送れなかった手紙の話
「今回は少し長いんだっけ」
「うん。ちょうどお祭りが開かれるそうだから、調べ物の他に観光もしてきたいなって」
旅仕度を整えたルリは、浮足立った様子のままそう返事をする。藤哉はその返答に「ふぅん」と気のない返事を寄こすだけで、特に何かを言う様子はなかった。
「何かあったら手紙を送ってね。すぐに帰ってくるから!」
「はいはい……分かってるよ」
「それじゃあ、行ってきます! お土産楽しみにしててね〜!」
大きく手を振りながら跳ねるように駆けていくルリに、藤哉はちゃんと前を見て走るように声を上げる。まったく懲りた様子がないのも、今更なことだった。
「……さて、僕も作業に取り掛かるとするかな」
同居人であるルリがいなくなった後の家は、何だかがらんとしていて、広く感じる。何度も体験したことであるから、寂しいだとか、そういった感情は湧いてはこないものの、嵐が過ぎ去ったような気になるのは、彼女が一層賑やかな人物だからだろう。
こんな時くらい、ゆっくり過ごすのもいい。グランドバザールで手に入れたちょっと珍しいコーヒー豆だとか、普段はあまり読まないフィクションファンタジーだとか。そういったものに手を伸ばすにはちょうどいい期間だった。
「いや、先に野暮用を済ませるとしよう。休暇はそれからでも遅くはないからね」
誰に聞かせるでもなく、独り言が口からついて出る。すっかり他人と話すのに慣れてしまったようだった。口元に手を当て、僅かに思案する様子を見せた藤哉は、軽く頭を振ると、戸締りをしてナヒーダがいるであろうスラサタンナ聖処へと向かうことにした。大抵の物事はそれらに帰結する。教令院の知恵の殿堂を通れば、大体の面倒事も一気に解決できるだろうと思ったためだった。
そうしてそれは、藤哉の思う通りの結果を見せた。ナヒーダからここ最近の情報や所謂お願いごとを交換すると同時に、藤哉もまた、それと同等の報酬を得るに至る。教令院の学生――つまるところご学友というやつだ。彼にとっては不本意ながら、或いは言うほどまんざらでもない――とほどほどの交友を経た彼は、ついでとばかりに渡された最近流行の本とやらを持たされ、帰路についた。
今度こそ、彼が望んだ静かなティータイムが開けたところで、コーヒーの供にと開いた紙袋の中に入っていたその本は、意外なことに見覚えのあるものだった。それはもう、きっと、誰よりも。
「流行というから何かと思えば……これ、ルリが書いた童話じゃないか」
表紙にはまあるい尻尾のうさぎと、黒い猫が並んでいる。その周りには新しく増えた森の動物たちが集まっていた。今や彼女の代表作と言ってもいいほど、シリーズ化もされてある童話で、正しくそれは流行ではあったが、これの意図することを正確に理解した藤哉は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「まさか、この僕がこんな揶揄われ方をするようになるとはね……」
藤哉とルリの交際は大々的なものでこそないが、秘密の関係というわけでもない。第一、ルリがルリだ。隠そうにも隠しようがないものを無理にどうこうするほど、藤哉は愚かでもなければ、そこまでこだわりがあるわけでもなかった。
つまり、二人とある程度の交友を持つ者であれば、自ずとその関係に気づくということだ。当然、ご学友がそんなことを知らないわけもなく『彼女の書いた童話いいね!』『読んだよ!』『末永くお幸せに!』なんていうお節介なメッセージが含まれてあるのは必然だった。
「ん? まだ何かあるな……?」
紙袋の底にまだ何かが入っている。ガサゴソと手を伸ばせば、かさりとした感覚が指先に伝わった。紙袋をひっくり返して、掌に出してみると、可愛らしく梱包されたキャンディのようなものが出てくる。しかし、キャンディ特有の甘味料のような匂いはそこから感じられなかった。
「……これは……」
透明なビニールは丁寧に梱包されている。キャンディにしてはやや大きく、ルリの口がうさぎのそれを思わせるような大きさであることを差し引いても、口に転がせるような品ではなかった。裏面をみても原材料などの記載はない。大方、どこぞの学生の手作り品であるのだろうと推測できたが、その目的まではまだわからなかった。
「開けてみるか……?」
それが一番手っ取り早いと思うも、あまり気が進まない。面倒であるだとか、邪魔だとか、そういった類の感情よりも真っ先に浮かんだのは、キラキラと目を輝かせるルリの表情だった。
間違いなく、藤哉の知るルリであれば、これを一目見た瞬間『わぁ〜! 何だろう? すっごく可愛いね!』なんて言って、何かなぁと間延びをしながらわくわくと頭を悩ませるのだろう。少なくとも、これを渡してきた人間に悪意なんてものはなければ、ぱっと見ただけではあるけれど、危険なものでもなさそうだった。つまりはこれもまた、そういうことなのだろう。二人で仲良く何かをしてほしいと、そういうことであるのなら、余計なことをと思うものの、藤哉もまた無理に一人で解き明かす気は起きなかった。
僅かに零れた息は、やれやれとどこか疲れたようなものだった。ここにいない人間のことを考えるなんて、何て非生産的なんだろうと思うものの、これが結構馴染んできてしまっているのだから仕方ないと割り切るべきなのだろう。困ったことに、それが言うほど嫌ではないのだから、受け入れるがよほど易かった。
こだわりだという豆を挽いたコーヒーは、イチオシとだけあって香り高く、程よい苦みを感じる。うんと苦い茶が好きな彼好みの味だった。
「……少し砂糖がほしいな」
ダイニングテーブルの上に備え付けてあるシュガーポットを覗く。見るからに甘そうな角砂糖を一つ落として、マドラーで混ぜながら、水面に浮かんだ自分の表情に苦い表情を浮かべた。
変わってきているのは、どうやら味覚もらしい。最近は前ほど甘味が嫌いではないどころか、こうして試してみることもある。作る料理の味付けだって、随分と変わった。それが誰の影響であるかなんてのは、火を見るよりも明らかだった。
(まさか、いない時までこうとはね……)
自覚があるだけにぐうの音も出ない。目の前にいようがいまいが、こんなにも影響があるなんて、ルリは知る由もないのだろう。今頃は暢気に船旅でも楽しんでいるのだろうか。あまり身を乗り出したりしてなければいいけれど。彼女もそこまで迂闊ではないと思いたいが、夢中になると周りが見えなくなってしまうから大丈夫とも言い切れそうにない。単なる心配性だと言われればそれまでであったが、あいにくここに指摘してくるような人間はいなかった。
「……」
一度考え出してしまえば、人間気になってしまうものだ。それは人形といえど、藤哉も同じであったらしい。悶々とルリのことが頭に浮かんでなかなか離れなかった。
重い息を吐いた藤哉は、仕方なくこの静かなティータイムを切り上げることにした。比較的気に入りのカップを片付けて、しれっと本を棚へとしまう。書き手が書き手であるため、本棚にその本はまるで最初からそこにあったかのようによく馴染んだ。ついでに正体は分からずじまいのキャンディのような何かをテーブルの端に置いて、便箋と筆を準備した。
したためる字は美しく、流れるような筆跡で、けれど模る文字は少しだけ不器用な言葉に溢れていた。少し進めては止まって、また進んで、止まってと繰り返す。あまり綺麗な言葉ではなかったけれど、何より素直な心をそこにはそっと閉じ込めていた。
『今頃君は、船の上だろうか。今日は天気がいい。潮風も心地いいだろう。けれど、風が気持ちいいからとあまり身を乗り出してはいけないよ。リボンはきつく縛っておくこと。もし海上で解けてしまったのなら、その時は残念だけど潔く諦めるんだね。間違っても跳んだり飛び込んだりなんてことはしてはいけないよ。流石の君も、そんなことはしないと思うけど……』
『調べ物をするときは、常に目的や得たい結果から逆算して探すといい。その方が効率的だ……が、君は行き当たりばったりな側面があるから、この方法は少し難しいかもしれない。その時は、そういうことが得意な人間を見つけることだ。知らない奴と仲良くなるのは君の十八番だろう?』
『祭りがどうのと言っていたね。君は賑やかなのが好きだから、いい気分転換になるだろう。作家にはそういった刺激が重要だからね。けれど、僕のために土産を用意するのは……あまり考えなくていい。そのことに時間を割きすぎて帰宅が遅れることの方が心配だからね。無事に帰ってきてくれるなら僕はそれで十分だ』
『最近の流行だとかで、君の書いた童話をもらったよ。揶揄い半分だろうけど、こうして君の書いた童話が認知されるのはそんなに悪い気分じゃない。むしろ……そうだな、少しいい気分かもしれないな。なんにせよこの調子で頑張ることだね。そうしたらいつか、この童話が世界中の子どもたちの誰もが知る物語になるかもしれない』
『君が苦いというコーヒーを淹れてみたよ。僕にはブラックがちょうどいいけど、たまには微糖も悪くないね。これにミルクまではいれたくないけど……君はそっちの方が好きだろう? バザールにカフェオレ向きのコーヒー豆が出てたからこれも買ってみた。帰ってきたら早速試してみるといい』
『君がいないと家の中は静かだけど、無音というわけにはいかないね。発ったばかりなのに、もう君のことを思い出してる。君も同じように僕のことを思い出しているのだろうか……なんて、ただの冗談だよ』
『ルリ……君が、恋し――』
そこまで筆を走らせて、藤哉は動きを止め、それからぐしゃぐしゃと紙を丸めた。まったくもってどうかしている。こうして紙に筆を走らせると感傷的になってしまうのは、やはり稲妻由来だからだろうか。そうでなくても女々しくて、今回も例にもれず、これらはゴミ箱行きになるに違いなかった。
はぁ、と長い溜息が重く零れ出る。ぽいっと投げ捨てた紙と同時に、彼は僅かに頬を膨らませた。
「やめだやめ。ったく、どうして僕がこんな気持ちに……」
机の端、ぽてりとしたポップなキャンディの形をした何かが視界に入る。しばらく睨めっこのようにそれを見つめていると、どうにも馬鹿らしくなって今度は諦めの息が零れ出た。
どうであれ、やはり自分は待つのはあまり得意ではないらしい。そんな自分を見つめ直しながら、藤哉はルリの帰宅を待つ。始まったばかりの旅路は、終わるまでやけに長く思えた。何て、そんなことルリにはおくびにも出せないのだけれど。
後日、ルリが帰宅すると、キャンディの謎も解けた。どうやらあれは石鹸の一種だったらしい。泡立てればキャンディのように漂う甘い香りに微妙な表情を浮かべた藤哉は、ルリの喜ぶ様子にまあいいかと僅かに眉を下げるのだった。