私の特別
兄と和解した後、祈李は真っ直ぐ先ほど暴言を吐いて、暴力を振るわれそうになった人のところに向かった。それを見て心配そうに駆け寄ろうとする出久を止めたのは爆豪だった。
爆豪の「黙って見てろ」という言葉に出久は心配を飲み込んで、じっと祈李を見ていた。
「あの……」
「……さっきの嬢ちゃんか」
雨の中傘もささずに佇む祈李に男は気まずそうな顔をした。随分大人げない事をしようとしてしまった。今となっては恥ずかしい思いだった。
祈李は小さく息を吐くと、頭を下げた。
「酷いこと言ってごめんなさい」
「あ、いや……俺の方こそ、殴ろうとして悪かったな」
「未遂だし、それに……おかげで気づけたことあるんで、私は気にしてないです」
「そうか……俺も気にしちゃいないよ。君の気持ちも……言ってることも、わからないではなかった」
家族がそういう立場にいるんなら、そう思って当然だよなと言う男は悪い人ではないのだろうと思った。自分の家族を守りたい気持ちは同じだから。もしかしたら自分とこの人は逆の立場だったかもしれないと思うのだった。
そうして、傘を持っていない祈李を気遣ってか、男は傘をわけてくれた。「風邪ひかないように」と差し出してくれたそれはもう手遅れだっただろうけど、その優しさを祈李は「ありがとう」と受け取って男と分かれた。
それを子唾をのんで見守っていた出久は祈李の成長を目の当たりにした気分だった。
「かっちゃん、こうなるってわかってたの?」
「あ? んなわけあるか。俺もここまで円満にいくたぁ予想外だわ。そんだけあいつも成長してるってことだろ。俺たちだけじゃねぇよ」
「……そっか、そうだね」
今までの祈李ならまず謝らなかっただろうし、謝ってもでもあんたも悪いからねと大層上から目線だっただろう。けれどそうはならなかった。祈李も他者の気持ちに多少なりとも寄り添うようになっているのだ。それは間違いなく友だちができた影響だろうと思う。友だちのことを知りたいと思う気持ちが、祈李の人間への興味と、想像力を働かせたのだ。本当に性格はゴミカスだったのに、今ではゴミだと爆豪は思った。
ちゃんと、話しに行くべきところに行くのだから。爆豪はそのまま麗日のもとに向かう祈李を見守っていた。
「ずぶ濡れね」
「あ、祈李ちゃ……ってそれはお互い様やない?」
「それはそう」
もらった傘をさして麗日に一緒に入るように傾けた。麗日はその行動に面食らいながらも、祈李の優しさを受け取ることにした。それに祈李は満足すると、あのねと話し出した。
「……ありがと」
「え?」
「お兄ちゃんが怒った後も、今回も。救けてくれて」
「あーいや、そんなお礼を言われることじゃ……! 私がしたくてしたわけだし」
「それが私は嬉しかったの」
ダイレクトに嬉しかったと伝えてくる祈李に、麗日は驚いた顔をした。随分素直だ。いや、元から祈李はこうだったのかもしれないと思う。今までは祈李の琴線に触れることばかりで、祈李をずっと怒らせてしまっていた。
今、怒ることがないから祈李はこうなのかもしれないと麗日は思った。
祈李は少し緊張した面持ちで、意を決してとっておきの秘策を伝授した。
「オタクとね、長続きする秘訣はオタ活を応援してあげることなの」
「え……?」
「だから、頑張ってね。私、私とキャットファイトできる人じゃないと認めないって、ずっと前から決めてたから」
「え、待って? 何の話!?」
「こっちの話! いいから頑張ってよ! 私、あんたじゃないと
そう言って去っていく祈李を麗日は呆気に取られて見送った。そうして段々と意味を理解すると真っ赤になった。それと同時に、私そんな分かりやすかったかなという焦りも生まれた。けれど、祈李が自分じゃないと嫌だと言ってくれたのは素直に嬉しかった。この気持ちはまだもう少しだけしまっておくけれど、いつか彼に伝えられたらいいと思った。
言い逃げのように駆けだした祈李の先に、爆豪がいた。明らかに祈李を待っていたようで、祈李は何と言ったらいいのか分からなかった。爆豪に酷い事をいったっきりで、返事一つ返していなかったから。
「あの……ごめ……」
「いい。謝んな」
「勝己……」
「おまえの信頼を裏切ったのは事実だわ。なら謝んなくていい。俺も謝らねぇ」
「……うん」
その爆豪が変わらないという信頼は祈李が一方的にしていたものだ。約束したわけではない。でも、それでも爆豪はそれでいいと許してくれた。かわりに裏切ったことを自分も謝らないと言うけれど、そんなのは祈李にとっても当たり前だったのに。
爆豪はわりと穏やかな顔をしていた。
「麗日に言えたんか」
「……うん。ついでに、あんたじゃないと嫌だって言ってきた。私とキャットファイトできたのなんて……あいつくらいだし」
「……クソブラコンのおまえが折れるたぁよっぽどだな。ま、あんなん見たら認めざる得ねぇか」
「お兄ちゃんがあいつ以外を連れてきたら絶対許さない。意地悪して別れさせてやる……」
「やっぱおまえ性格ゴミだな」
爆豪が呆れた風に言うので「なによぉ」と祈李は膨れっ面をした。その顔にフッと笑うと爆豪はごそっと何かを取り出し、祈李の手を取るとその薬指にはめた。
「え、ちょ……何して」
「ホワイトデー。待ってろっつったろ」
「言ったけど! でも待ってこれ指輪じゃん! 何で!? 私たちもう別れてるし、第一付き合ってた頃だって指輪は――」
「渡すわけねぇだろ。ちゃんと考えてねぇのに、大事なもんは渡さねぇ」
すっと指輪をはめた薬指がなぞられた。それに祈李は目を白黒させる。頭がついていかなかった。
ちゃんと考えてないのに大事なものは渡さない。じゃあ、今祈李に渡したのは――。
「顔しか取り柄ないって、散々言ってんじゃん。さっきもゴミって言ってたのになんで……」
信じられない気持ちだった。そんな簡単に指輪なんて渡す人じゃない事くらい祈李は分かっている。わかっているからこそありえないという気持ちがわいた。だってそれは、爆豪が祈李を大事にすると言っているようなものだ。爆豪の大事は本当に大事だから、自分がそれになるなんて思いもしなかった。
爆豪は祈李の反応にまぁ予想通りだわなと説明してくれた。
「何度もあり得ねぇって否定した。でも無理だった。おまえがまたバカなことしてねぇか気が気じゃねぇし、おまえが他の男のもんになると思うと苛ついてしょうがねぇ。……なぁ、これがそうじゃねぇならなんなんだ」
「……小さい頃から一緒にいるから、兄みたいな気持ちなんじゃない?」
自分で言っておいて嘘だと思った。兄じゃない。妹に向けるそれでもない。それは祈李だってよくわかっていて、でも何だか逃げたくなってしまったのだ。嫌なのか、嫌じゃないのかで言うなら嫌じゃないけれど、何だかとても逃げ出したいの。指輪をはめた指先から爆豪の熱が伝わって、何だかとても落ち着かないの。
「それこそあり得ねぇってのはおまえが一番よくわかってんだろ。兄妹で
逃げられない。逃がすかとばかりに爆豪の赤い目が祈李を真っ直ぐ射抜いていた。
ねぇ、本当に勝己、私のこと好きになったの。他の誰かと私が付き合うの、嫌なの。じゃあ、私が勝己に他の女と少女漫画みたいなことしてほしくないって思うのも、そうなの。私にしてくれたこと全部、私だけのものでいてほしいと思うのは、そういうことなの。
助けを求めるように目を泳がせていると、テレパシーが届いた。友だちの彼氏の個性だ。端的にそれはそうだよと教えてくれる。肯定されて、すとんとそのままそれが腑に落ちた。ああ、なんだ。私ずっと前から……勝己のこと好きだったんだ。
「俺を惚れさせた責任取れや。その代わり、俺がおまえを世界一幸せな女にしてやる」
爆豪は有言実行の男だから必ずそうなるだろうと思った。祈李の幸せはこの瞬間約束された。でも、祈李はこういうとき素直に可愛くうんなんて言えなくて、意地悪を言ってしまう。
「……拒否権は?」
「ねえ」
本当はね、そういってくれるってわかってた。あの告白のときと同じように、しょうがないなと折れたふりをするの。素直じゃなくてごめんね。でも世界一可愛い私に免じて許してね。
「……あーもう、しょうがないな。……死んだら許さないから。世界一幸せで、世界一お金持ちのお嫁さんにしてね」
「ハッ、よゆーだわ!」
飛びつくようにぎゅうっと抱き着いた。世界で一番自分を理解してくれる人。世界で一番幸せにしてくれる人。
私もいつか幸せにできたらいいと思う。まだまだ、お兄ちゃんより大事だなんて言えないけど、いつかそうなればいいと思う。
この気持ちに嘘はない。お兄ちゃんの次に、私は勝己が大好きよ。