本編
藤哉がシムランカの勇者であることが発覚して、悪龍を倒すため、根城へと向かったはいいものの、一同は強烈な違和感に襲われていた。
それもそのはずで、噂に聞いていた悪龍とはどうも事情が違うらしい。彼の記憶を垣間見る度、それは色濃く影を落とし、巨龍もまた、救われるべき存在であることは明白であった。
一人、先行した藤哉には何か思うところがあったのだろう。自らの生い立ちと深く重ね合わせた彼は、無意識に熱くなる激情をひた隠しにしながらも、巨龍――ドゥリンへと手を伸ばした。
「何者も君を定義は出来ない……」
「何者も君の心を否定はできない……」
「さあ、その名を思い出せ――」
「――ドゥリン」
もう大丈夫だと口にしたその声には、優しい温もりを感じた。ドゥリンから戦意が喪失されると、今まで気を張っていた力が抜けたように、下へと落ちていってしまう。慌ててドゥリンを助けようと急降下する藤哉の視界の端で、見慣れた藤色が踊るのが見えた。
「藤哉くん! 遅くなってごめんね〜!」
「ルリ!」
この世界に拘束されることを厭い、悪龍退治を急いだ藤哉とは逆に、ルリはシムランカを知る旅をすることにしたことから別行動していたのだが、ある意味最高のタイミングで合流してくれた。皆まで言わずとも藤哉の言うことを察したルリが落下の衝撃を和らげるため、勢いよくハンマーを地面に奮う。凄まじい風圧で押し戻されたドゥリンの身体をゆっくりと下ろし、一先ず事なきを得るのだった。
「この子が皆の言ってた悪龍……?」
「……ドゥリン。それが彼の名前だ。悪龍っていうのも、噂はあくまで噂でしかない」
腕を組んでそう口にする藤哉に何かを察したルリは、「そっか」とにっこり笑う。
下には書斎のようなものがあったが、二人はひとまず旅人たちと合流しようと上へと登っていくことにした。
「ルリ! やっぱり綺良々が言ってた一緒に来たやつってお前だったんだな!」
「うん。みんなが悪龍退治に向かったって聞いて、急いで来たんだ〜。間に合って良かったよ」
「っていうか、さっき笠っちのやつ……あの龍のこと、ドゥリンって呼んでなかったか……?」
ドゥリン。それは「黄金」のレインドットの創造物の一つだ。ドラゴンスパインに深く眠っているはずの、モンドの悪夢。けれどこの龍もまたドゥリンで間違いはなかった。
運命の女神は、レインドットが創造したドゥリンの結末を憐れみ、ドゥリンに新しい物語を与えることにした。それがこのシムランカのドゥリンだ。
彼女、Mはドゥリンがこのシムランカの民たちと仲良く暮らし、自分の物語を見つけることを望んだが、Mの寿命は物語の彼らより遥かに短く、ドゥリンはひとりぼっちになってしまったのだった。
「ついて来い、下にすべての答えがある」
ドゥリンとシムランカの物語。妖精に、国王に、勇者に、長靴を履いた猫又。そして、月を追うウサギ。彼らに与えられた役割へとたどり着くためのヒントが、そこに眠っている。
大きな本を今こそ開こう。悲しい悲しい、悪龍の物語。それを、今――。
「これは……シムランカのドゥリン? 彼が見上げているのは、星……?」
「どうやら……これは「M」さんがいなくなった後のことみたいだね……」
「これは……鉱山の洞窟?」
「もしかして、積み木鉱山の作業員が深く掘りすぎて、次のページの世界まで貫通しちゃったのかな?」
「あ、このランプ、前のページの星と似てるような……?」
「祝福の森……この本、シムランカで起きたことをずっと記録してるんだね……」
「一つの場所に落っこちただけでこんなに大きな足跡が残るなんて……みんなが彼を恐れるのも無理はないかもね」
「……これがあんたが星を捕まえる理由? ママに会いたいのね」
物語を読み終えると、目の前に広がった世界に、大きな女神の神像が佇んでいた。それはオルビットのものとは違い、運命の女神――Mの神像であった。
ドゥリンは自らの巨体を小さく丸めるように、母親の神像に擦り寄る。それは怖がっているようにも見えた。
「……もう大丈夫だ、ドゥリン。ここには君を傷つけるやつなんていない」
『なぜ……なぜそんなことが言える? 誰かを傷つけてしまう恐れがあるのは、僕のほうなのに……』
「そんなこと言うなよ。確かにさっきまでおまえのこと誤解してたけど、落ち着きさえすれば、こうして話し合えるだろ?」
『いや……無駄だ。たとえ君たちが僕と話す気になったとしても……依然として上の世界の連中は、僕を恐れたままだからな……』
だから、だからこそドゥリンは願った。
この世界から自分の存在を消してほしいと。そう、願ったのだ。
「それであんな願いごとをしたのか……チッ……なんて愚かなんだ……」
「藤哉くん……」
その声が、ドゥリンにだけ向けられたようには思えず、思わずルリが心配げに声をかける。藤哉はぐっと掌を握り直すと、一度深呼吸をして静かに語り掛けた。
「君がここの連中と一緒にいたいのは、誰の目にも明らかだ」
「……」
「友人のように話したり、遊んだりしたい……自分を受け入れて欲しい、あるいは……少なくとも「謝罪」を受け入れて欲しい、そう思ってるんだろう?」
けれど、シムランカの民はまだ、これほど大きな隣人を迎える準備ができていないかもしれない。シムランカの一員としてドゥリンを受け入れてもらうにはどうしたらいいのだろうか。
「あんたは誰も傷つけたことがないし、誰かを傷つけようと思ったこともない! 驚かれることは多いかもしれないけど、それはみんながあんたのことを知らないからよ」
「うん、ちゃんと話をすれば分かってもらえるはずだよ」
「大丈夫だよ。きっとドゥリンくんの優しい気持ちは、みんなに伝わるはずだもん」
ナヴィアに綺良々、ルリがドゥリンを説得するものの、ドゥリンの気持ちは後ろ向きなままだった。積み木を積み上げるのは大変なことだ。けれども壊すのは一瞬で、それが不注意であったとしても、積み上げたものを取り戻すには多くの時間がいる。傷が癒えるのだって、それ以上の時間がかかるものだ。
『この「呪い」を受けた体がある限り、永遠に皆とは暮らせない……僕が触れたものはすべて積み木になる……僕が休んだ場所は草すら生えないんだ……』
「……呪い……」
呪われた体では謝りたくても謝れない。そこに存在すること自体が、大切なはずのみんなの脅威に代わってしまう。そんなジレンマの中で、妖精であるニィロウは何かヒントを得たようだった。
「……シムランカのみんなと一緒に暮らすことが、あなたの本当の願いなんだよね?」
『…………ああ』
「じゃあ目を閉じて、運命の女神に願ってみて。私たちが手伝うから」
それは祝福の魔法。このシムランカでそれぞれが与えられた、優しい力の使い方。ニィロウは僅かな緊張を感じながらも、静かに祈りを捧げた。





四人が伸ばした手から、光がどんどんと溢れてドゥリンに集まっていく。それは正しく「言葉」の魔法であった。
奇跡が、寄り集まって、形となっていく――。



寄り集まった六つの光。その魔法を前にドゥリンが思うのは母の言葉だった。
この世界を…お願いね…
そうして、奇跡は叶った。ドゥリンの巨大な龍の身体は、このシムランカによく馴染む可愛らしいものへと変わり、善意と仲間の寄り添いによって、新たな世界へと翼を広げることになる。
ドゥリン。シムランカの悪龍の物語は、こうして幕を閉じ、新たなドゥリンの物語が始まろうとしていたのだった――。