妖怪、兎狸の血を引くルリにとって、力仕事は何ら苦ではなかった。小柄な体躯、可憐な容貌にはいささか不似合いなハンマーを武器として愛用するのもこのためで、仕事柄テイワット各地を巡り、野営をすることも珍しくない彼女のその手つきは、実に慣れたものであった。
 今回もそうやって、当然のように今日の寝床を率先して設営するルリを横目に、藤哉は両腕を組んだまま、微妙な表情を浮かべる。
 しっかりとテントの骨組みを立てたルリの手は、次にはもう天幕へと伸びていた。

「さすがにそれを一人でやるのは無茶なんじゃないか?」
「え?」

 いつもは一人用のテントを設営していたルリだが、今回は藤哉も共に野営することになり、二人用にしてもまだ十分な大きさのテントを用意していた。その大きさにも藤哉は物申したいところがあったようだが、そんなことを素直に口に出せるわけもなく、僅かに睨みつけるように一瞥するのが精々であった。
 けれど、今の今までテキパキと一人で設営を進めていくルリに、彼もいい加減、口を挟まずにはいられなかったらしい。『何か僕にいうことがあるんじゃないか』とルリの反応を待つ藤哉だったが、肝心のルリはといえば、にっこりと笑って首を振った。

「ううん、これくらい大丈夫だよ! 私すっごく力持ちなの。すぐにできるからもう少しだけ藤哉くんは待っててね」

 屈託のない微笑みが憎らしいほどに眩しかった。舌打ちをしたい衝動を堪え、藤哉はもう一度口を開く。今度は先ほどよりも分かりやすく話したつもりだった。

「……この大きさと高さを考えるに、君より飛べる僕の方が適任なんじゃない?」
「えへへ、私結構ジャンプ力には自信があるんだ〜。ちょっと見てて。そ〜れっ」

 気の抜けそうな掛け声からは想像もつかないほど、それは見事な跳躍だった。大きく跳んだルリの影が、藤哉を覆う。手際よく張られた天幕はぴんとしていて、ケチのつけようもなかった。

「お待たせ〜! これでいつでも休めるよ……って、どうしたの、藤哉くん……?」

 何だかすごい顔をしている藤哉に、ルリは困惑した表情を向ける。藤哉はといえば、色々と言いたいことをぐっと飲み込んで「何でもないよ」と不貞腐れたようにテントの中で横になるだけだった。怒っているわけではない。けれど、胸の中は燻ったまま、釈然としない思いが滔々と渦巻いていた。
 その変化を敏感に察知したルリは、彼の様子を伺うように近くに寄って顔を見上げる。

「あの、藤哉くん……私、何かしちゃったかな……?」

 視線だけを寄こして、沈黙する藤哉に、ルリは慌てて言葉を重ねる。わたわたと忙しなく両手は動いていた。

「地面が硬かった? それとも陽の向き方が悪かったかな? 忘れ物は……してないと思うけど、えっと……お腹が空いた、とか……? なんて……」

 否定も肯定も返っては来なかったが、その瞳を見れば違うことはルリにも分かった。しゅんと小さくなるルリに、藤哉は短く息を吐いて、口を開く。

「君、僕の方が君より力がないと思ってるのかい?」
「え? えっと、それは……」
「どうなんだ」
「う、それは……その、私は半妖だし……そういうものっていうか……その……はい」

 尻すぼみに声は小さくなったものの、藤哉の無言の圧力には抗えず、頷いたルリは慌てて弁明した。

「でもだからって藤哉くんの力がないって思ってるわけじゃないんだよ! 藤哉くんは、すごく綺麗なお顔をしてるし、スタイルもいいけど、ちゃんと男の子なんだなぁって――わ、あっ」

 それは擁護なのかわざとなのかとピクリと反応した藤哉は、ルリが言い終わるより先に、立ち上がって、流れるような所作でルリを抱え上げた。不意に近づいた距離と、滅多にない彼からのアクションに、ルリの瞳は丸みを帯びる。

「まったく君は……一言二言余計だよ」
「と、藤哉くん……」

 誰が眉目秀麗で華奢だって、と口にするはずの嫌味は、瞬く間に薄桃に染まった彼女の顔を見たら、どうでもよくなってしまって、代わりに出たのは彼にしては穏やかな音だけだった。

「ちゃんと僕のことを男だと認識しているようで何より。後はそうだね、もう少し僕の使いどころをよく考えることかな」
「……それって……もしかして、もっと頼っていいってこと……?」
「そうじゃなかったら何なのさ」

 呆れたような表情を浮かべる藤哉だが、その表情は馬鹿にするというより、幾分か柔らかいものが含まれていた。しばらくして、合点がいったルリは、興奮したようにがばっと藤哉に抱き着く。

「ありがとう! 藤哉くんっ」

 力いっぱい締められる首に一瞬詰まりかけたような気がした藤哉だったが、屈託なく笑うルリを前に、まぁいいかと息を吐いた。何より今の今で、やっぱり加減しろなんてそんなかっこ悪い真似など、藤哉のプライドが許すはずもなかった。
「はいはい」なんて、軽くあしらうような相槌の中、彼の口元が僅かに綻んでいたのを知るのは、静かに天幕を揺らす風だけだった。