それは呪いにも似ている

寮生活になって、若干の不安はあれど、何とかなるだろうと思っていた雪音であったが……さっそく難航した。

洗濯機を回そうとしたら洗剤の量を間違えたようで、洗濯機から泡が出てきた。凍らせればなんとかなるかと思い、凍らせたら壊れた。担任には呆れを通り越して笑われた。以来洗剤の量には気を付けているが、色移りやティッシュをポケットの中に入れたまま、洗濯してしまったりなどの失敗は度々やらかした。

食事も、ランチラッシュが大抵賄ってくれたが、それでも自分でどうにかしなければならない日はあった。普段はインターンの帰りにパンを買っていたのだが、たまにうっかり忘れてしまう。そんな日はカップ麺を食べるのだが、カップ麺すら切らしていた。仕方なく、雪音は誰でも使える冷蔵庫――学校側が補充してくれるので、中にあるものは好きに使っていい――を頼り、卵を見つけた雪音は温泉卵にしようとした。――レンチンで。当然爆発した。


「あら」
「何今の爆発音!?」
「氷叢さんの方から……」
「大丈夫!?」
「……大丈夫じゃ……ない、わね」

雪音の大丈夫じゃない、はレンジのことであった。大丈夫じゃなかった。爆発した。
どうしたらいいのかしら、と固まっていると、音を聞きつけたクラスメイト達がやってきて、絶句していた。その空気の中、通形の明るい笑い声が響いた。


「ハハッ! 氷叢さんほんと予想の斜め上を行くよね! 何入れたの?」
「卵」
「たっ、卵!?」
「(氷叢さん……卵そのまま入れちゃったのね……)」
「(ゆで卵食べたかったのかな……)」

相変わらず雪音の表情はこれといって変わりがなかったが、入寮から雪音が数々の武勇伝――といっていいのか――を作り上げているので、クラスメイトたちもこれは落ち込んでるのかもしれない、と乏しい表情から感情をかろうじて読み取れて来ていた。


「氷叢さん、ゆで卵が食べたかったの? それとも温泉卵かな?」
「……どっちでも。食べれればそれで」
「あ、もしかして何も食べるものなかった!? 冷凍食品でよければ予備あるよ! パスタとかお好み焼きだけど、食べる?」
「いいの?」
「いいっていいって! 空腹はつらいし! それに氷叢さんだし……むしろ光栄っていうか……」

恥ずかしそうにする男子生徒に、雪音は内心で首を傾げた。光栄とは、むしろ自分は助けてもらっている立場である。不思議に思っていると、やはり通形が助け舟をだしてくれた。


「え、いーの!? じゃあ俺お好み焼きで!」
「は!?」
「氷叢さん、お好み焼きよりパスタ派だよね? そうめん好きだし!」
「特にこだわりは……」
「だってさ!! じゃあもーらいっと。こっちのレンジ使うね〜」
「あ、コラ勝手に! 通形! おまえまで便乗すんのかよ〜!」
「細かいことは言わない言わない。お腹を空かせたクラスメイトを救けると思って! ね!」
「ったくしょうがねぇな〜」

実に鮮やかな手際で、通形が冷凍庫から名前の書かれたパスタとお好み焼きを出した。そしてチンまでしてくれた。「ありがとう」と雪音は提供してくれたクラスメイトと、レンチンしてくれた通形に礼を言って無事に食事にありつけたのだが、度重なる雪音の武勇伝にとうとう担任が台所への立ち入りを出禁にした。以後、調理が必要な場合はクラスメイトに頼むことが義務付けられることになる。賢明な判断であった。
クラスメイトたちは高嶺の花の意外な一面に、むしろ親近感が湧いたと概ね好意的であった。


「氷叢さんにも苦手なことってあるんだね」
「?」
「なんか勝手に何でもできる人って思ってたから、意外だった」
「? 何でもはできない」
「……なんか、氷叢さんって、天然だよね」

天然、という言葉にはて、と雪音は考える。天然、それは人力が加わっていない自然のままの状態のこと。雪音は少し俯いて、氷叢の歴史を振り返って……それで一つの結論を出す。


「……どちらかというと、私は人工物だと思う」
「え、ごめんちょっとよくわかんなかった。通形ー!」
「んー、無機質な美しさってやつかな!?」
「?」
「違ったかー! ま、そんなこともあるよね!」

「通形が分からないんじゃ誰も分かんないね」と苦笑してクラスメイトはこの話を切り上げた。
寮になって話しかけられることが格段に増えたと雪音は感じているし、それは間違いではなかった。今まで雪音が交流していた同級生は通形くらいで、たまに通形が引っ張ってきた天喰と、何故かぐいぐい話しかけてくる波動くらいだった。
けれど、寮になって、雪音の家事能力に問題があると発覚すると、皆ヒーロー志望というだけあって、親切によく世話を焼いてくれた。そこから少しずつ話すようになり、今に至るのであった。
友だちと呼べるほど近くはないけれど、雪音の周囲にも変化が訪れようとしていた。








その日は1年生のところへインターンの説明にビッグ3が訪れた日だった。
ほぼゾンビのような天喰を連れ立って通形は寮に戻ると、近くにいた雪音を呼んだ。


「氷叢さん、前言ってたいとこってのわかったよ! ズバリB組の柳さんでしょ!」
「……誰」
「だと思ったよね!! えー誰だろ……環わかった?」
「え、いや……俺はその……緊張してどんな子たちがいたのか……よく覚えてない……」
「それは残念!」

B組の柳、という生徒に心当たりはなかったが、通形が迷いなくいうくらいだから、もしかしたら自分と似ているところがあるのかもしれないと雪音は思った。実際に似ているところを挙げるとすれば、その髪色と若干雰囲気が似ているかもしれない、くらいなのだが……そんなことを雪音が知る由もなかった。
天喰はよっぽど緊張したらしく、未だに沈んでいた。相変わらずのノミの心臓であった。


「で、誰が氷叢さんのいとこだったの?」
「……A組の轟焦凍。彼が私の従姉弟」
「轟くんか!! 言われてみれば確かに似てるね! 半分赤いからちょっと盲点だったよね!」

半分赤い、という通形の何気ない一言に、雪音は焦凍が生まれた経緯を少し思い出した。今はもう自分の力として左も受け入れているけれど、そこに至るまでの道は決して平坦なものではなかった。
雪音は少し考えて、インターンの説明会の様子を尋ねることにした。


「説明会ってどんな感じだったの?」
「あーうん、それはもう……大変だったよね!」
「大変?」
「ああ……最初から最悪だった……ビッグ3なんて大層な名前がついて……みんな氷叢さんが来てるって疑ってなかったし……氷叢さんがいないってわかって明らかにあれは落胆された。ミリオと波動さんはともかく、やっぱり俺なんかがビッグ3なんて何かの間違いだ……まぐれなんだ……」
「ちょちょちょ、環ストップ! いくらなんでも悲観しすぎ! そんなんじゃなかったでしょ! もー!」

どんどん背中を丸めて小さく蹲っていく天喰に通形がストップをかけた。天喰が言っていることは少しは本当で、後はほぼ天喰のネガティブが見せた幻影である。
一昨年と昨年と、体育祭での雪音の印象が強すぎたため、1年生たちがビッグ3と聞いて一人は雪音だと疑っていなかったのは事実だが、本当のビッグ3が現れて雪音がいないことに驚いただけである。落胆はされていない。
むしろ、あの・・雪音をインターンを経て打ち破ったというビッグ3に関心は高まる一方だった。ただの説明よりずっと、そのたった一つの事実がすごさを物語っていた。

雪音は落ち込んでいる様子の天喰に、何を言っているんだろうと思いつつ口を開いた。


「まぐれなんかじゃないでしょう。 混成大夥こんせいたいか、すごかった」
「ひ、氷叢さん……」

体育祭の第三種目、例年通りサシで戦うそれで雪音は天喰と当たった。雪音という強敵に滅茶苦茶ビビっていたけれど、天喰はインターン活動や1年生から個性を伸ばしに伸ばし、辿り着いた究極技・ 混成大夥を披露し、雪音をその氷ごと打ち破ったのだ。


「あの時はまさか……私の氷も再現できるとは思わなかったわ」
「あ、うん……前までの俺なら……できてなかったと思う。氷叢さんの氷は、なんか……普通とは違ったから……」

普通とは違う、という言葉に雪音はやはり氷叢の血が関係していると察した。何代も経て深化した氷叢の個性。雪音の母の身体が脆弱なのもその影響だった。個性は強いが、血が濃いために身体に影響がでた人だったのだ。
雪音が現在に至るまで、身体自体にこれといった影響が出ていないことが救いであった。確かに、このような個性を再現するのは至難の業であったろうと思う。


「環も成長してるってことだよ。てか俺思うんだけど、環が氷叢さんの氷と、波動さんの波動をどっちも再現しちゃったら、最強じゃない!?」
「えっ!!? 俺が!?」
「そーだよ! だって環は個性に上限がないじゃないか! 二人の強力な超個性を合わせられたら、それって夢みたいじゃない!?」
「ええっ、そんな俺が二人の個性をだなんて……お、恐れ多い……しかもよりによって氷叢さんと波動さんだ……二人のファンに殺される……!!」

想像してリアルに浮かんだのか、あまりの恐ろしさに天喰が顔を真っ青にさせ、小刻みに身体を震わせていた。無理もなかった。雪音と波動はミスコンの上位常連者だ。お互い1年の頃にミスコンの推薦を受け、それから2年生の時も出ているし、今年も出る予定だった。

雪音は通形が言った、自分の氷と波動のエネルギーが合わさった混成大夥を想像すると、一つ頷いた。


「いいと思う」
「えっ!? 氷叢さんまで!?」
「そーこなくっちゃ! じゃあさっそく波動さんも呼んでやってみようよ! すごいことになるぞー!」
「ええっ、お、俺は了承してない!!」
「いいからいいから。善は急げってね!!」
「ミリオっ……!!」

悲鳴じみた天喰の叫びなど意にも介さず、通形はすぐに波動に連絡を取っていた。波動も波動で「素敵! 面白そう!」と大変乗り気であり、天喰の逃げ場はどこにもなかった。
すぐに波動はB組の寮にやってきて、「天喰くん、ついに人間やめちゃうんだって? これでノミの心臓ともおさらばだね!」と笑顔ですごいことを言われた。何故か天喰は強制的に脱人間を迫られていた。


「いや、俺は人間をやめる気は……」
「どうして? 私の個性食べるんでしょ? 私の個性知ってるよね? ねぇねぇ、食べれるの? どうやって食べるの? ねぇ、教えて?」
「俺だってそんなのわかんないよ……」
「うーん、直でがばっといく?」
「え……さすがに死ぬ……」

またもや天喰の血の気が引いた。波動の個性は波動である。活力をエネルギーにして衝撃波を放つ個性。そしてその個性はなかなかの威力だった。そもそもこれは食べれるのだろうか、食べて大丈夫なのだろうか、天喰は不安が過るというか、不安しかなかった。


「……私の氷で閉じ込める、とかはどう?」
「それいいね! アイスみたいで美味しいかも! よかったねー天喰くん、美味しく食べれるよー」
「ナイス氷叢さん! じゃさっそく……」
「え、ちょ、待って……ほんとに待って……」

天喰の目の前で出力を抑えられた波動のエネルギーが雪音の氷に閉じ込められた。気遣いなのか、クセなのか、ご丁寧に花の形に造形されてある。氷の中で反射するように、流動するエネルギーがこれまた美しかった。
天喰は内心で氷叢さんが作る氷は……本当に何でも綺麗だな、と思い、遠い目をした。逃れられない運命からの現実逃避である。


「さぁ、環……召し上がれ……!!」
「ぁ……ああっ……う、うわああああああ!!!」

天喰の絶叫と共に氷が口に放り込まれた。
プルスウルトラ、更に向こうへ――。人間としての限界を超えたそれは……次元さえも超えていけるかもしれない。









完全に終わった、死んだと思った天喰であったが、生きていた。本人が一番驚いていた。正直死を覚悟していたのに雪音の氷も波動の波動も再現出来ていた。
これにはみんなも諸手を挙げて祝福した。すごいぞ天喰。本当に個性に上限がない。食べることで再現可能な個性であるので、口や胃が特殊なのかもしれない。


「おおー!! すごいじゃん環!! かっこいい!!」
「私の個性と氷叢さんの個性、合わさるとこんな感じなんだー! 素敵素敵!」
「うん……綺麗な個性だ……それになんか……すごい強そう……」
「それね! 見た目からして風格あるよね!」

雪音の氷と波動の波動が合わさったそれは、強さと美しさが共存したものだった。見た目からして風格がある、なんか強そう。天喰は雪音と波動に対して、やっぱり二人はすごい人だと思うも、それを再現している身として何だかものすごく恥ずかしかった。見るからに強キャラだ。どうしよう、俺弱いのに……といった感じである。ノミの心臓は健在だった。

雪音は黙ってじっと見ていたが、何かを考えるように目を伏せ、そして一つの提案をした。


「アイデア自体はいいと思う。でも、氷は私のじゃなくて、焦凍くんに頼んだがいいわ」
「え、いとこくん? なんで?」
「氷叢さんいとこいたの? 誰々? 私の知ってる人?」

好奇心たっぷりに誰々、と聞いてくる波動に雪音は一つ頷く。
ビッグ3としてインターンの説明会に波動もいたのだ。知らないわけがなかった。――天喰はそれどころじゃなかったが――。


「轟焦凍、A組の子よ。紅白頭の子って言えばわかるかしら」
「紅白……あー! あの火傷があった子ね! ねぇねぇ、彼なんであんなとこ火傷したの? 個性事故? ねぇねぇなんで?」
「……」

悪気なく疑問に思ったことをぐいぐい聞いてくる波動に、雪音はなんて答えようと内心で頭を悩ませた。波動に悪気がないのも、悪い人ではないのもわかっているが、容赦なく質問攻めされるのを雪音は苦手としていた。
初めて話しかけられた時を思い出す。


「ねぇねぇ、氷叢さん。なんでつまんなそうな顔してるの? 優勝したんだよね? それって嬉しくないの? どうして嬉しくないの? 不思議」

どうしてもなにも、現状その結果は一時的なもので、意味のあるものではないと理解しているから。天喰ではないけれど、これこそがまぐれだと思っていたからに他ならない。
結局一度としてそれを伝えられた試しなどないけれど。言葉に詰まっていると通形と天喰がまぁまぁ、と収めてくれた。それにハッとして、雪音も取り繕った。


「ごめんなさい。私も知らないの」
「あ、そうなんだ。でもあの子紅白綺麗に半分に分かれててすごいよね。身体全部がそうなのかな? それとも頭だけ? ねぇ、氷叢さん知ってる?」
「……知らないわ」
「そっかー!」

一通り質問攻めしたところで、好奇心はとりあえず満たされたのか、波動はそれから何かを追求することはなかった。
そこから波動と代わるように、通形と天喰が先ほど雪音が言った焦凍に頼んだ方がいいという真意について問うてきた。


「なんで、その……轟くんの方がいいんだい……? ハッ、俺が氷叢さんの氷をちゃんと再現出来てないからとか……!?」
「いいえ、天喰の個性は素晴らしいものよ。問題があるのは天喰ではなくて、私の方」
「え……」
「氷叢さんの方?」

雪音は両手を開き、目線を下に下げてその手を見つめた。氷叢の濃い血が流れた、自分の氷結。けれどそれでさえ届かないと雪音は分かっていた。上には、上がいる。
自分では決して到達できないであろう……その可能性を秘めた、愛する従姉弟。


「私の氷結全部は彼の半冷半分にも満たない。焦凍くんの協力を得て初めて、この混成大夥キメラは完成するでしょう」

雪音の中にはいつだって血反吐を吐きながら、訓練を続ける焦凍の姿がある。
個性発現間もなく虐待のような修行に明け暮れさせられた日々。怪我をしない日などなく、遊ぶこともできずひたすらオールマイトをも超えるヒーローになるために、教育された子。
自分が超えられるはずも、並び立つことすらできないことも、誰に言われずとも雪音が一番理解していた。


 


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