藤哉の場合
(まったく、面倒なことになった……)
思わず重い息が零れる。気分は最悪だ。ある意味絶好調とさえ言えるかもしれない。もちろん、ある意味≠ニいう枕詞がつくのは大前提としてね。
いつもより低い視線。柔い身体に結われた長い髪。見慣れた姿ではあるけれど、視点がこうも違うと勝手も変わるものだ。何より、性別上仕方ないとはいえ、この姿は色々と落ち着かない。早く元の身体に戻りたいというのが率直な感想だった。
(……やっぱり応答はなし、か)
いくら元素を流し込んでみても、機械遺物は沈黙したまま、何の反応も示さない。ただのガラクタに逆戻りしたままだった。その他考えられる手段は粗方出尽くし、ベタなところだと頭をぶつけてみても結果はこのざま。時間だけが無為に過ぎていった。
それでも僕にもルリにも生活がある。いつまでも家に引きこもっているわけにもいかない。ちょうどルリには打ち合わせも兼ねて出来上がった原稿を届ける用事もあった。幸い、直接八重堂まで赴かずとも、こっちに担当者が来ているというじゃないか。話をややこしくしないため――あの手の業者はこんな愉快なことになっていると知れば、嬉々としてそれをネタにするだろう――適当に風邪だなんだと仮病をでっちあげて同席する形で収まるはずだったそれも、僕≠フ方に急用ができたせいでそうもいかなくなってしまった。
結果、不本意ながら僕はルリのフリをして、打ち合わせに挑むことになったのだけど――。
「それで、ここなんですけど……思い切ってうさぎの色を桃色にしてみるのはいかがでしょう? 最近子どもたちの間ではうさぎを桃色にするのが流行っているようで……そちらの方がより馴染みやすいんじゃないかなぁと」
ふぅん……うさぎが桃色ねえ。そんなうさぎ見たことないけどな。子どもの考えることはつくづくよく分からないものだね。今の色は白か……周りの配色から見て調和がよく取れてるし、もっともうさぎらしい色でもある。けど……。
「うん、そうだね。子どもたちに親しみやすい色にするのは私もいいと思う。そっちの方がきっとお友だちの間でも話題になりやすいと思うし……何より、本を手に取った時に、わくわくしてほしいもんね」
「ルリさんならそう仰っていただけると思ってました! では……」
「うんうん、表紙と背表紙の方にも桃色のうさぎさんを描き足して、一目で分かるようにしてみよう。目印になっていいと思うんだ」
予め聞いていたルリの意向と合わせて、目印を刻んでおく。ルリのモットーは一人でも多くの人に、楽しんでもらえる童話を届けることだ。自分のやり方にこだわりがないと言えばそうだけれど、その実これが一番難しいことだっていうのだから、難儀なことだと思う。
ルリの絵柄に寄せてとりあえず描いてみてもいいが、うっかり採用されてもそれはそれで困る。「大事なことだから、構図は後でしっかり考えて描くね」なんてそれらしい言葉を並べていると、やけに視線を感じた。そういえばこの担当者とはそこそこの付き合いだって言ってたな。まさか、何か気づいたのか?
「何だか、今日のルリさん……」
「……」
なんだ。勿体ぶってないで早く言え。
暫くの沈黙の後、そいつはやけに目を輝かせて僕を見てきた。
「すっごくしごでき! って感じで痺れます……!!」
「……は?」
おっと、つい素で返事をしてしまった。幸い気づいてはいないようだ。特に気にした風でもなく、やけに興奮した様子で捲し立ててくるじゃないか。
「テンポもいいし、先回りして進めてくれてるっていうか……自分も足ひっぱらないように頑張ります!!」
ちょっと落ち着きなよ。担当ってのは作家の性質に似るものなのかい?
「そ、そうかなぁ? たまたまだよ」
「何か秘訣とかあるんですか?」
そんなものあるわけないだろ。中身が違うんだから。
溜息を吐きそうなのを堪えて、僕はさも彼女らしく「うーん」と頭を悩ませる。何かを思案する時、ルリは人差し指を立てて、顎に手を置き、視線を彷徨わせる癖がある。頭は微かに前後に揺れ、瞬きはゆっくり。声には少し、空気を含む。
「ナッツかな……?」
「ナッツ?」
「うん、最近ハマってるんだぁ」
ハマるも何も、いつでも何でもよく食べてるけどね。嘘じゃないさ。ナッツには頭脳労働の効率を高める作用がある。適度に摂取すれば、そういった効果が期待できるだろう。
僕の説明にすっかり納得した様子で「自分も真似してみます!」なんて言う君には悪いけれど、直接的な因果関係はここにはないから、あまり期待はしないように。まあ、言わないんだけど。
その後、とりあえずは何事もなく打ち合わせを終え、僕は帰りに買い出しのためにグランドバザールへと寄ることになる。今のこの身体であまり人通りの多い場所には行きたくなかったのだけど、そうも言ってはいられない。僕の姿をしたルリに行かせるよりはまだマシだろう。余計なことはするなと念押しはしたけど……大丈夫だろうな。不安だ。
「お、ルリちゃん! 今ちょうど味見にザイトゥン桃を切ったところなんだ。ちょっと食べていきなよ!」
「こっちもちょうどタフチーンが焼きあがったよ〜!」
「搾りたての夕暮れの実のジュースも飲んでいきな!」
…………何だいこれは。
気づけばあれやこれやと餌付けされていた。しかも誰も彼もがあまりにも自然に。これがルリの日常なのか……? 普段からよく食べる方だとは思っていたけれど、正直ここまでとは思わなかったな……。それに何より、驚くべきはこれだけ食べていながら、まだこの身体には余裕があるということだ。兎狸という種族柄か、ルリが特別そうなのかは分からないけれど、この分だと普段から食事を用意する時はもう少し量を増やしてやった方がいいかもしれないな……。
「あっ、ルリさん! ちょうどいいところに!」
今度は何だ。
舌打ちしたいのを堪えていつも通りの人好きのする表情を浮かべる。やれやれ、この間抜け面にもなかなかに慣れてきたな。
「ん? どうしたの?」
「あっ、あのっ、実は俺、ついこの間稲妻に旅行に行ってて、そこでルリさんによく似合う花を見つけて……」
ピクリと反応しそうになるのを無理矢理抑える。おい、まさかとは思うがこの展開はあれじゃないだろうな?
「花は持って帰れなかったんですが、その……髪飾りがあって。よかったら、これを受け取ってもらえると……」
やっぱりそうか。大方そんなことだろうとは思ったが、なかなかにいい度胸だね。他人のものにちょっかいを出すだなんてさ。
……藤の簪か。まあ、そう悪くないセンスではあるけれど、問題は今ここにいるのは当人であるルリではなく、僕だってことだ。
「……」
「ル、ルリさん……? あんまり気に入らなかった、かな……?」
気に入る気に入らない以前の話だけどね。とはいえ、あんまりだんまりになっているのも不自然か。ルリなら、こんなとき何と答えるかな――……。