行ってくるねと藤哉に別れを告げ、港へと向かったルリは、ちょうど乗船時間と重なったことですぐに出港することとなった。旅慣れしたルリにとって、潮風はとっくに馴染み深いものとなっている。少しだけ湿った空気がからりとした空気に溶けるその感覚が随分と心地よかった。

「すー……はー……いい天気〜。最高の船旅日和だねぇ」

 陽の光に反射する海面がキラキラと輝いて綺麗だった。もう少し近くで海を見ようと移動すると、突然突風が吹いて髪が煽られた。「わぁ」と声を上げると同時、手で押さえたものの、緩かったのか結んでいたリボンが一つ、解れてしまった。咄嗟に手を伸ばすものの、掴み損ねてしまったリボンは遥か上空、船の外へと飛び出していた。

「あっ、待って!」

 思わず身を乗り出したルリだったが、再び手を伸ばしたところで届きそうにはなかった。まさか、飛んで跳ねてと船から出るわけにもいかない。仕方なくルリはリボンを諦めることにした。

「はぁ……ツイてないなぁ。あのリボン、お気に入りだったのに……」

 旅にトラブルはつきものではあるけれど、始まったばかりでこれとは幸先がわるいことだ。どよ〜ん、と落ち込むルリだったが、それも数秒後には気持ちを切り替えていた。

「でもでも、向こうではお祭りもあるんだし、もっと素敵なリボンも見つかるかもしれないよね。稲妻や璃月の物語の中には、大切なものをお供えしてこれからの幸運をお祈りする、なんてお話もあったし……これも風の導きなのかも」

 彼女が今から向かうのは、風と自由の国、モンドだ。ちょうどモンドでは風花祭が開催されていて、風神様への信仰も一層強まっている。ちょっとした風の悪戯も、ルリには風神様の粋な導きに感じられた。何せ彼女は妖怪、兎狸の半妖である。藤哉に言わせれば楽観的過ぎるこの性格も、立派な彼女の長所であった。

「モンド……楽しみだなぁ」

 どんなお祭り何だろう、と期待に胸を膨らませながらルリは予備のリボンで髪を結び直す。普段よりちょっときつく縛ったその髪が素敵な出会いを運んでくれそうな気がした。











 無事に船旅を終えて、モンドへと到着すると、ルリはまず軽く街を見てみることにした。道中もそうだったが、風花祭の装飾が施された街並みは華やかで、見るだけで胸を躍らせてくれた。バザーで売ってあった花冠を購入して、頭に被ってみる。モンドの特有の花々が編まれたそれは、そこにあるだけでお祭り気分を味わうことが出来た。

「どれも素敵だなぁ……いけない、ちょっと見るだけのつもりだったのにこれじゃキリがないかも……」

 いつの間にかルリの両腕には屋台で購入したもので塞がってしまっていた。ここにいるはずのない藤哉のだから言わんこっちゃないと言わんばかりの顔が目に浮かぶようだった。

「ううっ、これだから計画性がないっていつも藤哉くんに言われちゃうんだよね……」

 気をつけていないわけではない、のだが、気を抜くとこうなってしまいがちであるのは否めない。最近では藤哉と外出する機会も増えて、以前よりは改善はしているのも本当だった。
 ただ、その改善の大部分が、同行者に藤哉がいるから、であることも事実ではあった。
 横から様子を見て釘を刺してくれる彼の何と頼もしいことだろう。いるといないとでは大違いだとこういうときによくわかるものだ。

「……一旦、宿に行こうかな……」

 この大荷物を抱えながら街を見て回るのは、ちょっとだいぶ、視線を集めすぎる気がする。半妖であるルリにとってこれくらいの重さなどなんでもなかったが、見た目はどこからどうみても小柄な少女なのだ。お祭りを楽しむためにも、やるべきこともあることだし、ルリは適切な判断のもと、行動しようとしたそのときだった。後ろからパタパタと駆けてくる足音が元気に声をかけてきたのは。

「ちょっと〜! そこの女の子〜!」
「……ん? わ、私?」
「そうそこの藤色の髪の女の子! 大丈夫〜!?」

 荷物で視界はほぼ塞がっていたものの、ひょいと横に顔を出したルリの目に入ったのは赤い服を着た女の子だった。自分より少し年上だろうか。彼女の頭の上にもうさぎの耳のような形をしたリボンが飾られていた。

「大荷物だね。それだと大変でしょう? 私は西風騎士団所属、偵察騎士のアンバー。どこまで行くの? 手伝ってあげる!」

 騎士の礼をしてハキハキと喋る女の子は親切にそう申し出た。巡回中に大荷物を抱えたルリを目撃して、ここまで走ってきてくれたようだ。名前の通り琥珀色の瞳は親しげで、こちらの気持ちを温かくさせてくれた。

「わぁ、素敵な騎士さん! 私の名前はルリっていうの。童話作家をしてて、スメールから来たんだ。モンドにはお話の題材になるようなものを探しに来てて……お祭りが開かれるって聞いて飛んできたんだぁ」
「そうだったの。それならすごくいい時期に来たと思うよ。早速楽しんでくれてるみたいでよかった。それ重いでしょ? 半分持つよ」

 そう言って手を差し出してくれたアンバーに、ルリはそうだったと慌てて頭を横に振った。うさぎの耳があまりに素敵で、うっかりしてしまったのだ。

「だ、大丈夫! 私こう見えてすっっごく力持ちなの! 大岩だって持てるんだよ。だから気にしないで」
「え? そ、そうなの……?」
「うん。半妖だからかな? 昔からこうなんだよね」

 それを証明するようにルリは軽々と両手いっぱいの荷物を上下させる。ちっとも力んだ様子のないその動きにアンバーも「おお」と感嘆の声を上げた。

「ほ、本当だ……」
「えへへ、声をかけてくれてありがとう。モンドって素敵なところだね。アンバーちゃんみたいな優しい騎士さんもいるし、来てよかったなって思うよ」
「そう? それならよかった! 声をかけた甲斐があったね」

 へへっと笑うアンバーにつられてルリも笑う。そうやって笑いあったところで、さりげない動作でアンバーはルリから半分の荷物を受け取った。

「え、あ……アンバーちゃん?」
「重くなくても、前が見えにくいことには変わりないでしょ? そ・れ・に、せっかくモンドに童話のネタを探しに来てくれたことだし……手伝わせて! 案内ならわたし以上の適任はいないからさ」

 えへんと胸を張って、振り向きざまにウインクをするアンバーは実にチャーミングだった。その嬉しい申し出にルリは何度もうんうんと頷いて、甘えることにした。

「それじゃあ、お願いしようかな。頼りにしてるね、偵察騎士さん!」
「まっかせて! お腹は空いてる? 美味しいニンジンとお肉のハニーソテーをごちそうしてあげる!」
「わぁ! 楽しみ! 私食べるの大好きなんだぁ」
「それはよかった。じゃあ、鹿狩りにレッツゴー!」
「ゴ〜!」

 もしここに藤哉がいたのなら、トントン拍子に進んでいく、このノリとテンションに任せた成り行きにげっそりとした表情を浮かべていたことだろう。だがここに藤哉はおらず、彼は今スメールの自宅で苦いコーヒーに砂糖を入れているところだった。その味がここ数日で慣れて親しみすら感じ始めたということはルリは知らない。ついでに届けられなかった手紙も数枚増えた頃だった。
 そんなことなど露も知らず、ルリは鹿狩りでアンバーに勧められたニンジンとお肉のハニーソテーに舌鼓を打っていた。あまりの美味しさに瞳を輝かせながら「おかわり!」とどんどん鉄板を空にして積み上げていく様子を、アンバーはサラと一緒になってまたしても「おお」と驚きながらも、いい食べっぷりだと「もっと食べる?」などと勧めていた。ルリがにこにこしながら元気いっぱいに頷いたのは言わずもがなだった。
 そうしてお腹もいっぱいになったところで、一旦宿へ荷物を置いて、今度はアンバーの案内のもと、モンドの各地を巡った。

「モンドって、どこでも風が吹いてるね。いつもそうなの?」
「うん、大体はそうだよ。モンドには風神様の加護があるからかもね。知ってる? 風に乗せた言葉は、風神様に届くってモンドでは信じられてるんだよ。その言い伝えを信じて、蒲公英に願いや感謝を伝えようとする人もいるんだ」
「へぇ、そんな言い伝えがあるんだね……すごく素敵なことだと思う。私もやってみようかな」

 モンド人じゃないけど、問題はないよね、と口にするルリにアンバーはにっこりと頷く。自由を愛する自由の神である彼が、そんなことを今更気にするはずもなかった。
 近くにあった蒲公英を手にとって、そっと願いを込めて種を風に乗せる。ふわりとした綿毛が空へと舞う様子を二人で見つめていた。

「なんてお願いしたの?」
「えーっと、アンバーちゃんと出会わせてくれてありがとうっていうのと、素敵なお土産が見つかりますように、かな?」
「わたしのことを話してくれたの? ありがとう! きっといいお土産も見つかるよ! わたしが責任を持って風神様の代わりに導くから!」

 えへんと胸を張ったアンバーにルリはにっこりと笑って拍手を送る。アンバーは偵察騎士という役職柄もあってか、案内が上手だった。きっと素敵なお土産も一緒に見つけてくれるだろう。ニンジンとお肉のハニーソテーをそのまま持って帰れないのが残念だったけれど、代わりにレシピを教えてもらえたから藤哉とだって一緒に食べることができる。すでに見つかっているようなものだったが、何か形に残るものを見つけたいというのもルリの乙女心を思えば当然のことだった。

「どんな人に渡したいの? その人の好きなものとかわかる?」
「うーんと、クールな感じ、なのかな? ちょっとだけぶっきらぼうなところがあるけど、すごく優しい人でね。甘いものは苦手で、苦いものが好きなの。特に渋いお茶が好きみたい」
「渋いお茶? 随分はっきりした好みだね? 性格も聞いた感じだとちょっとわたしの友達と似てるかも!」
「そうなの? アンバーちゃんのお友達ならその人もすごく素敵な人なんだろうなぁ」

 同時刻、スメールとドラゴンスパインでくしゃみをする男女の姿があった。
 どちらも普段の優雅な振る舞いを崩すことはなかったが、そのくしゃみの原因がこの世間話とは思うまい。
 その流れで話を咲かせながら、アンバーはある程度を理解するとフローラの花屋へと連れてきてくれた。おすすめの花をいくつかと、それに合わせてポプリを勧めてくれたのだ。甘いフローラルな香りより、ミントなどのハーブを主体にした、モンドの爽やかな風を感じる品にルリも大喜びでそれに決めることにした。
 潮風に耐えられるようドライフラワーにした花束には、花屋というだけあって素敵なリボンが飾られており、ルリのなくしたリボンの代わりに新たなお気に入りになるには十分のものだった。

「アンバーちゃん、本当に今日はありがとう! 素敵なお土産も見つかって、書きたいお話もできて、とっても助かっちゃった!」
「え? もうネタが見つかったの?」
「うん、すっごく素敵な出会いがあったからね」

 次のお話は赤いリボンをした、かっこいいうさぎちゃんの話にしようとルリは決めていた。困っている人を見つけて、すぐに駆けつけてくれる、ヒーローみたいにかっこいい、うさぎちゃんの話だ。

「へぇ、それはよかった。ねぇ、書き終わって出版されたら教えてくれる? わたしも読んでみたいなぁ」
「うん、書いたら贈るよ!」
「え? いいの?」
「もちろん! アンバーちゃんにも読んでほしいから!」

 きっと、すぐにルリが書きたかったものが何なのかアンバーにもわかるだろう。そのときの彼女の表情は、きっとリボンと同じくらい赤くなってるだろうけれど。
 ルリは知らなかったが、アンバーを慕うコレイが絶賛するのもまた、間違いなかった。

「えへへ、嬉しいなぁ。楽しみにしてるね!」
「うんっ」

 風の導きが、祝福をもたらすように。そんな素敵な出会いがここにはあった。
 そうして数日間滞在し、風花祭を満喫したルリは、アンバーに見送られながらモンドを後にする。両手にいっぱいのお土産を抱えて。新しく増えた赤いリボンが藤色の髪を飾っていた。
 帰ったらたくさんたくさん、藤哉に話したいことがある。素敵なことがたくさんあったのだと。
 その中でも一番伝えたいのはやはり赤いうさぎの彼女のことだった。
 さて、風花祭といえば風花の星に選ばれたのが誰なのかと気になるところだろう。言わずもがな、彼女がMVPだ。そんな彼女が選んだ風花が何だったのかは想像におまかせするとしよう。風の導くままに。テイワットに流れるすべての風は、彼の祝福にある──。