺よりずっと強かった。驚いたよ。本当に……圧倒的だった」
「それは……」
「でも、俺ももっと強くなる。いつか雪音さんを守れるくらい。俺が来て、安心できるくらい」

強いな、と雪音は思う。心が強い。焦凍は間違いなくもっと強くなるだろう。けれど、もう自分は焦凍に及ばないとは思わなかった。あの・・爆豪がそうじゃないと言ってくれたから。だから、雪音は――


「私も、もっと強くなる。いいところ、見せれるように」

雪音は見栄っ張りだから。可愛い弟に、可愛い後輩に、可愛い小さなヒーローの卵に、憧れてもらえるように。
雪音は今日、ようやく本当の意味で、ヒーローとしてのスタートラインに立ったのだった。








退院すると、クラスメイトたちが総出で出迎えてくれた。中でも交流の多い女子生徒は雪音が帰ってくるなり、泣きながら抱き着いてきて「よかった……! 本当によかった……!!」と嗚咽を零した。
雪音の重体の報も、その後の戦闘もばっちり報道されており、敵逮捕後も彼らの動機とその出生が話題性を呼び、今もなおテレビでは連日取り上げられていた。

イグナイトと名乗る彼らは、双子だった。
彼らの母親はまだ未成年で、彼らの父親は遊びのつもりだったらしく、手酷く捨てられた。そして彼らの不幸は、片割れの個性が生後間もなく、最も大切な人になる個性だと判明したことから始まった。
母親は炎の敵だけ出生届をだし、自分の子供として扱った。だが一方でもう片方の子を……自分の恋人として、夫として扱ったのだ。逃げた父親を彼女は愛していたから。
彼女は美しいものに酷く執着し、それは彼らの人格形成にも多大な影響をもたらした。「美しいものを愛でる心」と「美しいものを壊したい衝動」が共存することになったのだ。
何者でも在れない片割れを、唯一肯定する双子の絆は強く、盛大な双子の心中劇が先の事件であった。
炎の敵はこう供述した「何者でもない片割れが、この人と決めた女の子との心中を手伝いたかった」のだと。選ばれた側からしたらはた迷惑な話であるが、相手は雪音であった。雪音は何者にもなれない葛藤をよく知っている。だから、雪音が見つけたように、彼なりの何かになれるように「あなたも諦めないで。もしかしたらもう、そこにあるのかもしれない」と一言だけの手紙を渡したのだった。


「天喰……ちょっといい?」
「え、俺……?」
「うん」
「なになに? もしかして告白!? モテ期ってやつかな!?」
「ミリオっ、からかわないでくれっ」

相変わらず悪ノリをする通形に天喰はたじたじだった。どう見てもそんな感じじゃない。それにミリオは――と思うも、何とも言えなかった。
雪音はそのやり取りを気にした風もなく、天喰に向き直った。


「あなたの言うとおりだった。私の全部は……あの子の半分に満たないわけじゃなかった」
「氷叢さん……」
「酷い態度をとってごめんなさい」
「え、いや!? 俺こそ身の程もわきまえず、ずかずかと氷叢さんのデリケートな部分に踏み込んでしまって申し訳ないというか……」
「? よくわからないけど……あなたの言葉だから、私は信じられた。ありがとう」
「氷叢さん……」

きっかけは間違いなく爆豪だけれど、天喰が言ってくれたから信用できたのだ。きっかけはずっと前からもらっていたのだと、その時初めて気づいた。雪音が受け取ろうとしなかっただけで、雪音の時間を動かそうとしてくれる人はとっくにいたのだ。多分、自分が気づいていないだけで……もっと、いる。それに気づけたのはやはり天喰のおかげだった。
天喰はじーんとした様子で「どう……いたしまして」と小さく笑った。自分の言葉が雪音に届いて、力になったのが嬉しかったのだった。


「ねぇねぇ、氷叢さん。好きなヒーロー、誰か教えて?」
「ヒーロー?」
「そう! ね、いない?」
「……いる」
「誰々?」
「……まだ、本当の名前教えてくれないの。仮の名前しかわからない」

好きなヒーローと聞かれて浮かんだのは、ギラついた視線をした男の子だった。
バクゴーと言えば、仮の名前だから本当の名前が分かった時にもう一度言いに来いと言われた。だからその仮の名前を言うのは躊躇われた。
波動はそれでも十分嬉しかったようで、笑って言った。


「じゃあ、本当の名前が分かったらその時は教えてね! 約束だよ! 雪音!」
「……ええ」
「あ、雪音も私のことねじれって呼んでね。波動って言っても返事してあげないから! いいよね?」
「……わかった」
「約束だからね!」
「……うん」

驚きながらも了承した雪音に、波動はもっと早くこうすればよかったと思った。知りたいばかりで、こうしてほしいを伝えてこなかった。でも、今からだって遅くない。大親友になるのに、時間はあまり関係ないから。


 


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