兄が死んだ日

「無個性」それはこの世界総人口の約8割が何らかの特異体質を持つこの超人社会で、珍しい部類だった。個性を持たない無個性は年寄りの層に集中しており、若い世代での無個性は激レアといったところだった。
そして緑谷家の兄妹、緑谷出久とその妹、緑谷祈李は大変珍しいことに、兄妹そろって無個性だった。


「うーん、君も足の小指の関節が2つあるね。兄妹そろって無個性とは……珍しいこともあるもんだ」
「? おにーちゃんといっしょ? ならおそろいね!」

四歳までに何らかの個性が発動するのが常である世の中である。出久はついぞ発現せず、病院に連れて行くと無個性ということが発覚した。母は一つ下の祈李もまだだったため、もしかしてと思い一緒に見てもらうと、祈李も無個性だということが発覚した。
ショックを受ける母と兄とは裏腹に、祈李はまったく気にした様子もなく、むしろ兄とおそろいということに対してご機嫌な様子であった。


「お兄ちゃんが好きなのかい?」
「ええ、とっても! おにーちゃんは私のヒーローなの。とってもかっこいいのよ」

3つの祈李にとって、兄は正しくヒーローだった。
幼い頃から並外れた美貌を持っていた祈李は、それはそれはもう絡まれてきた。けれど兄は一度として祈李を見捨てたことはないし、いつだって果敢に戦ってくれた。そんな兄は祈李にとって正しくヒーローだったのだ。










「だいじょーぶよ、おにーちゃん。おにーちゃんを私のヒーローにしてあげる。だから泣かないで。私のヒーローはおにーちゃんだけよ」

兄がヒーローに憧れているのを知っていた。ヒーローになりたがっているのを知っていた。
だから祈李は自分の唯一のヒーローに兄を定めたのだ。祈李は美しく、傲慢だった。祈李のヒーローという価値について重くとらえすぎていたのだ。

祈李の小さな世界が壊れたのはそれからすぐのことだった。
兄がボロボロになって帰ってきた。何があったか聞けば、公園でかっちゃん――近所に住んでいるガキ大将である――の怒りを買ってしまった子がいたらしい。取り巻きたちもかっちゃんの加勢をしようと、いじめられそうなところを兄が庇ったとのことだった。


「僕は困っている人を……笑顔で救けるヒーローになるんだ!!」

――は? 何それ。
傷だらけで、泣きべそをかいて、それでもヒーローになるという兄に対し、祈李に湧き上がってきた感情は怒りだった。
ボロボロの兄を構わず力いっぱい突き飛ばした。祈李の思わぬ行動に、兄は尻もちをついて、驚いた顔をした。


「祈李……?」
「――バッカじゃないの!! 無個性のくせに! ヒーローなんかなれるわけないじゃない!!」
「え……」
「ならなくていい。なれるわけがない。おにーちゃんは何もわかってない!!」
「あっ、祈李……!!」

それだけ言って引き留める兄を無視して祈李は家を飛び出した。
兄は何もわかってない。どんな思いで祈李が自分のたった一人の特別ヒーローにしたのか。
兄は何もわかってない。無個性と個性のある人間の差を。
兄は何もわかってない。ヒーローになるってことは、見ず知らずの他人のために命を削るってことを。
兄は何もわかってない。それをすることが、どれだけ祈李の心を傷つけるのかを。

同列になんてされたくなかった。祈李は特別じゃないといけなかった。
兄が言った、兄が祈李をそうした。だって兄が「祈李は世界一可愛いね。僕の自慢の妹だよ。祈李は絵本に出てくるお姫様なんだ。祈李のヒーローになれる人は……すごく幸せだろうね」と言っていた。だから祈李は兄を幸せな人にしたのだ。
祈李は特別だ。特別可愛い。テレビでもネットでも、祈李ほど可愛い子はいなかった。
あのかっちゃんだって、祈李の可愛さだけは認めざるを得ないくらいなのだから。
祈李はお姫様だった。この小さな世界で、祈李は紛れもなくお姫様だったのだ。








家を飛び出したはいいが、3つの祈李の行動範囲は酷く限られていた。いつもは兄が一緒だが、今日から祈李の兄はもういないのだ。あてもなく踏み出した足はどこに続くかも知らぬまま、ブラブラと彷徨っていた。
そこにちょうど、買い物帰りの光己が通りかかって声をかけてきた。


「あれ? 祈李ちゃんじゃない? どうしたのこんなところで。一人? お兄ちゃんは?」
「……かっちゃんママ。おにーちゃんなんて知らない。私は一人っ子だもん」
「あら。喧嘩したのね」
「ケンカじゃないわ。いない人とケンカはできないのよ」
「……おませさん。帰りたくないならうちにいらっしゃい。引子さんには連絡しとくから。祈李ちゃん可愛いから誘拐されないか心配なのよ。ね、お願い」

困ったように、しょうがないなという顔で光己が手を差し出した。祈李は少し考えてから「しょうがないから一緒に行ってあげる」と言って手を重ねた。光己は「ありがとう」と繋いだ手をそのままに一緒に爆豪邸へと向かうのだった。
光己は普段、あれほどお兄ちゃん子であった祈李の豹変具合から、これは一日家で預かった方がいいかもしれないと思った。大分ショックを受けている様子で、ただのケンカではないことを察せたからだ。家に帰してもこのままだと閉じこもったままだろうと思い、引子に相談しようと思った。


「祈李ちゃん、晩御飯何食べたい?」
「なんでも」
「なんでもかぁ……じゃあハンバーグとかは?」
「好き」
「他には何が好き?」
「パフェ」
「いいわね。ちょうどそこに喫茶店があるから食べていきましょう」

光己が指さした方には、確かにちょうど喫茶店があった。祈李が「いいの?」と聞くと、光己は「もちろん!」と言って祈李の手を引いて喫茶店に入っていった。
中に入るとパフェの他にも杏仁豆腐やアイスなどもあり、目移りしつつも祈李は抹茶アイスのパフェを頼んだ。光己はティラミスを頼んでいた。
意外とすぐに頼んだものが運ばれてきて、祈李はキラキラと大きな瞳を輝かせていた。


「ん〜! おいし〜!」
「それはよかった。にしても祈李ちゃんはほんと可愛いわね〜。芸能界入れるわよ」
「私もそう思う。でも芸能界はこわいことがいっぱいだから入っちゃダメなのよ」
「あら、そうなの?」
「そうなの。おにーちゃ――何でもない」

おにーちゃんがそう言ってた、と言おうとして祈李は口を噤んだ。抹茶パフェを美味しいと笑顔で食べていたのに、どこか暗い様子でゆっくりスプーンを運んでいた。
それに光己はあら、と思う。やっぱりただのケンカではないようだ。ケンカなら「おにーちゃんが悪いんだから!」と祈李はわんわん騒いでいたことだろう。
けれどそれを聞くのは今じゃない方がいいだろうと判断する。美味しいものは美味しく食べなくちゃね。


「祈李ちゃん、ティラミスは食べれる?」
「食べたことない」
「抹茶が大丈夫なら大丈夫かなぁ、ちょっと食べてみない?」
「……ちょっとだけ。かっちゃんママにも抹茶パフェおすそわけするね」
「あら、ありがとね」

そうしてシェアすると、祈李はパチパチと目を瞬かせると破顔した。美味しかったらしい。光己の方もおすそわけしてもらった抹茶パフェに舌鼓を打った。やっぱり甘いものってパワーになる。


「祈李ちゃん、抹茶大丈夫なのね。苦かったりしない?」
「飲む抹茶は飲めなかった……ミルクとお砂糖が入ってるのは好きなの」
「なるほどね。じゃあコーヒーもミルクとお砂糖が入ってたら飲めるかなぁ」
「知ってる。カフェオレっていうんでしょう? 前ちょっとだけ飲んだら美味しかったの」
「いいわよねぇ、カフェオレ。お家に帰ったら一緒に飲みましょうか」
「うんっ」

そんなことを話しながら、抹茶パフェとティラミスを食べ終えると、爆豪邸への帰路についた。

帰ってからすぐ光己はカフェオレを作ってくれて、引子に連絡してくれた。そしてそのまま今日は祈李は爆豪邸に泊まることになった。
晩御飯の準備などを手伝っているとかっちゃんも帰って来て、祈李がいることに驚いた。
「なんでおまえがいんだよ」というと、「今日はうちで預からせてもらったの。私、娘も欲しかったのよね」と光己が誤魔化してくれた。祈李も言いたくなかったので助かった。
それから晩御飯だなんだと過ごして、眠って、帰る頃には大分落ち着いていた。光己は「話したくないなら話さなくていいからね」と言ってくれて、祈李はそれに甘えたのだった。
そうして引子が出久と揃って迎えにくると「またいつでもいらっしゃい」と光己は笑ってくれた。「ありがとう、かっちゃんママ」祈李がぺこりと頭を下げると、光己は気にしなくていいとばかりに「またね」と手を振ってくれるのだった。













「祈李、あの……昨日のことなんだけど」
「なに」
「僕なにか祈李を傷つけたみたいで……ごめんね」
「……いいよ、もう」
「そっか……ありがとう」

祈李に許されたと思ったのか、出久は苦笑していた。
けれど、祈李のもういいは、そういう意味ではない。いいのだ、もう。祈李のヒーローは祈李だけのヒーローでいてくれないと悟っただけだった。
祈李だけのヒーローでいてくれないヒーローに、祈李は用がない。祈李だけを大事に出来ないなら、もういいのだ。

祈李はお姫様だ。祈李だけを見て、祈李だけを大事にしてくれなきゃ意味がない。兄はずっとそうだったのに、 周りの個性発現・・・・・・・から変わってしまった。いじめっこからいじめられっこ――自分だってそのくせに――を庇うようになってしまった。それはもう、祈李だけのヒーローではない。祈李の求めるヒーローではない。
けれど、出久が変わらないのも知っているから祈李はこの時、初めて何かを諦めたのだった。



――この日は、兄が死んだ日。祈李だけの兄が、愛する兄が、死んだ日だった。


戻る TOP