満ちた自信をその胸に

3月14日、その日はエンデヴァー事務所でのインターンが行われていた。
緑谷と轟はホワイトデーということもあり、雪音に何をお返しするのかと話をしていた。


「氷叢先輩、どんなのがいいかわかんなかったから……とりあえずお菓子にしてみたよ」
「雪音さんは嫌いなものや苦手なものがねぇから、それで大丈夫だと思うぞ」
「よかった〜! 轟くんは何にしたの?」
「俺は……毎回ハンドクリーム贈ってる」
「ハンドクリーム?」
「ああ。雪音さん、昔から手をよく気にしてんだ。十分綺麗な手してるんだけどな」

そう言って轟は、毎度冬美にどんなハンドクリームが良いのか聞きながら買っていた。雪音は昔から手の手入れは欠かさなかった。冷が雪音にどんな風にケアしたらいいのか教えていたのを思い出す。
そんなことしなくたって、轟の目には十分すぎるほど綺麗に映っていたけれど。それは今も変わらないらしい。緑谷もそういえばと思い出したように言葉を続けた。


「よく何か出して手に塗ってるなとは思ってたんだ……あれハンドクリームだったんだね」
「パッケージそれっぽく見えなかったろ」
「うん、なんか可愛かった」
「今使ってるのはバーニンさんが贈ったやつだったと思う」
「ああ、バーニンが……先輩のことすごく可愛がってるもんね」

雪音がよく使っているボトルに入ったパステルカラーのそれは、バーニンが雪音に贈ったハンドクリームだった。それがハンドクリームだったというのは驚いたが、バーニンが贈ったというのだから納得だった。バーニンは普段からよく雪音を可愛がっており、雪音贔屓気味なのはエンデヴァー事務所では皆が知るところだった。温泉卵を作るために個性を行使するのも、雪音がたまにスイッチが入ったのか何なのか、温泉卵をたくさん食べたかがっても、なんだかんだ言いつつ結局与えるのだ。
これについては最近雪音の温泉卵係に加わった爆豪と若干対立している。爆豪が作る日は絶対3つ以上は食べさせないので、自然と雪音はバーニンの温泉卵に傾きかけている。「甘やかしてんじゃねェ! 偏っちまうだろうが!」とバーニンに詰め寄る姿は割とそれなりに見られた光景であった。

そこまで思い出して、二人は爆豪の方を見た。


「爆豪は何にするか決めたのか?」
「教えねぇ」
「雪音さんなら、基本的に何やっても喜ぶからそんなに気負わなくても大丈夫だぞ」
「別に気負ってねぇ!!」
「そうか……まぁ、頑張れ」
「おまえに応援される筋合いはねェンだわ……!」

ピキッと爆豪の米神に青筋が浮かんだ。あの爆発的な鬱憤を吐き散らした後から、轟は妙に爆豪と雪音の間を応援するような姿勢を見せる。そして親切心なのだろうが、いちいち雪音はあーでこーでと言われる度に、俺知ってますアピールかよと苛立った。爆豪自身も轟のそれはそういうつもりじゃないのは分かっていたが、こうイラっと来るのだった。

だがしかし、ホワイトデー当日になっても爆豪はこれといったものが浮かばず、まだ用意ができていなかった。中途半端なものを渡すくらいなら、何も渡したくなかった。
雪音がバレンタインチョコを本命という意味で渡していたなら、迷わずマカロンを渡せたのだが、生憎そういう意味のチョコではなかった。
後輩としてもらったそれに、なんと返すべきか……爆豪は密かに悩んでいた。














「バクゴー、旋回しましょう」
「言われなくてもそのつもりだわ!」

バイクで逃走するひったくり犯を追っている途中、前方に橋が見えた。飛べる爆豪とどんな立地でも道を形成できる雪音は挟み撃ちすることにした。
雪音の氷が美しく道を造形していく。爆豪がスピードを出してバイクの前に来ると、慌てて引き戻ろうとしたバイクの後ろに雪音の氷があった。そしてそのまま目の前で爆豪は爆破する。


「くたばれ!!」
「うああああっ」

爆豪が爆破の直前に引ったくられたバッグを取り返し、雪音が敵を氷で拘束した。
美しい氷の橋ができたことで、写真を撮る者も現れた。エンデヴァー事務所にインターンをしていく上で、それは慣れた光景だったが、爆豪はため息が出た。


「これ! 俺がまた片づけんのかよ」
「ごめん。温かい氷は出せないの」
「それはもう氷じゃねぇんだわ……どけ、さっさと片すぞ」
「ありがとう」

爆破で雪音の作った氷の橋を砕いていく。それに残念そうな声が聞こえるが、キラキラと砕ける氷もまた美しく、その解体作業を邪魔にならないように撮る通行人たち。爆豪は見世物じゃねぇんだよ、と思ったが、怒鳴り散らすことはなかった。雪音の氷が綺麗だというのは、まぁ……わかるから。
そしてふと、爆豪は気づく。


――この花……竜胆、だよな。


雪音が造形した氷の花に見覚えがあった。竜胆。かつて爆豪が中学時代に花屋で見たそれ。雪音のようだと思ったそれ。
雪音は花や動物を模すことが多くあった。けれどこうしてまじまじと見る機会は然程なかった。後片付けは率先して轟がやっていたから。今日はたまたま、雪音と爆豪での班編成だったのだ。
これを見たら、爆豪はもうこれしかないような気がして、爆破して片づけが終わるとちょうど引き渡しも済んだ頃で、雪音と一緒に事務所に戻った。









事務所に戻ると、エンデヴァーが短く「ご苦労だった」と労う。そして待機になると思いきや、爆豪と雪音はそのまま半休になった。驚く爆豪と雪音にエンデヴァーは「ショートとデクも戻り次第半休を与える」というのだから、雪音はそのまま素直に頷いて、着替えに戻ってしまった。


「エンデヴァー……どういう風の吹き回しだ」
「……今日はホワイトデーだ」
「は?」
「……まぁ、その、なんだ。……頑張りなさい」

ポンっと肩を叩かれて、爆豪は唖然とした。勝手に気を遣われている。しかも見るからにそういうことに鈍そうなエンデヴァーすら知ってんのかよ、と爆豪はカッとなった。
一番疑わしいバーニンに視線を向けると、私じゃないし、とばかりにバーニンは首と手を振った。ならば轟かと思うが、実際は雪音の心の氷を割ったのが爆豪と知り、勝手にエンデヴァーが期待しているだけだった。轟は完全にとばっちりだったが、これが日頃の行いというやつである。お節介が裏目に出てしまった。
爆豪はイラっとしつつも、正直願ってもみなかった。爆速で着替えると、雪音が戻ってくるのを待つことにした。










「あら。待ってたの? 何か用だった?」

雪音が戻ってくると、明らかに待っていた風の爆豪に気づき、雪音は何かあっただろうかと小首を傾げた。
それに爆豪は、轟と緑谷からは早々にお返しをもらっておいて、自分が渡すために待ってたとかいう発想はないんだなと、少し落胆した。
けれどそのお返しも今から調達するものである。爆豪はぶっきらぼうに口を開いた。


「ちょっと付き合え。行きてぇところがある」
「? わかった」

不思議そうにしながらもすぐに頷いた雪音に、誘っといてなんだが、あんた少しは警戒しろよと思う。やはり男として見られていない。それを感じて爆豪は上等だこら、意識させてやんよ、と燃えた。
逆境こそ燃えるというもの。壁と山は高ければ高いほどいい、登りきったとき達成感が違うから。









「花屋さん……? 勝己、お花がほしかったの?」
「いいから黙ってついてこい」
「わかった」

花屋に連れてくると雪音は不思議そうな顔をして、辺りを見渡していた。爆豪と花という組み合わせが意外だったのだ。爆豪とて自分が似合わないことをしている自覚はあった。けれど、雪音に渡すならこれしかないと、爆豪は迷いなく店員に注文をして、それが出来上がるのを待っていた。

雪音は出来上がるまでの間、黙って待っていた。黙ってついてこいと言われたからだ。
爆豪も何を話すでもなく、無言で出来上がるのを待っている。なぜ自分が呼ばれたのかわからない。もしかして、男一人では入りにくかったからだろうか、と結論付けたところでそれが覆った。

出来上がった竜胆のブーケを、爆豪がぶっきらぼうに雪音に差し出したから。


「ん」
「……?」
「いや、受け取れや。あんたのだわ」
「……私に……? 何で?」

差し出されたブーケが、また受け取れとばかりに突き出されるから、雪音は戸惑いつつも受け取った。
何故自分が爆豪にこれを贈られたのか、まったく理解できていなかった。それに爆豪は呆れた様子でため息まじりに口を開く。


「バレンタイン、もらったろ。そのお返しだわ」
「……ああ、そういう。でも、なんでこれ……」
「仕方ねぇだろ……あんたみてぇだって思ったら、それしか浮かばなかったんだからよ」

少し照れた様子で、そっぽを向く爆豪に雪音は目を見開いた。爆豪が自分みたいだと称した竜胆を見る。淡い紫のそれが、雪音のようだと言われると何だか胸がいっぱいになった。


「綺麗ね……」
「……ん」
「……ありがとう」

そう言って自然と緩んだ顔を向けると、爆豪は何だか眩しいものを見るかのように目を細めて、「ん」とだけ言った。嬉しかった。爆豪が雪音のために考えて、悩んで、これしかないと贈ってくれたことが。
エンデヴァー事務所へ戻る道すがらも、終始ご機嫌な様子で花を眺めている雪音に「ちゃんと前見て歩けや」と手を引っ張った。
降り積もる。雪のように降っては溶けて、段々身体の一部になっていく――。










雪音はその花を大事に抱きかかえて、持ち帰ると部屋に飾った。枯れてしまうのがもったいなくて、どうにかもたせられないかと色々調べて、それでも自分の不器用さが不安で周りに助けを求めた。
植物に関係する個性持ちがおり、雪音の氷結で長持ちさせられる環境を整えられるのもあって、この花は実に長持ちすることになる。
それは激動の春を耐え忍ぶ、とても強い花だった。

仲のいい女子生徒が、ねぇ、とどこか楽しそうに雪音に話しかけた。


「知ってる? 竜胆の花言葉」
「知らない……」
「「勝利」に「正義感」でもね……紫の竜胆にはもう一つ意味があるの」
「なに?」
「……「満ちた自信」くれた人がこのことを知ってるかはわからないけど……これがいいと思ったなら、その人はよく雪音ちゃんを見てるんだね」

にこりと笑った女子生徒に、雪音は何だか胸がいっぱいになった。
本当に、爆豪はずっと雪音を見てくれていた。きっと失望してからも、ずっと見ていてくれたのだと思う。それがどれだけ有難いことなのか。雪音はその行いに応えなければと思った。


「ええ。この花に恥じないように……相応しい人で在れるように。頑張る」

もう爆豪の信頼を、憧れを裏切ることがないように。この花に相応しい自分でいるために。
綺麗なこの淡い紫の竜胆が――雪音の最も好きな花になるのは、当然のことであった。


 


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