気づけばそこに、貴方がいて

これからはヒーローとして、ネージュとして頑張るという宣言通り、雪音はよく頑張っていた。授業にもインターンにもその姿勢は結果に反映されており、通形が「本当にうかうかしてらんないね!!」と珍しく焦りを見せていたほどだった。
後輩たちにいいところを見せたいという見栄っ張りも相変わらずで、雪音なりに朝も頑張っていた――のだが、いつでも完璧というわけにはいかなかった。


「おはよう……」
「おはようござ――うあああ!! 僕は何も見てないです!!」
「おはよう、雪音さん。着替えるの忘れてるよ」
「……んー」
「……大分寝ぼけてんな」

うつらうつらと小さく頭が揺れている。髪もあちこち跳ねているし、寝間着のままで肩が半分出ている。インターンが始まって1か月、たまに見る光景と言えど緑谷は依然として慣れず、真っ赤な顔を両手で塞いでいた。
轟は当然として、爆豪は早くも順応していた。今日はバーニンが朝から出ていることもあり、近くにいた女のサイドキックに声をかけて雪音を部屋に戻してもらう。
こんな朝の始まりは、エンデヴァー事務所ではやはり珍しい事ではなかったのだった。








雪音の苦手なことと言えば、朝の他に家事があげられる。寮になって大分経つが、未だに一人で家電を使うことはできていなかった。
そんな雪音であったが、今日のお昼はバーニンと時間がずれてしまった。いつもなら温泉卵は諦めるのだが、この日は何だかとても温泉卵が食べたかった。食べたかったので……作ることにした。

その姿をちょうど爆豪が目撃しており、あの人、何してんだ。という疑問のもと雪音の方に向かうと、レンジを開けたので嫌な予感がした爆豪は走った。だが間もなくボンッ!! という爆発音が響き、すべてを悟った。


「あんた使用禁止令出てただろ! 誰かに頼めや!」
「いける気がした」
「根拠のねェ確信を抱くんじゃねェ! 一体何入れたんだよ? 卵か?」
「バクゴーはなんでも知ってるわね。当たり」
「誰だって真っ先に思い浮かぶわ! ……つかそのバクゴー呼びやめろ。今オフだろ……普通に名前で呼べや」

爆豪はこの惨状を作り上げてなお、けろっとした顔をしている雪音に、これはまたやるなと確信を抱いた。妙にこのエンデヴァー事務所の連中は雪音に甘い。爆発して壊れようとも「あーまたやっちゃったのね」「雪音ちゃん何食べたかったの?」「怪我してない?」とそれはもう甘い。バーニンなんかは大笑いするし、エンデヴァーも「気をつけなさい」とはいうがそれこそ形だけの注意である。あまりにも甘かった。
一方、普通に名前で呼べと言われた雪音は心得たとばかりに一つ頷いた。


「勝己」
「は?」

一瞬爆豪は何を言われたのかわからなかった。
雪音が名前を呼んだ。誰の、俺の。理解するや否や、爆豪は爆発した。


「なんっで下の名前だ!!」
「名前で呼べって言ったから」
「名字があんだろ!」
「? バクゴーも爆豪も同じようなもの」
「「う」と「長音」の違いがあんだろうが!!」

雪音はやや難しそうな顔をして、「ばくごー……ばくごう?」と繰り返していた。それに爆豪は致命的な緑谷たちとの違いに気づいてしまった。


「つか、なんでクソデクたちはくん付けで、俺は呼び捨てなんだよ!!」
「……分からない」
「あんたが分かんねぇなら誰も分かんねぇわ!! くん付けろ! くんを!!」
「勝己くん……?」
「何でだ!! そこは爆豪くんだろうが!!」
「爆豪くん」

素直に言い直す雪音に、「それでいいわ!」と言おうとして止まる。雪音が勝己とか言うから、いざ望んだ形の爆豪くんと言われると何故か壁を感じた。
爆豪は雪音に対する気持ちを言ってやる気など微塵もないけれど、気持ち自体はもう受けいれて、認めて、大事にしているのだ。ひどくかっこがつかないけれど、それならばと判断を下す。


「もう、勝己でいいわ。そっちのが呼びやすいみてぇだし」
「うん、呼びやすい。ありがとう、勝己」
「意地でもくんは付けねぇか! もういいわ!! 勝手にしろ!!」
「わかった」

何で自分だけ呼び捨てなんだと思うも、これもこの人の特別なのだと無理やり気持ちを切り替える。
爆豪は知る由もなかったが、実際その見解は間違いではなかった。バクゴー――仮の名前だが――は雪音の好きなヒーローだから。爆豪はバクゴーで、バクゴーは爆豪なのだ。ヒーローを呼ぶのにわざわざ君付けなんてしない。最も、自分の気持ちに鈍感な雪音がそんなことを自覚しているはずもなく、完全に無意識であったけれど。

こうして雪音が爆豪を「勝己」と呼ぶように、爆豪も「あんたがそうなら俺もそうするけど文句ないよな」と言いだし「雪音さん」呼びになるのだった。
尤も、爆豪がそう呼ぶより先輩だとか、あんたと呼ぶ方がずっと多かったのだけれど。


「で、あんたは何が食いたかったんだよ。目玉焼きじゃあねぇよな」
「温泉卵」
「温泉卵ぉ? そういうことかよ。ちょっと待ってろ」
「わかった」

爆豪がどこかへ向かった間に、雪音は壊したレンジの片づけをした。もう手慣れたものである。エンデヴァーたちにも「壊してごめんなさい」をすると、やはりいつもと同じ反応が返って来て、戻ってくると爆豪が「待ってろって言ったろ!」と怒っていた。


「ごめん。片づけてた」
「ああ? そーかよ。なら一言言って行けや」
「わかった」
「ったく、あんた割と抜けてんだよなぁ……ほら、出来たぞ。これでいいだろ」
「……温泉卵」

差し出された器の中には温泉卵が入っていた。ツヤっとした見事な温泉卵である。使用禁止令が出されているレンジに手を伸ばしてしまうくらい、食べたかった温泉卵がそこにはあった。


「ありがとう、勝己」
「……食いたいなら言いに来い。こんくらいならやってやらねぇこともねぇ」
「うん。でも、いつもはバーニンが作ってくれるから、大丈夫」
「あ゛!?」

爆豪が若干、本当に若干緊張しつつもまた作ってやるよ、という旨を伝えたところ、あっさり拒否されて爆豪はイラっとした。雪音は気にした風もなく、「いただきます」と黙々と食べている。
以前から雪音がバーニンに何やら個性を使わせているのを知っていたため、まさかと思い至った。


「なぁ、あんた」
「なに?」
「俺のそれと……バーニンの……どっちがうまかった」
「バーニン」
「ほう……ちょっと待ってろ」
「わかった」

即答だった。少しも悩むことなく雪音はバーニンだと答えた。今度こそ待ってろとそこで待ってろと釘を刺し、爆豪はもう一つ卵をもらうと雪音のもとに帰ってきた。
自分の作った温泉卵とバーニンが作った温泉卵の差、それはレンジか、個性かの差だった。


「よく見てろ」
「うん」

その瞬間、ボンッと音を立てて卵が……爆発しなかった。雪音は爆発音がしたのに卵が無事であることが不思議だった。爆発音と卵の破裂が頭の中で酷く結びついている。これまで幾多の卵を破裂させてきた雪音は場数が違った。
爆豪はそれをそのまま割ると、綺麗な温泉卵を見事に出して見せた。


「食ってみろ」
「……いただきます」

温泉卵を口に運ぶ雪音をみる爆豪の目は、さながら料理人だった。ものすごくプライドを持っている感じの料理人であった。そうしてぱくっと雪音が温泉卵を食べ終わると、半ば確信を持ちながら尋ねる。


「バーニンと俺、どっちがうまかった」
「……」
「どっちだ」
「……わからない」
「チッ、そーかよ」

思ったよりバーニンの温泉卵の出来がよかった。本気で甲乙つけがたいと悩んでいる雪音を前に、上等だバーニンの超えてやんよ……!! と静かに燃える。
だがここで一つの誤算が生じた。


「二人とも、さっきから何してんだ?」
「焦凍くん」
「見てわかんだろ。温泉卵作ってんだよ」
「温泉卵……ああ、今日はバーニンさんがいないから」

古い付き合いとだけあって、轟は雪音が日々バーニンに温泉卵をねだっていたことを知っていた。それと爆豪の組み合わせになるほど、と思いつつも、二人で何やらやっていた様子に好奇心が刺激されたのか、轟も乗り気になったようだった。


「それ、俺もやってみていいか?」
「勝手にやりゃいいだろ。けどこの人、もう2個食ってっから――」
「食べる」
「いくらなんでも食いすぎだろ! やめとけ!」
「食べる」
「食い意地張ってンな!!」

食べると聞かない雪音に爆豪はもう諦めた。轟が作るというのも理由だろう。イトコンが過ぎた。
轟も「別にいいじゃねぇか」と卵を取りに行ってしまった。轟も轟で連日そばばっかり食べているし、この偏食は血かなんかかと思わずにはいられなかった。
冬休みに轟家に行ったが、爆豪がまず思ったのは、実の姉兄よりこの従姉弟が似ているということだ。雰囲気といい、性格といい、舐めプ加減といいよく似ていた。
だからまぁ、少し油断していたのだ。雪音は驚く程繊細な氷結を繰り出すから、轟に対して警戒を怠った。怠った結果――卵が勢いよく燃えた。


「お」
「あら」
「……は?」

到底温泉卵を作る出力ではなかった。消し炭となった卵を三人して見つめた。
雪音はこの光景どこかで見たような、と記憶を探り、エンデヴァーが同じことをしていたことを思い出した。あの時のエンデヴァーの顔は何ともいえなかった。
爆豪も「ハッ、雑魚」と鼻で笑うが、轟も諦められないのか、「練習しとく」と言って再挑戦を誓うのだった。










その後、バーニンもこのことを知ると、爆豪に「ハッハー! ガキが生意気!」と闘志を燃やし、一層温泉卵に熱が入った。爆豪も爆豪で「残念だったなぁ、俺のが上だ!!」と対抗し、雪音は温泉卵に困ることがなかった。雪音の温泉卵の食べすぎも加味し、インターンの日はバーニンが、学校の日は爆豪がと役割分担するなど変なコンビネーションも発揮していた。インターンがなくても美味しい温泉卵を食べれるので雪音は満足だったけれど。
そしていよいよそこに、練習しまくった轟が加わろうとしていた。


「練習したんじゃないんか!!」
「練習した。消し炭になってねぇだろ」
「温泉卵ググって出直してこい! これもうゆで卵だろ! しかも固ゆで!!」
「焦凍くんには悪いけど、この勝負はもらったも同然だね!」
「あ!? 勝つんは俺だわ!」
「ナマいってらー!」

バチバチするバーニンと爆豪をよそに、雪音はじっと轟の作った温泉卵――もはやゆで卵だが――を見ていた。そうしていざ各々の温泉卵を実食し、食べ終わるとどれが一番美味しかったか迫られた。
雪音は少し考えるような素振りをして、それから静かに勝者を口にする。


「焦凍くん」
「お」
「え!!?」
「はぁ!!?」

選ばれた本人の轟も驚いており、自信しかなかったバーニンと爆豪は度肝を抜かれた。
雪音はどこか嬉しそうな顔をしていた。納得がいかない爆豪は雪音に「何でだ!」と詰め寄った。


「それゆで卵だろ! この時点で失格だわ!」
「でも一番美味しかった」
「あんた固ゆで派だったんか!?」
「温泉卵のが好き」
「じゃあおかしいだろ!!」
「でも、一番美味しかった」

一番美味しかったと言ってきかない雪音に、爆豪はぐぬぬと爆発したいのを耐え、轟に自分にも同じものを作るように要求する。

「轟ぃ! 俺にもそれよこせ!!」
「お。わかった」

作ろうと卵をもらいに行く轟に、バーニンも慌てて自分の分もお願いした。
温泉卵派の雪音が、完璧な温泉卵を作ったバーニンと爆豪を差し置いて、轟のゆで卵を選んだ理由を知りたかった。もしかして、とんでもなく美味しいゆで卵なのかもしれない。
そして轟が作ったゆで卵――温泉卵のつもりだが――をバーニンと爆豪は食した。


「!!」
「こ、これは……!!」

食べた瞬間、二人に衝撃が走る。ぐぐぐと身体を縮めて、顔を上げると、爆豪が爆発的にブチギレた。


「ただのゆで卵じゃねぇか!!!」
「そうか?」
「うん……特別なにかあるわけじゃないかな」
「何でこいつが一番なんだよ!! 納得いかねぇ!!」
「一番美味しかった」
「botか!! あんたそれしか言えねぇのかよ!!」

ブチギレた爆豪が、今度は卵をもらってきて、個性でゆで卵を作り雪音に差しだす。確実に自分の方がうまい自信しかなかった。だがそれでも一番は轟で、爆豪はそれはもうブチギレた。


「このクソイトコンがあああああ!!!」

愛する従弟が作ってくれたものなら何でもうまいのか、爆豪はもう意地になっていた。必ず轟よりもうまいと言わせてやると、その日からの爆豪は一層温泉卵に熱が入るのだった。
そんな爆豪に何を思ったのか、雪音はよしよしと頭を撫でた。「何すンだ!」と振り払おうとしても懲りずによしよし、と撫でてくる。妙に楽しそうというか、普段あまり表情が変わらないくせに、ほんの僅かに上がった口角や、垂れた目尻に気づいてしまい、不服ながら、完全に拒否することができなかった。

余談だが、またしても披露する機会を逃したエンデヴァーは、密かに沈んでいた。
エンデヴァーが雪音に温泉卵を作る機会は訪れるのか……それは神のみぞ知る。


 


戻る
top