拝啓、変わりゆく君へ

8月、1年生の林間合宿先がヴィラン連合に襲撃された。
その前に1年生の生徒――緑谷出久――がショッピングモールにて死柄木弔と接触したことから、急遽合宿先の変更や直前まで生徒にも行き先を知らせなかったほどの徹底ぶりにもかかわらず、襲撃を許すことになった。
なお、その過程で多くの重軽傷を出し、生徒の一人――爆豪勝己――が敵に攫われるといった大失態を雄英は犯した。その後、多くのプロヒーローや警察を動員し、事件は収束する。平和の象徴の事実上の引退や神野区の人々といった、多くの犠牲を払って。

そうして、これから敵の動きが活発化されることや、連合の動きが分からないのもあり、雄英高校はこの夏から寮制へと移行することになった。
担任が各家庭を回って丁寧に説明と同意してもらえるように頭を下げたが、雪音の母親は頷いたものの不服そうであった。


「また雪音と離れるのね……雪音と一緒に暮らせた時間は長くないというのに……あと半年は一緒にいられると思っていたものだから、ごめんなさいね……お母さん、うまく呑み込めないわ」

すっかり消沈した様子の母に、父が宥めるように背を撫でた。母も氷叢の人間で身体が弱い人であった。雪音以外に子が望めるはずもなく、母は雪音を可愛がってくれたが、どこか雪音に依存しているところがあった。
轟家に預ける決断ができたのは、自分の身体が特に悪かった時期で、満足に雪音と遊ぶことが適わなかったのと、冷が轟家に嫁いだことで多額の金銭的援助を受け取ることができていた、という裏事情を考慮してのことだった。

冷がいなくなった後は残るという雪音に大層ショックを受け、「お母さんのことが嫌いになってしまったの?」「あなたを好きで手放したわけじゃないわ」と狼狽していた。雪音が焦凍を気にしていることが分かると、焦凍の身に降りかかった不幸を思い、それならば中学に上がるまでなら、と妥協してくれたのだ。
雄英のヒーロー科に進んだ以上、卒業後はヒーロー事務所に就職することになる。このままいけばエンデヴァー事務所に確定だろうが、一人暮らしも視野に入れていた。そんな中、あと半年は一緒にいられると思っていただけに、母親にとって寮制というのは仕方ない事とは思いつつも、手放しで納得できかねていたのだった。

雪音はどうしよう、と思うも、焦凍から冷と文通していることを聞いたのを思い出した。


「あの……お母さん」
「なぁに?」
「手紙を出します。あまり上手には書けないけれど……きっと出します」
「雪音……そうね。お母さんも出すわ。短くてもいいから、お返事を頂戴ね」
「わかった」

こくりと頷いて了承する。母親はそれでようやく笑ってくれて、寮生活に足りないものを用意しましょう、と一緒にリストアップしてくれた。父親も慣れない環境で戸惑うこともあるだろうけれど、そのうち慣れるだろうから焦らずいきなさい、と応援してくれた。
そうして雪音も入寮の運びとなったのだった。








ただ、寮生活を営む上で早速雪音の前に壁が立ちはだかった。部屋がフローリングだったのだ。氷叢はかつては名家であった。財産をなくし、落ちぶれようとも、体裁にはこだわっていた。
雪音は冷が嫁いだ後に生まれているのもあり、さほど苦労という苦労はしていない。古びていたけれど、氷叢家も日本家屋であったし、長らくお世話になった轟家も立派な日本家屋であった。ずっと和室で育ってきた雪音にとって、この部屋は落ち着かなかったのだ。

けれど住めば都という。この部屋にもいつかは慣れるだろうと切り替えようとしたところ、焦凍から連絡が来たのだった。


「まだ新しいのに捨てるのね……ちょっともったいないわ」
「うん。だから雪音さんもどうかなって……ずっとうちにいたから、洋室慣れてないと思って……」
「ええ、少し戸惑っていたの。焦凍くんが連絡をくれて助かったわ。ありがとう」

焦凍からの連絡は、畳や障子戸を分けてもらえたから、よかったら雪音もどうかといったものだった。
なにやらほんの少し冒険をしたらしい焦凍は、畳や障子戸を前に雪音をすぐに思い出したのだ。幼い時を一緒に過ごした人。冷と雪音と一緒に映った写真を見ていたのも、一つの理由だっただろう。


「それならよかった。運ぶの手伝うよ。女の人には大変だろ」
「そうでもないわよ。ヒーロー科だもの」
「そう? でも二人でやる方が早いだろ。手伝うよ。雪音さんはこっち持ってくれ」

雪音が抱えていた畳と焦凍が持っていた障子戸を交換させられる。軽くなったそれに瞳をぱちくりと瞬きを一つした。その後も何のためらいもなく、当たり前のように焦凍は先に雪音の部屋をリフォームしてしまい、雪音はやはり呆然としていた。

――焦凍くんって、こんなに強引だったかしら……?

記憶の中の焦凍といえば、冷がいなくなる前はどちらかというと甘えん坊で、「雪音ちゃん、雪音ちゃん」といつも冷か雪音の姿を探しているような子だった。
けれど、今の焦凍はしっかりしていて、親切で――昔から優しい子だったけれど――、行動力があって……なんだかもう小さな男の子のままじゃないのだと、成長をありありと感じられた。


「焦凍くんはいいヒーローになるわね」
「え……? そう?」
「ええ」

焦凍の方のリフォームを手伝う傍らで、雪音はもう焦凍は無邪気にあの頃のように笑えるのだと感じていた。
焦凍はもう前を向いて、なりたいものになるために走っているのだ。どんどん、会う度に焦凍は素敵になっていく。それはやっぱり嬉しくて、でもやっぱり少しだけ苦しかった。
そんな時、焦凍が俺も、と口を開いた。


「雪音さんは……いいヒーローになると思う」
「……私が……?」

意外な言葉に雪音は焦凍の顔を伺った。いいヒーロー≠ニいう言葉は自分に相応しくないと雪音は誰よりも、何よりも理解していたから。

雪音にとってのヒーローとは

ナチュラルボーンヒーローオールマイト≠ナあり

諦めずに努力し続けた者エンデヴァー≠ナあり

誰かに光を与える者・・・・・・・・・≠ナある。

どれも自分には当てはまらなかった。


「雪音さんは優しい人だから……だから、いいヒーローになるよ」
「…………そう」

雪音を優しいと語る焦凍の目は懐かしいものを思い出しているような、優しい目をしていた。けれどやはり雪音には理解できなかった。自分が本当に優しい≠ネら、きっともっと――。









「あれ、氷叢さんどこ行ってたの? 部屋作りは終わった?」
「通形……ちょっと外に。部屋は終わった」
「そっか、お疲れ! ねね、どんな部屋にしたの? 氷叢さんの部屋ってちょっと気になるよね!」
「そう? 何の変哲もない和室だけど」
「?? 和室……?? ハハ、氷叢さんいつも予想の斜め上行くんだよね!」

相変わらずテンションの高い通形の言っていることはよくわからなかったが、クラスで気兼ねなく雪音に話しかけてくるのも通形くらいであった。1年生の頃は雪音──明らかに高嶺の花──にもぐいぐい話しかけていく通形に周りも驚いたり、止めたりしていたものだが、意外と雪音がそれなりに会話に応じたこともあり、以来通形のこの姿勢はそういうものとして受け入れられていた。


「リフォームしたってことだよね? 一人で大変じゃなかった?」
「従姉弟が手伝ってくれたから、平気」
「え、氷叢さんいとこいたの!? 誰!? 俺の知ってる人!?」
「知らないと思うわ。1年生だから」
「1年生かぁ……! じゃあ知らないな! 今度の説明会で誰か当ててみせるから待っててよ!」
「わかった」

通形とA組の天喰と波動はビッグ3として、インターンの説明会に1年生のもとを訪れることになっていた。3人ともインターン活動をする前の成績はこれといって奮っておらず、インターンを経て急激に力を伸ばした――覚醒した――者たちだった。説得力としても抜群である。
対して、雪音はインターン後もそれほど劇的な成長をしているわけでなく、現場慣れをしたために判断力や応用力などには磨きがかかったが、それだけだった。雪音はこれが元々の自身の限界、これで打ち止めと考えていた。


「知ってる? 氷叢さん。寮生活になったら自分で身の回りのことはするんだってさ」
「そうなの」
「そ。ランチラッシュがご飯は作ってくれるんだけど、それも休みの日もずっとってわけじゃないから、ちょっと大変だよね」
「……そうね」
「ま、3−B一同力を合わせて頑張ってこ!」
「……ええ」

雪音は乏しい表情ながら、内心でどうしましょう、と考えていた。自身の壊滅的な家事能力は自覚せざるを得ない。色々不安要素はあるが、でもまぁ、何とかなるだろうとは思う。

――そうめんを作るのは得意だから。だからきっと大丈夫。


 


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