真田達が帰った後、俺は一人ため息をはいた。
真田達がいると、賑やかで楽しい。その反面、彼らが帰ってしまった後の静けさには寂しさ…というより、安堵に似た思いを感じる。いつか俺の中にある、醜い感情を彼らにさらけ出してしまわないか、と。
仲間から伝えられる勝利の報告は素直に嬉しい。そう感じる反面、どこか妬ましい感情に駆られる。
テニスがしたい。ラケットを握りたい。コートに立ちたい。俺にはテニスしかないんだから。
なんて考えても現状は変わらない、なんてことはわかってる。それでもそう考えずにはいられないんだ。
俺じゃなければよかったのに、と。
気分転換に屋上で風にあたろうと病室を抜け出し、この病院の屋上に向かった。
▽▲▽
屋上の扉を開けると、真っ先に視界に飛び込んできたのは、真っ赤な夕日。屋上の真ん中にあるベンチに座り、夕日を眺めた。
茜色に染まった空は、太陽を惜しむかのように鳴いたカラスの声も、どこかの病室から聞こえる子供の笑い声も、町の騒音も…全てを包み込んでくれるような温かさを感じる。
程よい風に身を任せていたら、ふと黒く伸びる影に気がついた。影の先を目で追うと、そこにいたのはパジャマ姿の小柄な少女の後ろ姿。華奢な肩の上で茜色に染まった茶髪を靡かせて、柵越しに町を見る彼女の姿に目を奪われた。
そして、丁度振り向いた彼女と視線が合った。いや、視線が噛み合った、の方が適切かもしれない。彼女の瞳には俺と同じ色が写っていた。
「…綺麗な夕日だね」
我ながら少しくさい台詞だったかな、なんて思っていたら、彼女は少し目を見開いてから、静かに答えた。
「そう、ですね…」
声は儚げな外見通り、可愛らしい声。
「そこから何か、面白いものでも見えるのかい?」
「面白いもの、ですか…いえ、ただ騒がしい街並みが見えるだけですが」
彼女は坦々と言った。それがなんだか可愛い声には不似合いで、少し可笑しい。
「へえ…熱心に何か見てるみたいだったから、気になったんだけどな」
ふふっと俺は笑った。すると彼女はふいっと視線を逸らし、また町に視線を戻す。それから彼女は視線を俺に戻すことはなかったが、全く俺の存在を無視しているのかと思えば、そうでもないらしい。
「そろそろ日が落ちます。もう戻った方が良いかと…体も冷えますし」
「そうだね…それじゃあ戻るとしようかな」
ベンチから腰を上げると、意外にも彼女はドアを開けて待ってくれていた。意外といい子なのかもしれない。相変わらず、視線は落としたまま、無表情だけど。
「ありがとう」
「いえ」
そっけなく答えた彼女は今度は俺の予想通りスタスタと先を歩いた。
ふふ…この子、見ていて飽きないな。次に何をするか予想つかなくて面白い。
前を歩く彼女は少しずつ遠ざかって行く。
「…ねえ」
ほら、こうして話しかければ…返事はしないけどピタリと足を止めて、耳を傾けてくれる。
「今更だけど…俺は幸村精市。で、君は名前なんていうの?」
彼女は振り返ることなく、その可愛い声で坦々と言った。
「名字名前……です」
心の中で名前を反復する。可愛い名前だ。
「同じ病院内だし、これからよろしくね」
「こちらこそ」
彼女はぺこりと軽く頭を下げてまた歩き始めた。そして今度こそ、どんどん離れていく彼女、基名字さん。
もともと小さい背中がさらに小さくなって行く様に、何故か目が離せなかった。
▽▲▽
二週間前から、あたし、名字名前はこの神奈川にある金田総合病院に入院した。
ここの院長さんである金田さんは、親戚、らしい。詳しいことはよく分からない。
分かっているのは、親のいないあたしが原因不明の病にかかったことで、ここに突っ込まれたということ位だ。
そしてそこで幸村精市という青年に出会った。彼は綺麗な顔立ちをしていて、笑顔を絶やさない。温和な好青年だ…と思う。
実のところ、ちゃんと話したのは初めて話した時だけで、後は廊下ですれ違う位だった。彼はいつも笑顔で挨拶してくれる。それが仮面なのか、真の笑顔なのかはまだ見極められないけど。
看護師さんたちには人気があるらしく、話題にすればこれでもかと、食いついてきた。若干、顔が引きつったのは言うまでもない。
確かに光や光の友人らを毎日見ていたあたしからしても、彼は世に言うイケメン中のイケメンと言えるだろう。
それでも、あたしには彼が誰に対しても、一線、または壁を作っているように見える。しかも、タチの悪い笑顔という手段で。
そして一番対応に困るのが、あたしを子供扱いすること。そりゃあ、同年代の子に比べたら小柄な方だとは自覚している。しかし小さい子供に接する様に、挨拶ついでに頭を撫でられたり、飴をくれたり。とりあえず、今度会った時に年齢を訂正しておこうと思う。
▽▲▽
彼女と知り合ってから数日たった。あれから残念なことに、ゆっくりと話す機会がなかったため、あれっきりだ。と言っても、廊下ですれ違ったり、自動販売機で出くわしたり…全く会わなかったというわけではない。俺はその度に、ついちょっかいを出したくなるんだ。
始めに頭を撫でた時はされるがままだったのに、三回目からは頭を撫でようと手を上げれば一歩下がるようになった。その時の表情が、敵に威嚇する小動物みたいで可愛い。
次に思いついたのが餌付けしてみようと、飴をあげてみた。そしたら彼女は、複雑そうな顔していた。どうやら子供扱いしたのが、良く思われなかったみたいだ。
と、こういう風に一週間、彼女を観察するようになって、無表情の中にも、感情が少し読めるようになった。そして坦々とした物言いの中に、優しさが含まれていることも知った。
その日、病院内の中庭を歩いていたら、ベンチに座って空を眺める彼女の姿があった。
「あ、名字さん」
声をかけると、彼女は視線を下げ俺を見るとペコリと頭を下げた。
「今日は空を見ていたんだね」
彼女はよく、ポケーっとしてる…というか何かをじーっと見つめていることが多い。対象物は毎回違い、町だったり、カーテンだったり、子供だったり…そして今回は空。
俺もつられて見上げると、雲が所々浮かんでいる、晴れたよくある空模様が広がっていた。
「ところで、前から気になっていたんだけど…名字さんって何歳なの?」
「14です」
そう言った彼女は少しバツが悪そうだ。俺はというと、予想していたより遥かに年上だったことに、驚いた。同い年だったなんて。
「…意外だね…」
「幼馴染にもよく言われてるんで慣れてます」
「俺も14なんだ。同い年なら、そんな畏まらないでよ」
「ですが…」
「だからその敬語も禁止」
彼女は恨めしそうに俺を睨んだ。けど、それもまた小動物が威嚇しているようにしか見えないから、ただ可愛いだけ。
「わ、わかった」
「よくできました」
そして俺は名字さんの頭を撫でた。案の定、直ぐに逃げられたけど。