距離が、近い。
 オレたちはふたりともパーソナルスペースが狭い方だからか、どちらかが一歩下がることもなくその距離でいることが、出逢った当初から当たり前だった。誰かに近い、なんて言われたって、仲良しだからね! と笑顔で返せていたはずだった。
 そんなすみーとの距離の近さを意識したのは、これで三度目。
 一度目は、恋を自覚したとき。オレってば、すきだからってこんなあからさまに近かったらわっかりやすくね!? なんて一人で頭を抱えることもしばしばだった。それで、少しだけ──本当に少しだけ、他の人と取る距離感と変わらないだけの距離を取ったら、今度は皆から訝しがられたんだよね。これまでどんだけ距離感ゼロだったのってカンジ。
 二度目は、お付き合いを始めたとき。恋を自覚したあとに皆から訝しがられたのと、すみーがさみしそうにしてたってだけでわりとすぐに戻した距離感は、だけどお付き合いを始めた途端にめちゃくちゃに恥ずかしい距離になった。これまでこの距離ですみーのことどうやって見てたっけ? なんて、真っ赤な顔とオーバーヒートした頭、それに全力疾走したあとよりも速い鼓動を奏でる心臓からは、全く一ミリたりとも思い出せなかった。でも一度目とは違って、オレが照れてたり恥ずかしかったりしてる様子だからか、すみーはなんだか嬉しそうに慣れるのを待っているようだった。
 三度目は、まさにいま。ふたりで手をつないで繋いでさんかく探しに出かけて、通り雨に降られて公園の日除け屋根の下に逃げ込んだところ。濡れた髪の毛を犬や猫がそうするようにぶるぶると大きく振って飛ばしたすみーに、冷たいよ、なんて笑って。ここまでは、さして珍しいことでもない。
 すみーが飛ばした雨粒がちょうどよく左目に入って、コンタクトレンズがずれたことで視界が歪んだ。いくらかまばたきをすればすぐになおる程度のずれだ、心配する程でもない。わっ、コンタクトズレちった、なんて声が出たのだって、ただの事実ってだけだった。
 すみーだから、きっと心配してくれるんだろうな、オレの恋人ってばやっさしー、さっすが。なんて思って、それはもちろん当たった。
「ごめん、かず。痛い? 大丈夫?」
 そういって左ほほ頬を覆った手はしっとりと濡れているのにじわりじわりと熱を発していて、そうして左の瞳を覗きこむように込むように顔を近付けた。ホントだ、ズレてる、そうこぼした声はオレの肌をくすぐるように撫でていって、その距離と温度が微かにオレを震えさせる。
 ズレたコンタクトのせいだけではない、近すぎる距離に輪郭と色がぼやけて、思わずぱちぱちとまばたきを繰り返した。反射から出た涙の膜がコンタクトをゆるりと動かして正しい場所へと戻すことで、視界の歪みがさっぱりとただされた。
 元に戻った視界は、それでもやっぱり近すぎる距離までは戻してくれなくて、鼻が触れそうで触れない、でも確かに温度を感じるほどには近いことを明瞭に映している。慌てて紡いだ大丈夫だよん、の声はいつも通りを装えずに二、三度ひっくり返った。
 ぱちんと弾けるように瞬いた花葉と纁の混ざった瞳はそこに浮かべたさんかくを煌めかせ、ゆるりとその色の範囲を狭める。よかった、そう頬笑む空気はまるで飴色で、このままだと粘度の高い甘い空気に窒息してしまいそうだった。
 じ、と見つめられた瞳に耐えられずにさ迷わせた視線は、瞳が途切れたことで隠された場所に戻る。臥せられた浅縹色の透けるような睫が、飴色の空気を混ぜるように跳ね上がって、オレを捕らえて離さない。
「かず」
 ねえすみー、これはちょっと近すぎない? なんてそんなこと、もうとっくに言えるタイミングを逃していた。距離感がおかしいなんて、そんなことわかってるってば。こんなとこ見られたら、恥ずかしすぎて死ねるかもしれない。でも自ら離れようと行動に出さないところに、わかりやすくオレの気持ちがあらわれてるでしょ? なんて。まるでオレたちを世界から切り離すようにザァと降る雨のカーテンだけが頼りだった。

ふたりの距離

「だいすきだよ」
 ん、オレも、なんてちゃんと笑ったオレに、雨の日の鈍い色なんてものともせずに鮮やかに咲いたすみーに、やっぱり耐えきれずに抱きついて、ふたりしてたくさん笑ったんだ。