胡坐をかいてバレー雑誌を読んでいる後ろに腰掛けて、少しだけ背中を預けた。ん? と咎めるわけではなく問いかける声に、何でもないです、と答えてそのまま天井を見上げた。いまこの瞬間、赤葦さんの背中は僕だけのものだと思えば、じわじわと笑いがこみあげて。

独り占め

ごまかすように背中へと体重をかけた。








 君が笑う夢を見た。年相応に笑う、君だ。意地の悪い笑顔や、本心を隠すような笑顔じゃなく、嬉しくて思わずこぼれてしまったような、それ。
 起きてから気付いたことは、そんな風に笑ったところを見たことがないな、という感想だった。日向や他の烏野の面子と一緒にいるところを見ても特に笑っている様子がなかったのだから、きっとそんなに笑うような人ではないのだろう。
 それでも合宿中に一度も見ていないというのはなかなかないのではないか。自分だって人のことを言えたようなものではないのだが。
 いつも一緒にいる代表の木兎さんがいつも笑っているからだろうか、夢を見てからというものそんなことが気にかかるようになった。
 木兎さんが笑うたび、木葉さんが笑うたび、その夢を思い出して笑った顔が見たいと思う。自分でもどうしたものかと思うのだけれど、どうしようもない欲求だった。
 笑った顔が見たい。別に泣き顔が見たいだとか、苦しそうな顔が見たいだとか、そういうものではないのだからいいのだろう、と結論付けて練習に集中するためにボールを投げた。

君が笑う夢を見た。

 夢じゃなくて、目の前で。








 じっと見つめると困ったように外される視線は、試合中にネットをはさむだけで途端に挑戦的に、冷静に見つめ返すようになる。そう、誰にでもそうだ。それなのに、至近距離から見つめると困ったように視線を彷徨わせてまた戻ってくるのだから愛しくなる。

自分だけ知っていればいい

こんなこと、自分だけ知っていればいい、なんて。








 ブーッとバイブ音が事もあろうにロッカーの中に直接おいているスマホから鳴って部室中に響いた。ぱっと取り上げた動作が早かったからか、すぐに食いつく日向や山口や、先輩たち。ああもう鬱陶しい。ちらりと見えた着信ランプが専用の色だったから――これは、僕だけの楽しみ。さっとポケットにしまってお先でーすと逃げ出した。

誰にも渡さない

 こんな緩んだ顔、絶対にみせられない。








 小さく腹が鳴ったのを境に腹が減ったなと感じて視線を上げると、ばっちりこちらを見ている一対の瞳に小さなため息をこぼした。お腹空いたんですか、と信じられないものを見るような目で問うな。俺だってビックリしてるんだから。
 夕飯から四時間が経過しているとは言え、今日はもう食えないというほど食べた。にも関わらず、この小腹が空いた感じ、まあ男の成長期は二十五歳まで続くというし、成長期だと言うことにしておこう。
 目の前の男は、背は高いが肉はあまりついていなく、若干薄いと感じる外見の通り、あまり食わない。だからこそ、あれだけ食わされたあとに腹を空かせる俺を信じられないように見るのだろう。それでも腹が減ったのは事実だ。十二時どころかそろそろ二時になろうとしているが、仕方ない。冷蔵庫の中には何も入っていないし、と財布だけ持って立上った。
「小腹空いたからコンビニ行ってくる」
 え、と呆然と見上げてくるのは、買いに行くほどだとは思わなかったからか、それともこんな夜中だからか。どちらにせよ、こんな夜中でも買いに行くほど俺の腹は減っていると訴えているのだから仕方ないのだ。後ろのポケットに財布を突っ込んで、サンダルをつっかけてドアを開けようとすれば、「……僕も行きます、」とTシャツをつかんで止められた。
 まあいいけど、どうかしたのか。欲しいものでもあったら平気で使うだろうに、と不思議な気持ちを抱きつつ、それじゃあ行こうか、と声をかけた。

 コンビニまでは徒歩五分ほど、その間は都会とは程遠い何もない道だ。小さな街灯が照らす道は、それでも月の明かりを受けて暗くはない。月島に言わせれば少し暗い、らしいが宮城がきれいに見えすぎるだけだろう、ここいらは割りときれいに見える場所だと聞いたことがある。
「あ、満月」
 煌々と輝く満月を見ていたら月見うどんが食べたくなった。うん、そうしよう。コンビニに着くまで、月島は一言もしゃべらなかった。
「いらっしゃいませー」という声に出迎えられ、そのまま麺コーナーへと足を向ける。ふらりと別のところに足を向けたのを視界の端で捕らえてーーああ、いつものところが、と気付かれないよう小さく笑った。
 かごに月見うどんを突っ込んで、ついでにビールを二缶。つまみにいかくんと、と入れようとしたところでやめた。一缶ずつしか飲まないのだったらそんなにつまみはいらない。
 かごを持ったまま、月島のところへいけば案の定デザートコーナーだ。「決めた?」「どうしようかなぁ、と」横からひょいと覗き込めば少し値段の張るショートケーキ一つといつもの二個入りのもの、どちらにしようかと悩んでいるようだった。そっちにすれば、と値段の張る方を指すも、そうなんですけど、と少しだけ下唇をつきだすように眉間にシワを寄せる。
「別に買ってやるけど」
「そうじゃなくて、いや出しますケド」
 バイトしてるからいいのに、といい募ればバイトしてたんですか、とビックリしたように眼を瞬かせた。「まぁ学校でだけどね」楽だし時給いいし都合つきやすいし、割りと便利だと思っている。「で?」なにを悩むのか、と促せば、視線を俺とは逆側に反らして。
「一人で食べるより二人で食べる方が美味しいじゃないですか」
 ソレ食べて余裕ありそうならこっちにします、と二個入りの方を指差すものだからたまらなくなった。かわいいなぁ、と少しだけ笑いかけてあわてて顔を引き締める。
 そのまま少し値段の張る方を二つかごに入れたのを見た月島は、え、と間抜けな声をもらしてこちらを見た。「余裕はありそうだけど、どうせなら二人で美味いもの食べた方がもっと美味いんじゃないの?」そう笑えば、コンビニのケーキなんてどれも一緒じゃないですか、と視線を下にずらす月島は自分の矛盾に気付いているように気まずげだった。
 そうかもね、と笑った俺は、ひどく意地の悪い顔をしていたらしい。さっさとレジに向かって行く俺に、月島は自分の分は出すと言って聞かなかったが、たかだか二、三百円。バイトをしているならまだしも、まだまだバイトをするまでもなく部活に明け暮れているのだからここは素直に奢られろ。そうやって納得させたのは家についてからしばらくたってからだった。
 渋々と納得したにも関わらず、ケーキを前にすれば堪えきれない喜色が広がるのが見てとれまだまだかわいいなと小さく笑う。せっかくケーキなのだから、とビールはそのまま冷蔵庫にしまって、紅茶を入れた。ティーパックの安い紅茶だけれど、コンビニの安いケーキだけれど、その前に俺が食べたのはコンビニの月見うどんだけれど、そしてそもそも真夜中だけれど。
 幸せそうにケーキを口に運ぶ姿を前に、たぶんこれ以上はないのだろうと一切れ口に運んだ。

真夜中の散歩

(いちごだけころんと皿に乗せれば、しっかりと笑うその姿に、愛しさがこみ上げる。)