文久三年、十二月某日。底冷えが厳しい京の都を挙動不審に少女が一人歩いていた。男装はしているものの、体系や顔立ち、声までは誤魔化し切れていない。
彼女の名は雪村千鶴。行方知らずの父を捜すため、はるばる江戸からやって来たが、慣れない男装と長い旅路による疲れで足がふらつき、石ころに躓いてしまった。
「きゃっ!!」
往来で転んでしまった事で恥ずかしい思いだったが、いつまでもそう伏せっているわけにもいかず立ち上がろうと目線を上げた。するとこちらを心配そうに覗き込んでいる一人の青年が。
「大丈夫?」
彼は手を差し伸べ有無を言わさず彼女の腕を引っ張り上げた。千鶴は慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい!助けていただいてありがとうございます!」
「いいって。それより君、どこから来たの?」
「あ、えっと…江戸から来ました」
「そりゃまた随分遠くから…長旅だったんだね」
人懐っこい笑みを浮かべた青年に千鶴は自然と頬が熱くなるのを感じた。対して青年はというと千鶴の腰に携えてある小太刀をチラリと盗み見た。
「にしてもどうして遥々京まで?」
「実は行方知らずの父様を捜しに来たんです」
今ごろ父様は大丈夫なのだろうか、と千鶴は急な不安に襲われた。京は治安が悪いというし、この青年のように優しい人ばかりとは限らないのだ。
「ほらほら、そんな泣きそうな顔しないで。そんな俯いてばっかじゃ見つかるものも見つからないよ」
この青年は見ず知らずの私にここまで優しいのか、千鶴は安心感からか目頭が熱くなった。その後、その青年に千鶴が当てにしていた松本先生の診療所まで案内してもらうことになった。
「本当に何から何までありがとうございました!」
「見つかるといいね、君のお父さん」
ポンポンと頭を撫でる彼は子供扱いに慣れているのかもしれない。千鶴には兄がいないもののどこか懐かしい気持ちになった。
「じゃあこれで」
「あの!」
歩き出した青年の背中に思わず声をかけてしまった。青年は不思議そうな顔をして振り返った。
「私、雪村千鶴って言います!」
何事かと思えば突然名乗られて青年は驚いたのか一つ瞬きをした。事態が呑み込めてくると、ははっと少し笑った。
「そういや自己紹介まだだったね。私は名字名前」
「名字さん…」
「名前でいいよ」
そして今度こそ別れの時。
「京にいればまた会えるだろうから、その時は普段通りの可愛らしい姿でよろしくね、千鶴ちゃん」
「はい!よろしくお願い…ってえええっ!?」
いつの間に男装がばれていたのかと、お辞儀した頭を勢い良く上げるともう名前は歩き始めており愉快そうに此方に手を振っていた。
再会するのはそう遠くない話になるのだが、そんなことをこの時の千鶴が知る由もない。
▽▲▽
その日の夜は月が綺麗だった。俺は横になっていたが、隣の部屋のまだ明かりが灯っているのがどうしても気になり中々寝付けずにいた。障子に写る影は何か書いているらしく手が流れるように動き続けている。
隣の部屋というのは俺の上司である諸士調役兼監察方筆頭の名字名前の部屋だ。
彼は普段笑顔の裏では何考えているか分からない不気味な人だが、部下や仲間を一番に考えており、現に今も仕事を部下に押し付けることなく夜遅いにも関わらず筆を走らせている。本人は指摘されると嫌がるのだが、そういう姿は俺が最も尊敬している土方副長によく似ていると思う。
ただ過度の仕事を見過ごすわけにもいかず、少しでも手伝おうと静かに体を起こし一旦廊下に出た。
「夜分に失礼します。山崎です」
「どーぞ」
軽い返事が聞こえたため襖を開けると案の定筆をしたためている頭の後ろ姿が目に入る。男にしては華奢な方である肩が張っていてピンとした背筋は美しい。
「気配でわかるから名乗んなくて良いよっていつも言ってるじゃん」
「いえ、そういう訳には」
「真面目だねえ。別に副長室でもないのに」
こちらをチラリとも見ず気配だけで俺が分かるのはこの人だけだ。
「何か手伝うことでもあればと思い伺わせていただきました」
「じゃあその左の束の書類に判子押してくれる?内容はもう目通してあるから」
「御意」
俺の気遣いを無下にしまいとしてくれたのか、俺がここで引き下がるような奴ではないのを知ってか、それともただ単に手伝いを欲していたのか判別はつかない。
「ありがとね」
上から降って来た声に、半ば反射的に顔を上げると細められた蒼い双眼がこちらを見つめていた。行燈に照らされキラキラとした綺麗な青は優し気で引き込まれそうになる。
「いえ、筆頭にばかり任せていられませんので」
少しばかり動揺した俺の声は思っていたより小さく発せられた。
しばらく互いに無言で作業を進めていると突然頭が筆を止めて立ち上がった。
「どうかされましたか」
「…前川邸が騒がしいな」
前川邸はここ八木邸から少し離れた所であるが頭には何か聞こえるらしい。前川邸には隔離された隊士が数名おり、平隊士は近づくことが許されない。
「ちょっと確認してくる、丞はここで待ってて」
そう言って頭は音もなく姿を消した。否、素早く前川邸に向かったのだが如何せん動作が速すぎて消えたようにさえ思えるのだ。
とりあえず待機が命ぜられた俺はこの場で与えられた仕事をこなしつつ待つことにした。