一月三日。頭の上にはスメールローズが咲いている
一月三日。その日は一年の中でルリが最も大切にしている日といっても過言ではない。今日を楽しみに前日に早く寝ることも、朝早くから活動することも、目覚めが一番いい日なのも、何も変わらず、ルリは新しいこの幕開けに心を弾ませていた。
「それじゃあ藤哉くん、私ちょっと行ってくるね」
弾んだ声に一瞥を向ける藤哉は、ルリがどこへ何の目的で向かうのか分かっていた。毎年この日の行動は決まっていて、尋ねるまでもなく、あまりにも当たり前で自然なことであったからだ。
いつもなら適当な返事をして、さも僕は興味なんてありませんなんて風を装うのだが、今年はどういう風の吹きまわしか、気まぐれが起きたようだった。
「僕も行く」
「え?」
意外な返答にルリの瞳がぱちりと瞬く。藤哉はルリのキャンディのように甘い瞳をわざとじっと見つめて僅かに口調を尖らせた。
「僕が来ちゃまずいのか? どうせ何か分かってるんだから僕が一緒に行ったところで何の問題もないだろう。それとも嫌なのかい?」
「う、ううん! そうじゃないの。藤哉くんが一緒に来てくれるって思ってなかったからびっくりしちゃって……えへへ、藤哉くんとお出かけできるの嬉しいな。今日は朝からすっごくいい日だね」
にこにこと愛想良く笑うルリが藤哉の手を取る。きゅっと結ばれる指先に幾分か機嫌を持ち直した彼は、ふんと鼻を鳴らした。「それじゃあ、レッツゴー!」とどこかはしゃいだ様子で歩く隣の少女を、藤哉は横目で見つめる。ほんの少しの好奇心というものか、それともただの気まぐれなのか。それは藤哉自身ですらも分からなかった。
一月三日。それはルリの大切な日。スメールの町並みは今日も変わらず日常を描いている。何の変哲もない、ありふれた光景。
それでもルリは何が楽しいのか、市場にある新鮮な果物に目を輝かせたり、露店の小物に目を惹かれたりと、随分と忙しなかった。
スメールシティの外れ、豊かな緑が広がり、芳醇な香りが漂う平原で、ルリは鼻歌を口遊みながらスメールローズの花冠を編んでいる。律儀に十一本数えては摘んで、丁寧に丁寧にと編んでいく。『香りが強すぎる』なんて言って以前の藤哉ならば顔を顰めていただろうか。花冠にして少し時間の経った頃、渡されていたそれより、随分と芳しい香りがした。
藤哉は何を言うでもなく、かといって何をするでもなく、ルリが隣で花冠を編むのをただ黙ってみていた。慣れた手つきで編まれるそれは、単純な作りではあるものの、十分に真心が感じられるような気がした。たかが花輪ひとつに何を思うことがあるのか。自らに訪れた僅かな変化を誤魔化すように、ちょうど近くに咲いていたスメールローズを一輪手折った。そうしてそれをくるりと指先で弄ぶと、そのままルリの髪へとそっと挿してみる。上等な簪のそれより随分と素朴で、とても長持ちなどしそうにない花だったが、彼女の藤色にはよく似合うように感じられた。
「と、藤哉くん……?」
返事はない。驚いたように瞳を丸くしたルリは、ついで状況を理解すると頬を薄く染め上げた。頬紅を差さずとも、藤哉の目から見てもそれは十分に見えた。
何も言わなかった彼は、けれど暫くして耳に触れ、髪を流し、頬へと触れ、そしてふと笑った。
「よく似合ってる」
気まぐれな世辞にしては藤哉の表情は常のそれよりもずっと穏やかで、玲瓏な響きを持つ声ですらずっと柔らかに感じられた。
ぽかんと口を開けて、真っ赤な顔で固まったルリに、彼は堪えきれないというように笑い声を上げる。まるで少年のような邪気のない笑い声だった。
そんな顔を見れるなんて思わなかったルリは、驚いて、完成が間近だった花冠を急いで編み終えると、藤哉の頭に被せた。今日の主役。最もめでたく、最も素敵な一日の始まりのために。あなたが好きだという気持ちを込めた花冠をルリは今年も最愛の人に贈る。
「お誕生日おめでとう、藤哉くん!」
一月三日。それはルリの大切な日。スメールの町並みは今日も変わらず日常を描いている。ありふれた光景の中、スメールローズが本日の主役を彩っている。
眩しいほどの笑顔と共に、最愛の人へと「大好きだよ!」と愛を告げる彼女に、藤哉はほんの少しだけ、温かな光を瞳に宿す。
「知ってるよ。おばかさん」
一月三日。それは自分が生まれた日。誰に祝われることもなかったはずの、遠い記憶。頭の上にはスメールローズが咲いていて、本日の主役を彩っている。
一月三日。ようやくこの日を、彼は愛せるようになったのかもしれない。