君に拍手を




 幕は降りる。
 それは然るべき時、然るべき場所において、どんなものにも平等である。
 カーテンコールを望むことも出来ず、ただ登場人物の退場を見届けるしかないのである。どれだけ愛した舞台であっても、だ。

 かの有名な学者が示したように、私たちは「起こるべくして起こる」世界を生きている。このようなことは、人智を超える存在、例えば神のようなものでなければ、いわゆる「運命」など知ることも出来ない。確かめようがないのだ。ゆえに、多くの人間は自らの選択は全て自らが行っていると考える。
 しかし、私はあの学者の論が正しいことを知っている。

 簡単に言ってしまえば、生から死までを一幕とした長い長い命の台本、また別の言い方をすれば、ある一人の人生の詳細な年表を読むことが出来る。
 それを知ったのは、ある程度の分別がつき、見えないものが見えるということに気がついた小学校三年生の頃であった。

 当時、「おばけがみえる」という私を気味悪がって同級生たちに虐められるようになった。いじめっ子が強く私の肩を押した時だった。廊下の壁にどん、とぶつかって、私はその子の「未来」を見たのだ。
 もう少し正確にいうと、その子が進むであろう一生の内、ごく近い未来に関する情報を得た。押し退けたあと、大笑いをしてから数回蹴り、周りにいた児童と共に教室へと帰っていく、ということだった。察しの通り、私は「キモイんだよ」と大笑いをされて、蹴られ、周りの児童には無視をされて廊下に置き去りとなった。

 同じようなことが数回続き、未来が見えるかもしれないという仮定は確信へと変わった。こんなこともきっと普通ではないと踏んで、「幽霊が見えること」と同じように、異分子要素である「未来がわかること」は秘密にしておくことにした。
 場合によっては数日先まで知ることになった。例えば、突き飛ばしてきた別の子供は、数日後また同じように私を突き飛ばすらしい。そうとわかれば避けようと思うのが通常の反応で、幼い私は妙な怪我はしたくない。教室の自分の席で椅子にへばりついていたのだが、そんなことはお構いなしに、椅子ごと私を突き飛ばしたのだ。派手な音と、鈍い痛みを幾度か繰り返した時、「未来は絶対に変えられない」ということを理解した。とはいえ、知っていると心構えができるというもので、来る、と思えば受け身は取るようになった。

 心配した両親は、有難いことに私を守ってくれた。
 ある日、いじめが過激化し、ぼろぼろになった教科書をランドセルから出した私を見て、涙を流して抱きしめてくれた母から流れてきたものは「夫の〇県K市への転勤。娘と共に引越す」というもの。その後、滔々とながれてくるその年表は、母が病気にならず天寿を全うするところまで見せた。母の背中に手を回して、自分が数年後にこの優しい両親の元を離れることだけを頭の隅に残しておくことにした。


 見た未来の通り、引っ越して生まれ故郷から離れた場所へきた。反省から、学校では静かにしていることにしておいて、変なものが見えても、見えていないふりをした。無駄に人の未来が見えるというのも、気分の良いものではないので、なるべく接触しないようにしていたから、当然のように仲の良い友達もできなかった。

 閑静で、緑が美しいこの地域には文化財と言っても差し支えないほど、古く立派なお屋敷があったのだが、そこに住む同い年の少年と知り合った。私が幽霊を見ないようにしずかにそろりと歩いているところ、数人の大人を後ろに従えた彼に声をかけられた。

「お前、見えてんの?」
 もしやついに人ならざるものに目をつけられたのか、と思い心の中で神様に祈った。痛い目だけには合わせないでください、と。
 怯える私を認めた少年は、私が通り過ぎた場所にいたおばけをシャボン玉を割るように易々と吹き飛ばした。
「もういねーよ」

 真っ青な瞳を輝かせた白髪の少年の名は、五条悟と言った。
 悟くんは私が見えるものの正体について教えてくれた。見えてはいけないものが見えるのなら、もしかしたら同じように未来も見えているかもしれない。そう思って聞いてみたが、よく見える眼を持っているという彼であっても、先見の力はないようだ。
「お前が言う未来は知らねーけど、幽霊はいる」
 私が話すことを否定もせず、悟くんは軽く流した。彼の屋敷に招待されて、だだっ広い和室に子供二人。お菓子とジュースを挟んで、色々と興味津々に聞いてくることに答えていた。
 同世代の子供とは関わりがなかったため、同じ様に幽霊が見える人だということだけでなく、じっくりと話ができることも少し嬉しかった。

「悟くんは、おばけ怖くないの?」
「ぜーんぜん。あー、名前だっけ。お前、呪力もそこそこあるし、祓う練習したら? なんなら俺が教えてやるけど」

 私が見えているものは呪霊といい、さまざまな方法で人に害を与えるため、退治する呪術師という人達がいるということも知った。
 悟くんとはすぐに打ち解けた。無駄なおしゃべりはしないから気に入った、と彼から直接言われたときは、なんと答えたものかと曖昧に笑い返すしかできなかった。お互いに友達も少なく、珍しい存在だったのだろう。
 彼と頻繁に会うようになってから、以前より明るくなった私をみて、両親は「良い友達ができたんだね」と、自分のことのように喜んでいた。

 悟くんとはいくつかの約束があった。まず第一に、「五条」という名前を出さないこと。彼の家は色々とめんどそうなことを、屋敷の広さから察した私は二つ返事で了承した。第二に、未来をなるべくみないように、人に話さないように。これは以前から心がけていたことなので、板についてきていた。
「もし事故で見えても、気にすんなよ。気分悪くなるだけだし」
 私の未来が正しいかどうかを判別するために、何度か試していた時、立て続けに未来を見すぎてヘトヘトになっていた。いろんな情報を一気に受け止めることは、脳が処理不能に陥るんだそうだ。
 悟くんの世話役の人たちにちょっとだけ触れて、悟くんにこそっと伝えて、その正誤を判断する。私のいうことが本当らしい、と理解してくれた悟くんは、お高いチョコレートを口に放り込んで、座り込んだ私にも銀紙に包まれたままのそれを投げた。
「悟くんもそういうことあった?」
 受け取って同じように口に入れた。甘くて、優しい味だった。
「ちっさいとき」
 隣に座った悟くんは、うげ、と顔をしかめた。中学に上がる頃には綺麗な眼をサングラスで覆うようになっていたのも、そのせいだろうか。

 悟くんと色々と試しているうちに、私が見える未来には限りがあるということも判明した。行動などは詳細にわかっても、話す内容はわからないこと。他人の未来は見えても、自分の未来は見えないこと。
 そして、五条くんの未来もわからないこと。

 悟くんが無下限を解いた状態で私と手を繋いだことがあった。引越して一年くらい経った頃の習い事の帰りだ。夕方の薄暗い時間で、不意に呪霊に襲われ、まだ呪力の使い方も分からず丸腰だった私は逃げるほかなかった。急いでやってきた悟くんが祓ってくれて、そのまま無言で手を引かれて家まで送ってもらった時のことだった。

 彼から流れてくる情報は、幾重にも重なり合っていた。
 見えるのは濃淡のついた青。ところどころにきらきらと光る粒。
 水墨画に描かれる清流のように穏やかな彼の未来は、言語化されない分、非常に静かなものだった。

 色々とお手伝いさんたちや本人から話には聞いていたが、彼は確かに規格外らしい。
 悟くんと私自身の未来は、他人の未来の中に出てくるものしかわからないのだ。お手伝いさんに触れたときに見えた、「悟さまとご友人に和菓子を出して、隣の部屋で待機する」というように。

「悟くん、高校どこに行くの?」
 小中と時はすぎ、そろそろ進路を決めなければならない。
「呪術の学校。高専」
 どうでもいい事のように答え、私が持ってきた本をペラペラ捲っている。
「へえ」
「名前も一緒な。もう話は通してあるから」
 ぱちくり、と目を瞬かせ悟くんを見返す。彼は静かな私の返答を見れば、菓子鉢からその目と同じ色のまん丸の飴玉を摘んだ。客観的に見て、奇妙な友人関係だと思う。

 時折こんな風に、悟くんが言うことが「確かな未来であるらしい」と、疑う必要もない感覚を抱いた。どこかで見た未来の答え合わせがなされているような気にもなった。悟くんもその事をわかっているのだろう。どうして、だとか、勝手に進めるなよ、とか文句を言わない私にわざわざ確認することもない。
「ここから離れて一人暮らし?」
 これがあの日、母の未来の中に見た私の未来なのだろう、と理解した。さてどんなに遠くに行かねばならないのだろうか、とぬるくなったお茶の表面をゆらゆらと動く光に視線を移した。
「……また未来見たのかよ」
「ずいぶん昔にね」





「この学年は全員で四人。仲良くするように」
 担任の夜蛾先生は、諸々の注意事項や高専での生活について説明し終えると、そう言って教室を出ていった。
「ね、どこの出身?」
 隣にいた女の子、家入硝子が気だるげな目をこちらに向けた。
「〇県からだよ」
「へぇ、結構遠いね」
 悟くんを挟んで向こうに居た男の子、夏油傑が少し首を伸ばして話に加わる。大人びた顔立ちで、悟くんとはまた違ったタイプのイケメンという印象を抱く。
「悟くんも一緒で」
「ん」
 どうでもいいだろ、ということを、たった一文字にひしひしと感じるが、話をする気も、慣れあう気も無い故の無関心のようだ。私は突っ込むこともせず、二人と話を続けた。弱いやつはどうでもいい、という顔も、いつもの事だ。

「そうだ。メアド、交換しよ。私のことは硝子でいいから」
 同性同士という気楽さからか、携帯をすっと取り出して、彼女は微笑んだ。
「うん。硝子ちゃん、ね」
 赤外線でお互いの連絡先を交換した。同級生の連絡先など、悟くんを除いて初めてに等しい。
「私もいいかな」
「もちろん!」
 スマートに聞いてくる夏油くんとも携帯の背面を合わせて、二人の名前を登録する。悟くん以外では、同世代で呪霊が見えることを隠さないでいい人と話せることは初めてだった。少し舞い上がっていたかもしれない。

「実習だとかで必要だろうし、悟くんには後で私から送ってもいい?」
 先程、夜蛾先生が互いの連絡先を知っておくように、と言っていた話を思い出した。尋ねると二人分の頷きが返ってきた。
「二人は仲良いの?」
「幼なじみ、みたいな感じ」
 夏油くんの質問に、ぼかした返事をすれば、「名前、プリン買いに行こーぜ」と言って悟くんは立ち上がって出ていった。相変わらずの態度はここでもか、と思うが慣れてしまった。私は二人に「また明日からもよろしくね」と言って自己紹介を終えたのだった。これでは私が悟くんのお付か何か、と思われてもおかしくないな、と内心苦笑いで私も教室を出た。
 長いコンパスで随分先を行く悟くんに、猛ダッシュで追いついたら、歩幅を小さくせばめてくれた。
「あんま近づき過ぎるなよ。呪術師はろくな死に様じゃない」
「心配してくれてありがとう。ちゃんと約束は守るから、大丈夫」


 心配していたよりすぐ、私たち同学年は仲良くなった。何年もの友達のように、私たちは馬鹿なことをして、笑いあう日々だった。
 悟くんと夏油くんは並んでものすごく強くなって、二人が揃うと「最強」の二字が相応しいように思えた。私も彼らほどではないけれど、いくらか任務をこなすようになったし、悟くんや夏油くんの援護として呪霊をたくさん祓った。

 あれは二級討伐の任務帰りだった。夏油くんと全て祓い終えて帳が消えたと思えば、ちょうど雨が降り始めてきた。
「タイミングいいなあ」
 私は空を見上げて、これからもっと降ってきそうな雲に独りごちた。ぽた、ぱた、と頬に雨粒が落ちてくる。

「名前」
 夏油くんが後ろからやってくると、上着を脱いで私の頭の上を覆うように広げた。

「夏油くん」
 顔を向けると、微笑んだ彼に濡れた頬を指でさっと拭われた。
 夏油くんと私は走って補助監督さんが待つ車で戻り、それからたくさん話をして高専まで帰る。そういう未来が少しだけ見えた。触れた指は優しかった。

「走って車まで行こう、濡れてしまう」
 私に歩幅を合わせて、湿った地面の上を小走りでいく。土草の濃い香りと、強まる雨脚。隣で走る人から漏れる軽やかな笑い声。つられて笑った。
 結局びしょ濡れで駆けてきた私たちを見て、補助監督さんが慌ててタオルを出してくれた。

 帰りの車の中、程よい疲労感と雨がもたらす静けさ。
「そういえばさ」
 沈黙に耐えきれないようで夏油くんが話し始めた。ぼうっと窓ガラスを打つ雨の滴が落ちていく様子をただ見ていただけなので、「どうしたの?」と言って続きを促す。
「悟が君に呪力の使い方を教えたって聞いたよ」
「うん。ひろーいお屋敷の庭でね、ちっさいのからちょっとずつ」
 私が幼い頃に悟くんと呪力操作を教わり、その後のおやつの時間に高級なお菓子をたくさんもらった話。夏油くんが買い物に行った時に、悟くんが買うものの値段の桁が普通じゃないと言う話。今ここに居ない友だちの話をあれこれと喋っているうちに、いつの間にか高専についていた。
「一般家庭出身だと、色々と感覚が違うよね」
「だよねー。悟くん、今頃くしゃみしてたりして」
 なんて言いながら、笑って話すのがとても楽しかった。友達が増えて、そしてお互い仲の良い友達の話をして、今まで親しい友達を作ってこなかった私には、こんな幸せが怖いような気もする。

「何、お前ら、近え」
 私と夏油くんは顔を見合わせて笑う。さっきまで話題に上っていた当の人物が、「はッくしゅん!」とくしゃみをしたのが余計におかしくて。
 悟くんは無言で私の濡れた髪にタオルを一枚のせてから、ぐい、と私の腕を引っ張る。
「あ、ありがと」
「お前はもう少し距離感考えろ」
 と私に小言を言って、もう一枚持っていたタオルを夏油くんに向かって放る。夏油くんは、投げられたタオルを受け取って、ありがとう、と言うものの、むっとした表情をしていた。
「……悟、嫉妬は見苦しいよ」
「んだと」
「一発やるかい」
「やってやろうじゃん」
 とか言ってグラウンドに行くもんだから、通りかかった硝子ちゃんと「元気で馬鹿だなあ」と笑った。


 その週末、悟くんとの任務だった。
「あのさ」
 廃校跡の探索をしていると、悟くんがぽつりという。
「お前、誰かと付き合ったことあったっけ」
 あまりに唐突な言葉で、目を丸くする。恋の相談をするにしても、場所を間違っている気がするが、私は突っ込まずに首を横にふる。

「ないよ。友達ですら少ないのに」
「もし、付き合おうって言われたらどうすんの。その……名前は、未来が見えるじゃん」
「うーん、でも、そうなってみないとわからない」
「ま、お前が告白されるなんてとこ、見たことねえしな」
「さらっとひどい」

 軽口を叩くような、いつもの調子に戻った悟くんが笑い声をあげる。何だったんだろうな、と頭をひねっていると、奥から悲鳴が聞こえてきた。
 悟くんはサングラスをすっとずらして、その目で確認している。報告にはなかったが、遊び半分で入ってしまった人がいるのだろう。
「名前、怪我すんなよ」
「分かってるよ」

 それから、さらに数週間後のこと。久しぶりに夏油くんとの任務の後だった。
 この前の悟くんの話はこの事だったのか、と一人心の中で納得していたのは、空き教室で記録を書いていた時だった。この日は晴れで、祓い終わってから見上げた空が、透き通るオレンジ色で、気分が良かったし、上手くいったことで多少高揚していたのだろう。私も、彼も。

「入学してからずっと、名前が好きなんだ。私の彼女になってくれないかな」

 夏油くんはペンを置いて真っ直ぐに私を見た。
 好きになるだとか、付き合うだとか、そういうこととは無縁だったから、恋とか愛とかどういうものかも曖昧だった。
 ただ向けられる好意を無碍に出来ないと思ったし、付き合って見たらわかるかも知れないし、
「いいよ」と答えた。
「嬉しい」
 そう言って彼が頬を染めていたのは、夕陽のせいじゃないと知っている。





 私が夏油くんのことを傑くん、と名前で呼ぶようになって、たわいもない話を沢山して、笑いあって、手を繋いだ。

「今日ね、硝子ちゃんと買い物行って、これ買ってきた」
「私に?」
「そう。この前アクセくれたでしょう? そのお礼! あけてみて」
「ピアスだ」
 笑みが広がり傑くんは早速つけてくれる。
「しかも、君にあげたのとお揃いの色」

 ありがとう、宝物だ。
 そう言って私の手を握る。明日、彼が怪我してしまうと見えてしまっても、帰ってくるから大丈夫と、柔らかな視線を向けてくれる傑くんを静かに見つめ返した。無理はしないでね、と伝えるように。

「抱きしめてもいい?」

 しかし、頷いた私はあまりにも愚かだった。付き合うということは、人を好きになるということは、それ以上、長い時間、触れていたいと思うものだということを知らなかったのがいけなかった。

「すき」

 そうやって言葉に出すように、私は傑くんのことを愛おしく思い、好きになっていた。

「私も、名前がすきだよ」

 傑くんはこんなにも優しく触れてくれるのに、優しく答えてくれるのに、未来はいつだって冷淡な現実を押し付けてくる。

 初めてのキスだった。

 死の味がした。

 ああそうか、怪我なんかで終わらせてはくれないのか。悟くんが言ってたこと、守れなかった。いや、違う。これは無闇に触れないという縛りには当てはまらない。だから見えているんだ。
 傑くん、何を思ったの。
普段より近い距離。他の誰よりも大事な人だったのかと今気づくなんて。
 傑くんは、その人に何を言われるの。
想いが強ければ、関係が強ければ、
 傑くん、待って、まだ行かないで、
流れ出る未来の年表は詳細になり、最期まで見せる。
 傑くん、どうして?
そして覚えていたくないものほど、しっかりと私の脳に刻み込まれる。
 私たちを置いていかないで。
何年も、人の未来を見てきたから、これは真実を見せると言うことを知っている。だけれど、流石に嘘だと思わせてよ。だって、だって、まだ、触れたばかりなのに。
 彼がここから離れるなんて、そうして、そうして

 “2017年”

 どうしてそんな事になっちゃうの。
 誰のせい?
 どうして私に未来を見せるの。
 私は救えないの?
 変えさせてくれないなら、神様、どうしてあなたの目を分けてくれたの。

「どうしたの、調子悪い?」
 どうか、私の顔を見ないで。どうか何も気づかないで。
「ごめん、びっくり、しちゃった」
 固まってしまった私から、そうっと離れて、俯いてしまった私の手を握る。
「私とキスするの……いや、だった?」
「ううん」
 私にできる目一杯の、嘘の笑顔で抱きしめることしかできない。


 二年になっても、私は相変わらず彼の未来を隠し続けた。未来が見えると言ってはいけないから。護衛任務に行ったあと、傑くんは目に見えてやつれていった。無理もない。
「ちょっと任務休ませてもらったら?」
 訓練に明け暮れる悟くんとも前のように、馬鹿な話をしなくなった。教室は、静かになっていった。
「心配してくれてありがとう。でも、しなくちゃいけないことだから」
 本当にそう思っているのだろうか。なんて聞けやしない。
「そっか、傑くん、偉いね」
 
 今日、九十九という呪術師にあったはずだ。
「傑くん」
 ベンチで座って俯いていた傑くんの肩を叩いて、彼にお菓子やら飲み物やらを入れたビニール袋を渡す。
「名前……」
 見上げた顔色が悪い。何か言われたのだろうか。それとも任務が苦しかったのだろうか。
「お疲れ様。さっきコンビニ行ってきて買ったの、一緒に食べよ」
「ありがとう」

 体を重ねても、都度流れてくる未来を見ないようにすることでいっぱいで、痛がってると思われて優しくされるともっと苦しい。
 そう。苦しいはずだけれど、悲しい涙は流れないし、先が怖いと思うことも無い。本当は苦しいなんて思ってないのかもしれない。私はとても薄情な人間なんじゃないかと、微笑んで頭を撫でてくれる人の、服の裾を掴んでいるだけしかできない。私からは無闇に触れられないから。
「傑くん」
 傑くんは、もし辛い未来が分かったらどうする?
「なあに?」
 甘く優しい声にほろりと溶かされる。見上げて視線をあわせると、あたたかな手が私の頬を撫でる。
「……ううん、呼んだだけ」
「ふふ、名前はかわいいね」
 浮かんだ疑問なんて聞くだけ野暮だ。そもそも、任務のことだって話したがらないし、「顔色悪いよ、大丈夫?」と聞いても、「寝不足なんだ。後で一緒に昼寝しよう」としか返ってこない。

 今日、目の前で、後輩が死んだ。
 私は一年生と一緒に任務に行っていた。私たちでは太刀打ちできない等級の呪霊。初めに伝えられたのは嘘の情報だった。わかっていた。彼が死んでしまうことも、その後、もう一人の後輩がぼろぼろで、傑くんと話をすることも。
「もう、あの人だけでよくないですか」

 どれが、傑くんの心を変えるのだろう。
 どれもが、原因になるだろう。

 神様に未来をもらった代わりに、口を閉ざされた私は隣に立っているだけ。


 秘密にしていたいこと、というのは人には幾らでもある。たとえ親しい間柄だとしても、そこに足を踏み入れることは禁忌だとする人もいる。
 だから、私はこの先の未来を知った上で、
「ちゃんと帰ってきてね」
 と言うのだ。
「うん、いってくるね」
 あの日の朝も、いつもと同じように言葉を交わす。私が何を言っても、何をしても、未来は変えられない。過去が変わらないのと同じ。

「だいすきだよ」

 帰ってこない彼に、私の言葉は届いたのかな。





 もう誰の未来も見たくないと願えば、そうすることができるのだろうか。
 今日、傑くんは私以外の二人と会ったのだろう。携帯のカレンダーを見て、彼がいたベンチに座っていた。
「名前」
 飛んでいって、飛んで帰ってきた悟くんは、呆然としている私を見つけて駆け寄ってくる。
「……分かってた?」
 悟くんの声にただ頷くしかない。
「なんで言わなかったんだよ」
「言えないに決まってんじゃん」
 開いたままの携帯の画面に映っているのは、四人で笑っていた日常の一瞬。
「私だって、どうにかしたかったよ。でも、何をしても、何にも変わらないの、悟くんも知ってるでしょ」
 もう誰かのせいに、何かのせいにしてしまいたかった。傑くんが、去ってしまったのは誰のせいでもないのに。
「……ごめん、お前に言ってどうなるわけでもないな」
 涙さえ流れない私を、いいかどうかも聞かずに抱きしめる腕からは、穏やかで、怖いくらい優しくて、かなしいほど美しく、青い未来。
「僕は、置いていかないから」

 卒業をしてから、私は悟くんや硝子ちゃんと同じように、母校で働くことを選んだ。選ばされた、そう言っても違いないだろう。彼はいない。そう言い聞かせて毎日、毎日、働いて、何人を見送っても、やっぱり涙は流れない。
 青い未来。晴天の海でキラキラひかる反射光のような未来は何年経っても、この日でも変わらなかった。今日に限って「包帯巻いてくれない?」と、未来と同じ色の瞳を向けて面倒なお願いをしてくる悟くんには、当然、今日がどんな日なのかは話していない。未来については言わない、それが彼と結んだ縛りだから。

 私はこの日が本当に嫌いだった。この日が来る前からずっと。
 子供たちは傷つく。死なないけれど、その傷からは守ってやれない。
 目の前でまた、大切な人たちが、傷ついていく。
「名前、来ちゃだめだよ」
 背後に私の呪力を感じてだろうか、壁に向いたまま、震えた声で悟くんが言う。赤黒く、影になったそこに、誰がいるのか私は知っている。だって、未来を知っていたから。
「傑くん!」
 無視して、赤く染まり上がった彼の前に跪く。止まらず流れ出てくるものを抑えようと、手を伸ばす。
「せ、い、ら……」
 息が、漏れ出て声にならないで私を呼んでいる。真っ赤になった手は、傷口を全て覆うことなんて出来ない。もうあと残り少ないことなんて知ってる。
「傑くん」
 分かっていてもそうするしかない。この先に、暗い駅があると言うことしか彼の未来は伝えてくれないと、知っていても彼をの名前を呼び続けるしかない。
「傑」
 重なった私と悟くんの声。

 ごめんね

 声もなく四文字を伝えた口元は緩く閉じられ、傑くんは微笑んで息を引き取った。

「もう、ぜんぶ、忘れ、て、ねむって」

 彼の赤い血溜まりに、私の透明な雫が落ちて滲んでいった。

 分からないその先を、知るはずもないその未来。
 私はただ、客席で見届けるしかない。
 愛した彼らが懸命に、この世界という舞台に立っていたということを、忘れないために。

 心からの拍手を。










  主演:夏油 傑


    閉幕









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un reve fraise