疑う必要なんてなくて
夏休み、出久らは林間合宿があるらしい。ヒーロー科は相変わらず大変そうだなと祈李はのんびり考えていたら、その合宿場が以前雄英を襲った敵連合に再び襲撃されたというのだから、祈李は気が気じゃなかった。
「祈李……よく、聞いてね……」
「……何」
学校から連絡を受けた引子の声が震えていた。今にも泣きそうな顔で祈李の両手を包む。嫌な予感しかしなかった。
「勝己くんが……攫われたんですって」
「……は?」
大分間抜けな顔をしていたと思う。それでも自分が世界一可愛いと思うけれど、これはさすがに予想外だった。引子はショックすぎて現実を受け止め切れていないとでも解釈したのか、祈李を優しく抱きしめていた。正直不要だった。祈李は爆豪が攫われたって、爆豪の心配はしないから。
けれど続く言葉は祈李を大いに動揺させた。
「出久も……重傷だって。敵と戦ったんですって……!」
「は」
「病院に行かなくちゃ……祈李はどうする? 一人の方が危ないかもしれないから、一緒に来てくれる?」
「…………行く」
「よかった。気持ちが落ち着かないだろうけど、頑張って準備しようね。お母さんと一緒に出久のお見舞いに行こう」
祈李はそれに軽く頷いて、部屋に支度しに行った。ふらりと倒れそうになって、縺れるようにベッドに掴まった。出久の重体の報が、敵と交戦したというのが恐ろしかった。
とりあえず会わなければ。会って生きている姿をちゃんと確認しなければと、その思いだけで祈李は崩れ落ちそうになるのをなんとか立って、用意をするのだった。
病院に着いてすぐ、祈李と引子は出久の病室に行って、そこで酷い怪我を負った出久の姿に悲鳴が出そうなのを必死でかみ殺した。引子は耐え切れなかったようで、「いっ、出久ぅぅううう!!」とわっと泣き出していた。
意識朦朧としつつも出久がこちらを見ていた。
「お……母、さん……祈李……」
「出久!」
駆け寄って、引子はそのまま耐え切れないと言った様子でボロボロと涙を零していた。
「出久……もうやだよ。お母さん、心臓もたないよ……」
それを出久はぼんやりと聞いていて、そのまま意識を失っていた。祈李はそれ見たことかと思う。いつかこうなることを祈李はもうとっくの昔に気づいていた。出久がボロボロになるのも、引子が耐え切れないのも、祈李は分かっていた。
何てことはない、想定内の事態だった。いつか訪れるものが、今日であっただけの話。それでも簡単に受け止められるはずもなく、祈李は何かから逃げるように病室を後にした。
そんなこんなで、昨日は結局あれからまた出久の病室に入ることはなかった。受け止め切れなかったのだと思う。
けれど今日は一言くらい文句言ってやろうと思って、一人で来ていた。
出久の病室に近づくと、扉越しに声がした。何やら少し揉めている様子で祈李は怪我人の病室でなにしてくれてんのよ、と思いつつ黙って聞いていた。
誰かが、切島と轟が出久を唆している。爆豪を救けに行こうと唆している。冗談じゃないと思ったところで、止める声も聞こえた。むしろその二人以外は止めている様子で、祈李は一歩止まった。そこに後ろから声がかかる。
「あれ君……確か、緑谷くんの妹さん……だったよね? お兄さんのお見舞い?」
「あ……ま、まぁ……」
「そっか。でもごめんね、これから緑谷くんの診察時間なんだ。ちょっとだけ待ってくれる?」
「……はい」
そう言いながらガラッと開けるものだから、みんな扉越しに現れた奇跡の美少女に開いた口が塞がらなかった。緑谷だけが「祈李……来てたんだ」と言っていて、上鳴らが「え、妹!!?」「似てねぇ!!」「くそ美少女じゃねぇか!! どうなってんだ!!」と騒ぎだしたものだから、障子や飯田が迷惑にならないようにと退室を促すのだった。
祈李はツンとした様子で扉の前にいて、それに麗日がおそるおそる声をかけた。
「あの……祈李ちゃん」
「何、丸顔女」
「まるっ……うう゛ん゛っ、この間はその……引っ搔いてごめん! 大丈夫やった?」
心配した様子で祈李に話しかけてくる麗日に、祈李は変なものを見るような目を向けた。
確かに麗日からは自慢の顔に引っ搔き傷をつけられたが、それは浅かったし、そもそも祈李が先に麗日の頬を殴っているのだ。麗日もつい反射的に手がでただけで、明確な敵意を持って傷つけたわけではなかった。悪いのはどう考えたって祈李のはずなのに、麗日は心底悪いことをしたというように伺ってくるのだから、お人よしにもほどがあると思った。
「私の顔のどこに引っ搔き傷があるって?」
「いやそれはそうやけど……あんとき私もカッとなったし……祈李ちゃんがいなくなった後、私めっちゃずけずけ言ってもうたなって……ごめん!」
ぱんっと音を立てて合わさった両手に、祈李は何だこいつと思う。
麗日が優しい人間なのはよくわかった。でも体育祭で爆豪と戦った姿を見るに、根性もある。優しいのに根性もあって、麗らかな様子がなんだかすごく嫌だった。こんな女が出久とよく一緒にいるかもしれないと思うと……すごく嫌で、でもそれを飲み込んだ。祈李が今怒りをぶつけるべきは他にいるから。
「別にいい。それより……半分野郎と切島ってやつはどいつなの」
「え、切島くん? てか半分野郎ってまさか、轟くん!?」
「そいつ以外の誰が半分なのよ」
「俺か」
「ええっ、待って祈李ちゃん口悪ない!?」
「私は元からこうよ。間違ってないでしょ、切島ってのはこの中のどいつよ」
キッと眼光鋭く睨む祈李に、怒ってもかわいいと思う上鳴と、美少女の怒り顔は怖いねと肩を竦める瀬呂の間から、切島が「俺だけど」と名乗り出た。
祈李はそれに「ちょっと来なさい」と言って二人を目の前に来させると、問答無用でパチンッパチンッとビンタを食らわせた。突然のことに周囲は唖然とした。
「祈李ちゃん!? なにしてっ」
「うっさい! 聞こえたのよ。勝己を救けにいくとかなんとか言ってたのがね」
祈李が聞いていたということにみんな気まずそうな顔をした。切島はそれに加えて反射的に硬化しなくてよかったと思った。硬化していたら、祈李の柔らかな肌が赤く染まっていただろう。
瞳に怒りを宿した祈李の前に、飯田が進み出た。
「君の怒りはもっともだ。大事な兄があの状態で、さぞ心配したことだろう。轟くんと切島くんには俺たちからよく言って聞かせる。本当にすまなかった、どうか委員長にして緑谷くんの友人である俺に後は任せて、怒りを鎮めてはくれないだろうか」
飯田の声に一際強く止めていた人の声だということを理解し、祈李はこの人なら信用できるかもしれないと思った。いかにもお堅い委員長と言った感じで、融通が利かなそうだった。その堅さを祈李は一応信じてみることにした。
「絶対よ。あの人にそんな大それたことできるはずがないの。自分の身だって守れやしないのに、ヒーローになんてなれるわけない。もしあの人が勝己のところに行って、またボロボロになってごらんなさい。私は絶対許さないわ」
「ああ、わかった。約束しよう。轟くん、切島くん、家族の意見を尊重するのも大事だ。聞いてくれるな」
「……ワリィ」
「ああ、漢なら……妹の気持ちも考えねぇとな……」
轟の謝罪――その謝罪はどういう意味の「ワリィ」なのか分からないが――も、切島の煮え切らない態度も祈李はどうでもよかった。
麗日が祈李を気遣うように「大丈夫?」と声をかけてくるものだから、祈李は心配されるようなことはないと強気に見返すと、麗日は祈李の手を握って、まるで大丈夫というように包み込むから益々混乱した。
「なに」
「その……爆豪くん、攫われたから……心配やろなって」
「なんで私が勝己の心配しなくちゃなんないの」
「何でって……その……彼氏やろ……?」
麗日が気を遣ってか、小声で言ってくれたが、ここには耳のいい耳郎がいて、耳郎も突然の意外過ぎる事実に思わず声に出してしまうのだった。
「えっ!? 爆豪、緑谷妹と付き合ってんの!?」
「きょ、響香ちゃん……!」
「あっ、ごめっ、つい」
心底申し訳なさそうに祈李に向けて謝ってくる耳郎に、祈李はめんどくさいことになったと思った。最悪な展開だった。実際に雄英でも爆豪は一目置かれているようで、爆豪と付き合っているというのは瞬く間に阿鼻叫喚を齎した。
「はぁ!!? マジかよ!?」
「ちくしょー! やっぱりヤンキーには美人な彼女がいるんだ! 中身クソ下水煮込みなのに!!」
「いやぁ、でも……まさか爆豪が緑谷の妹と付き合うとはねぇ……まぁ、可愛すぎるもんな」
「ねね、告白ってどっちから!? 爆豪!?」
「なんて告白されたのー!?」
恋バナに飢えているのか、芦戸と葉隠に詰め寄られ、祈李はいよいよ限界だった。どんどん機嫌悪そうに歪められていく表情に麗日が「あんま質問攻めせんでやって!」と制し、飯田も「プライベートなことをあまり詮索してはいけない!」と抑えていた。祈李はこれ以上巻き込まれてたまるかとばかりに踵を返し、その場を去った。
訂正するのも面倒だった。爆豪が帰ってきたら怒るかもしれないけれど、祈李が言いだしたわけじゃないと言い訳をする。帰ってきた爆豪が否定すればいいと、爆豪が帰ってくることを微塵も祈李は疑っていなかった。