窓を開けて空を見上げたとき、ブロックがうまく決まったとき、授業中ノートに目を落としたとき、数えあげればきりがないほどふとした瞬間に今、何しているのだろうかと思考がシフトする。
 一つ上なのでもう大学生になっているはずで、というか無事に合格したと連絡が来たのは覚えている。そうすると高校生のようにずっと授業のわけではないし、まして毎日でもないのだろう。そう知っているからか、今年に入ってから何をしているのだろうかと思い馳せる時間が増えたように感じた。
 大学生と高校生なんて、たった一つしか歳が変わらないとしたって大きな壁があるなんてことはわかりきっている。自宅から通うには少しだけ遠く、部活のために一人暮らしを始めたなんてますます一人の時間をどう過ごしているのか気になってくるのだ。
 メールの頻度事態はほとんど変わらない。でも、返ってくるのが早い時間帯があって、一人でいるんだろうな、となんとなく思う。あと、あまり日をまたがなくなった。それなのに頻度が変わらないのは、たぶん僕が今年で最後の部活だと言うことと受験生だと言うことが大きいのだろう。
 赤葦さんが受験期だってメールの頻度はほぼ変わらなかった。息抜きになっていたのかもしれない、なんて僕の都合の良い解釈なのかもしれないけれど。
 部活で疲れているとき、模試があって志望の大学の判定があまりよくなかったとき、なんだか気分が晴れないとき。そんな時を見計らったかのように来るメールにほっと息を吐けるような気分になるし、なにより安心するなんて初めて会ったときには思いもしなかった。
 別に優しいだとか、笑わせてくれるだとかそんなことはなくて、むしろ少し意地悪に揶揄ってくることもあるくらいなのに。ただ、安心するだけ、その"だけ"がどれだけ心に響いてくるかなんて気付きもしなかった。
 結局この二年ちょっとの間、合宿でしか会わなかった僕たちは、それだけなんて感じさせることなく仲が良くなっていった、と思う。影山や、日向や、それこそ山口までメールのやり取りを始めるなんて思いもしなかったけれど、みんなわりと事務的で堅苦しいと感じているようだった。山口から聞いた話なのだけれど。
 雑談のような、他愛ないやりとりをしているのが僕だけなんてきっと誰も知らないのだろう。あまりマメな方ではないし、興味がなくなればすぐに止めてしまう僕だから、きっと思いもよらないに違いない。
 頻度は落ちたが、相変わらず木兎さんや黒尾さんからもメールがくる。本当にどうでもいいような内容から、大事なことまですべて同じように送って寄越すその精神はちょっとどうかと思うけれど。
 僕よりも二つ歳上の二人だから、あの二人が今年で成人なんて考えたくもない。相変わらずバレーをして、春高や合宿で東京にいけば都合のつく限り一緒に出向いてきて一緒にバレーをしていた。木兎さんは赤葦さんのトスを打ちたがったし、黒尾さんは僕にブロックを飛ばせたがった。そういえばレシーブはあまり言われたことがなかったけれどなんでだろうか、音駒じゃないからか。
「月島」
 なんだか思考が飛んでいってしまったけれど、今は授業中だった。はい、と問われたものの答えを言うと初老の先生は満足そうに頷く。学校の授業が苦であるとは思わないし、別にいうほど難しいとは思わない。それでも、大学入試独特の問題があまり得意ではなかった。
 ふとそんな話をしたら、使わなくなった参考書をわざわざ送ってくれた。赤葦さんの進んだ専攻と、僕が志望している専攻は少し異なっているけれど、それでも受験科目はほぼ似たようなものであるからか、参考にして、とだけ書かれたメモ用紙(これは本当にメモ用紙で、そんなところもらしいな、なんて思った)が一緒に入っていたのが記憶にそう遠くない。赤本もいくつか入っていて、その中に僕の志望の大学も入っていたのは本当にありがたかった。
 やはりというべきか、当たり前にというべきか、赤葦さんが実際に受験期に使っていたものだけあって書き込みがあったり、開き癖がついていたりすることに小さな感動を覚える。参考書の要点の付箋だとか、書き込みだとか、問題集のミスの直しだとか、そんなところにいちいちああ勉強していたのだなあとじわじわと何かがこみあげてくるのだ。
 書いた字を目にする機会なんてなかったからか、なんだか不思議な気分ではある。でも違和感なんかなく、すんなりと「ああ、赤葦さんだな」と思える字だった。少しだけ雑で、汚いと言ってもいいのかもしれない字だけれど読みにくくはない。
 物理の問題集の文字は走り書きが多くて焦ってるようだったし、化学の問題集の文字は綺麗に書かれていたり書き込みが多くて好きなのかな、と思える。手書きの文字がこんなに情報を伝えてくれるなんて思ってもみなかった。
 今度手紙でも書いてみようか、なんて思えるほどに僕は赤葦さんの文字に虜になったのだ。そう、こうやって授業中に開いた参考書に文字があるだけでふわふわとるくらいには。
 でもこれではいけない、どこにも受からなかったらそれこそ笑えない、と少し気を引き締める。柔らかく思考を占めるそれを追い出すことを諦めて、奥の方へと追いやった。
 ブブッと小さな振動がポケットから伝わって、授業中なのが惜しくなる。着信バイブ音まで変えたおかげで変な期待や落胆を覚えることはなくなったが、こうやって妙な時間に来るとそわそわしてしまうという弊害が出たなんて笑えない。授業が終わるまであと三十五分、とりあえず目の前の問題に集中しないと。
 質量保存の法則、なんて書いてある問題集の隅にこれヒントになるな、と案外冷静に見ていることに安心して次のページへとすすめた。問題を解く手が止まると、書き込みを探して視線がさまよう。ああナルホド、と納得して解き始める手に、頭に、まるで勉強を見てもらっているような錯覚に陥った。
 もし暇があったら勉強を見てもらうのもいいかもしれない、なんて図々しいだろうか。部活に、春高まで残ると決めた僕たちは予備校に通っている暇はない。兄ちゃんの下宿先の近くの予備校で、泊めてもらえばなんて親も兄ちゃんも言ったけれど、やっぱり部活が優先になってしまう。そんな時間を縫って勉強する必要があるのだから、もう少し真面目にやった方がいい、と自分をたしなめた。
 三頁ほど進んだころ、チャイムが鳴って起立、と号令がかかった。集中してしまえば一瞬だな、なんて礼で頭を下げながら小さく笑う。
 立ったまま携帯を取り出して、操作をしながら座った。
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   06/XX 14:12
   From 赤葦京治(梟谷)
   Subject No title
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   授業中かな?そうだったらごめん。

   この間送った参考書で、送り忘れてた
   のがあったのを発掘した。力学だから
   いるかなと思うだけどほしい?
   今度、大学の講義の一環でそっちのほ
   う行くんだけどもし都合つけばそのと
   きにでも渡せるかなって思って。
   7/XX午後なんだけどどう?
   ついでにその日は午後丸々フリーだか
   らどっかおいしいとこ案内してよ。
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 思わずにやけた頬を逆の手でさりげなく隠して、返信用の画面を開いた。七月、七月。合宿じゃなければこっちにいるし、それにそうだ、部活、部活がどうだっただろうか。ちょうど休みか午前だけならいいんだけど。こちらのケーキ屋だって、モンブランもおいしいお店を見つけたのだ。ぜひ、案内したい。
 ああそうだ、このあたりは確か毎年少しだけ休みがあったような気がする。どうだっただろうか。詳しくはしっかりと確認することにして、とりあえず返信を打っておこう。
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   06/XX 14:58
   To 赤葦京治(梟谷)
   Subject Re:
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   授業中でした。でも後半ほとんど自習
   みたいなものだったので平気でしたよ
   。

   ありがとうございます。この間の模試
   で力学ちょっと怪しいかも、と思って
   いたので有難いです。
   部活がなければ大丈夫です。そのあた
   りはちょっと休みが入るくらいだった
   はずなので、たぶん大丈夫だと思いま
   すが。
   モンブランのおいしいお店を見つけた
   のでぜひ案内させてください。
   ついでに勉強も少し見てくれるとうれ
   しいです(笑)
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 授業が始まるまでに打ち終えて、送信。息抜きだけ、じゃなくて勉強するって名目までちゃんとあれば悪い顔はされない、といっても赤葦さんは参考書を送ってくれたりしているから親の印象はわりといいみたいだけれど。
 ふわふわとした気持ちが持ち上がる。ティナンシュには行けていないし、東京にも遊びに行けていない。春合宿でも休みはつぶれてしまって結局案内する機会も逃した。つまり、ケーキ屋に行けていないと言うことで、赤葦さんがモンブランを食べているところに遭遇したことがないと言うことだ。
 参考書を発掘って、どうしたのだろうか。わざわざ探してくれたのかな、なんて都合のいい妄想かもしれない。こちらにくるとわかって手渡してくれようとするなんて、まるで僕のことを考えていてくれているみたいだ。
 そこまでに聞きたいところはまとめて起きたいし、変なこと聞かないようにもっと勉強しておかないといけない。それにあそこの定休日と被ってないかも確認しないと、なんて浮かれる自分が馬鹿馬鹿しいなんてこれっぽっちも思わなかった。
 面倒な授業だってあっという間に終わるくらい集中して、ふと帰り道でまた思う。今、何しているのだろうか。参考書を発掘って。くっと喉が鳴って、ツッキー? とこちらを窺う山口になんでもないと返すのに苦労した。
 声が聞きたいと思う。参考書を発掘したとあの声で言われたい。きっと思い切り笑うだろう。そんな僕に赤葦さんは怪訝な声でどうかした? と聞く様がありありと浮かんだ。
 あのあと、了解、楽しみにしてる。とだけ返ってきたメールに、少しだけ返信しようかと考えたらまた喉がくっと鳴る。そんな僕を不思議そうにみる山口とは逆側のポケットの中で、携帯を小さく握りしめた。

いまなにしてる?

いま、なにしてるんですか。