触れたら溶けて、消え入りそうで

――爆豪が初めてその人を見たのは、二年前だった。

雄英体育祭、それはかつてのオリンピックに代わるスポーツの祭典。日本中が盛り上がる、年に一度の催し。
当時中学2年生だった爆豪は、例年であればデビューが控えている3年の部を見ているはずだったが、この年は母親によって「たまには1年生も応援しましょ。カメラ慣れしてなくて、初々しいのもいいじゃない」と変えられ、爆豪は大層不服だった。

だがしかし、爆豪家で母に敵う者などいない。そんなん見る価値もねぇわと席を立とうとしたところ、光己が興奮したようにテレビを指して、爆豪を掴んで無理やり見せた。


「っにすんだよババア!」
「ババアって言わないの!! ほら、この子! みてみて! すごい綺麗な子!!」
「ああ゛!?」
「いいからほら! 見て!! こんな綺麗な子滅多に見れないわよ!!」

別にそんなんどうでもよかったが、光己がうるさいので爆豪は渋々テレビに視線を移すと、確かにそこには偉く整った容姿の女がいた。


「お人形さんみたい。大人しいタイプに見えるけど、どんな子かしらね」
「……別に、そんなんどうでもいいわ」
「あんた本当女の子に興味がないんだから……孫を見る日は来るのかしらねぇ」
「ほっとけ!」

そんな話をしていると、選手宣誓が始まった。代表がなんとその女だった。「氷叢雪音」と呼ばれたその人は、緊張した様子もなく歩み出て、宣誓台に立った。
そして見た目通り儚い声で、短く宣誓した。


『宣誓。頑張ります』
「は……?」
「え」

それだけ言って雪音の選手宣誓は終わった。これには爆豪も光己も、何なら会場中が呆気にとられていた。非常にシンプルかつ、アバウトで、小学生のそれより幼稚な宣誓だった。
一応選手宣誓は例年通り、ヒーロー科の入試で1位だった者がやるはずだが、あまり頭が良くないタイプなのかもしれない。見た目はそつなくこなしそうだが。
この良くも悪くも印象的な選手宣誓により、爆豪はこいつがどんな個性で、どれだけやれるのか見てやろうという気持ちになった。どうせカスだろうけど、と鼻で笑う気満々だったそれは――一瞬で覆った。










『1−B氷叢ーー!! 開幕ぶっ放したああああああ!!!』

会場が一瞬で氷原と化した。その威力に爆豪は言葉を失う。強力なぶっぱ個性。氷結の持ち主。
その氷原の中心で佇む、物憂げな美しい人。触れたら溶けて、消え入りそうな雪のようなその人は……終始人形のような顔をしていた。
そうして、雄英体育祭1年の部は……当然の帰結を迎える。










『こりゃすげーぞ!! 1年ヒーロー科氷叢、第一種目から第三種目まで追随を許さず、圧倒的な力で今、栄光をこの手に!! 今年の雄英体育祭、1年の部優勝は氷叢雪音だーー!!』

強い個性に加え、優れた身体能力と判断力で、完膚なきまでの1位に君臨してみせた。それは爆豪が渇望する理想の姿だった。
誰も何も雪音に手も足も出なかった。まさに瞬殺。誰一人何一つ寄せ付けず、氷原に立つその人に爆豪が抱いたものは……オールマイトとは少し違った憧れだった。


「……ハッ、キレェな面」

優勝しても、雪音はにこりともせず、相変わらずの物憂げな表情で映っていた。
土埃一つついてない、キレェな顔。それに爆豪はつまんなそうな顔してんな、と思う。それもそうだろうとも。相手がそんな雑魚ばっかじゃ、つまんねぇよなと。思わず笑ってしまったのは……強者としての親近感を、抱いたからかもしれない。

――氷叢雪音。それは爆豪にとって一目惚れにも近い何かだった。









1年後の体育祭も雪音を目当てに2年の部を見た。3年よりもその人を見ていた方がずっと見応えがあると分かっていたから。
実際雪音はその期待通り、やはり完膚なきまでの1位に君臨した。相変わらずの物憂げな表情で、雪のような声で、幼稚で簡潔な宣誓をして、氷原の中心で当たり前に勝利を掴む。
そのつまらなそうな顔をしているのも、今年までだと、爆豪は来年を楽しみにしていた。来年は自分が雄英に入るから。あの人のつまんなそうな、人形みたいな顔に表情を与えるのは自分だと疑いもしなかった。





疑って、なかったのに――。






雄英に入学して、クラスメイトになった轟の顔を初めて目にしたとき、何故か雪音の顔がちらついた。似ているかと言われたら似ていない。あの人はもっと――、けれど初めての戦闘訓練で、ビル一つ丸ごと一気に凍らせて見せられると嫌でも重なった。それと同時に、自分じゃ敵わねぇかも、と初めて上の存在を意識した。
緑谷にも負けて、八百万にも指摘されて、打ちのめされて。最悪の帰り道で見たくないものを見た。


「焦凍くん、遅くなったけど入学おめでとう」
「雪音さん……ありがとうございます」

廊下で轟と雪音が話していた。爆豪は咄嗟に立ち止まってしまう。何度も画面越しで見たその人が、そこにいた。
口ぶりからやはり知り合いのようで、おそらく親戚かなにかだろうとあたりをつける。並んでいると確かにどことなく似ていた。
雪音は相変わらず雪に音があったならこんな感じなんだろう、と思わせる声で、人形のような顔を轟に向けていた。


「入学式にいなかったから、どうしたのかと思ったけれど……相澤先生が担任だったのね」
「ああ、時間の無駄だって。俺も授業前倒し出来たからよかったと思ってる。……さっさと先に行って、俺は一刻も早く、奴を完全否定する」

轟の話はよく分からなかったが、物騒なこと言ってんなと日頃の自身の言動を棚上げして爆豪は思った。これを聞いた雪音がどんな反応をするだろうか、と視線を向けたところ……爆豪は我が目を疑った。


「……そうね。あなたなら、半分でも……私よりずっと強いわ」

人形のようにピクリともしなかった表情が……動いていた。
そこにある諦観と、傷心を敏感に感じ取ってしまった。


「私に言われるまでもないだろうけど……頑張ってね、焦凍くん」
「雪音さんも……大変だろうけど、頑張ってください」
「……ええ」

去っていく雪音の後ろ姿に、爆豪が抱いたのは同じじゃなかったのかよ、という裏切られたような、怒りにも似た何かだった。

体育祭のとき、つまんなそうな顔をしていると思っていた。周りのレベルが低いから、雑魚ばっか相手にして、自分と渡り合える人間がいなくてつまんないんだろうと思っていた。
けれど、それは違ったのだ。轟と前からの知り合いなら自分と並び立てる人間がいることなんてわかっていたはずだ。それでも人形のように澄ましているのは、つまらなそうなのは、轟に見せたあの顔は、自分が相手より弱いと自覚して、それに納得して、その立場に甘んじているからだと爆豪は分かってしまった。

――自分が打ちのめされたばかりだから。

同じだと思っていた。何でもできるが故に、周りが雑魚に見えるのも。
完膚なきまでの勝利を掴んでも、心が晴れないのも。
世界に色も、温度も、感じなくなるのも。

でも違った。雪音はそんなんじゃなかった。強者だと思っていたその人は、弱者で。何のためらいもなく弱いということを肯定してしまう人で、自分の可能性を諦めてしまっている人だった。

自分はそうはならないと意地にも、怒りにも似た何かが湧き上がってくる。さっきの雪音を見てなおさらそう思った。あんたみたいに俺は自分の限界を定めたりしねぇって、自分はここからだ。ここで自分は必ず一番になると強い決意を抱いた。



オールマイトとは違った憧れが、握りしめた拳の中でぐしゃぐしゃになっていくのを感じた。
音がする。氷が割れる音。氷原の中心で儚く咲いたその花を、乱暴に引きちぎった。








――触れようとするから、溶けて消えんだ。




幻滅するくらいなら、見なかったことにした方がマシだと爆豪は結論付ける。
2年もの間ずっと見ていたから。俺があんたの憂鬱を吹き飛ばしてやると思っていたから。氷原の中心で佇む姿が頭から離れない。おまえなんかお呼びじゃねぇんだ、出て行けと思っても、沁みついて離れない。

あの日の、憧れが――。

心の奥底に、溶けて、もう混ざって、一部になってしまっていた。



今年の体育祭の3年の部は……光己が録画していたけれど、見なかった。見たくなかった。知りたくなかった。
あの人形のような顔が変わる瞬間を、もう見てしまったから。


――俺じゃねぇなら、そんなもんに意味ねぇンだ。


 


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