瞳が物語るとはこのことか、と思えるほどに強い意志を持ったその瞳は、僕を燃え付くさんとばかりにじりじりと熱を放っていた。なにも考えていない、というのはいささか失礼かもしれないけれど、普段はバレー以外のものを考えていないだろう頭の中はいま、どうなっているのかすごく気になるところではある。
 僕はといえば、その瞳ににらまれることなくじっと見つめられていて、ふっと瞳を閉じてそらしたくなる衝動を堪えていた。普段ならとうに閉じてそらしていただろう。そう、頭越しに見えている光景がよく見慣れた天井ではなかったのなら。
 瞳をそらせないでいるが、傍から見たら単に見つめあっているようにしか見えないだろうと気付いてしまったら、今すぐにでも瞳を、視線をそらしたい衝動に駆られた。でもそらしてしまったら、それこそ食べられてしまうような気がしてそらすにそらせない。食べられてしまう、というは物理的にも思えるし、それこそ――以下略。
 なぜ、なぜ僕は押し倒されているのだろうか。
 腕一本分の距離が、ひどく狭く感じる。左手は右頬のすぐそばについているし、右手は僕の左手を掴んで離さない。それだけならまだしも、じりじりと右手は指を絡めてきて、ああもう本当になんなの、これ。
 ぐっと眉間にしわを寄せたかと思えば、「なんなんだよ」って、それこっちのセリフなんだけど。そのまま口に出せば、珍しくはぁとため息を吐いて(いつもならば舌打ちなのに!)そのまま顔を首もとに埋めた。
 ちょっと、思わず口から出た言葉は制止か戸惑いか嫌悪か、自分でも全くわからない。今日は襟ぐりが少し広めのニットだから、その場でため息を吐かれると首筋だけじゃなくて鎖骨の辺りにも当たってぞわぞわする。下がタイツにショートパンツで、今はまだ跨いでいるだけだからいいけど、これで膝をわって入られたら本当にもうたぶんパンクしそうだ。
 ほんとになんなの、そう言おうと最初のな、までいったところで生暖かく、湿り気を帯びたものが首筋を這った、感触がした。
「ちょ、」
 よじって逃げようと右を向けば、逃げるなとばかりに左手が目の前を遮る。あれよあれよという間に眼鏡を奪われ放られた。レンズに傷が付いたら弁償してもらうんだから、と息を吸い込んだ瞬間、親指が口に突っ込まれてむぐ、と意図しない声が出る。
 噛んでやろうかと思ったが、天下のセッター様の指だと思うと噛み付けなんてしなかった。僕のせいで、しかもこんな痴話で、あの完璧なトスがほんの少しでも狂うなんてことがあったら死にたくなるに違いない。
 戸惑っているうちに首筋を這う生暖かい感覚は徐々に上へと上がり、顎をなぞったあと耳が食まれた。吐息がかかって、食まれて、ぞわぞわとした感覚が背中を抜ける。その感覚が抜けるかのように口から漏れる息を合図に、親指が口の中を荒らす。歯にあたって傷でも付いたらどうするの、だなんて思っている時点で、僕はもう諦めがついているのかもしれない。

****

 付き合いはじめてから三年経った。三年、世間一般で言われている一つの山場で、互いをよく知るようになった弊害として嫌なところが目につき冷めてくる頃合い。
 僕らは最初から嫌なところばかり気にしていたのだから今更で、そんなものどこ吹く風だ。
 互いに大学へと進学し、遠くはないが近いとは言えない距離にいる。影山は部活が忙しく、休みなんてほとんどない。僕もバイトで忙しくしているのだから人のことは言えないのだが、久しぶりに合った休みが明日だった。
 寮住まいの影山のところへは行けないので、影山が僕のうちへと泊まりに来た、それはいい。三年付き合ってキス以上がなかったなんて驚かれることはあるし、イマドキそうそうないだろうこともわかっていた。でも、あの影山だ。海に行けば女の子の水着姿よりも砂に興味を示し、そして田中さんや西谷さんの猥談にだって全く興味を示さない、あの影山だ。下手をすれば結婚したってそんなこと起こらないのかもしれないと、冗談半分であれどそう思っていた。
 現に、これまでだって何度か二人だけで夜を過ごすことがなかったわけではない。互いの部屋に行き来していたし、それこそ大学に入ってからは何度か泊まっていったことだってある。だから、起こらないと思っていた。
 思っていたのだ。混乱が勝って、流されるとかなんとか、そういう場合じゃない。いますぐにでもひっぺがして正座させて、どういう風の吹き回しだと問いたい。
 なのに、影山の舌は(生暖かいで逃げていたけれど、これはもう舌だ。いまさら、逃げられない)耳を這い回って水音をたてるし、口の中を荒らす指はいつのまにか増えて人差し指と親指が舌をなで回しているしで、ああもう、どうしたいの。僕は、どうしたらいいの。
 唯一あいている右手は、どうしたらいいのかわからずに結局影山の脇のあたりの服をつかんだだけで終わった。この手は引きはがしたくて引っ張るのか、それともすがるために握るのか、自分でもわからないのだが。
 口に指が入っているせいで完全に閉じられなくて、声が漏れる。そのたびに耳を荒い吐息がかすめて、左手に絡んだ指に力が入っていく。あいていたはずの身体同士の隙間は、今や髪一本すら入らないくらいにぴたりとくっついて足が絡みかけている。固い異物感をひっそりと感じて、ひどく焦った。
 はぁ、と溜め息ではなく熱い吐息を吐き出した影山は、身体を起こして焼けつくような視線が絡みつく。やっと出て行った指は、そのまま影山の口の中へと納まって視線が鋭くなったことに、震えた。もう一度右側に腕をついて、ちゅっと唇が合わさる。
 触れ合わさるだけの軽いものから啄むようなものになって、ゾクゾクとした震えが腰から上へ、鼻から声となって抜けた。その拍子に開いた唇に、するりと舌がもぐりこんで今度は舌が舌をなで回す。出したくもない声が鼻から抜けて行って、背中から腰にかけてはゾクゾクして、両の手に力がこもった。僕の左側について体重を支えていたはずの腕はいつのまにか首筋から耳にかけてをなぜていて、こんなのどこで覚えてきたの。
 口の端からどちらのものとも言えない唾液が頬を伝い、その濡れに指を這わせていく大きな熱い手のひらは、本当に影山のものなのかと疑問になった。でも、強引ともいえるようなキス、痛いくらいに握る手、撫でていく指の繊細さ、どこをとっても影山でますます混乱する。
 僕の舌をぐっと吸ってから離した唇の間は、まだ離れたくないというかのように一瞬だけ繋がったままだった。はぁ、と熱い吐息を一つだけ吐き出した影山に、まだ荒い息の僕はどう映るのだろうか。
 けい、とその唇を震わせたことに心臓が捕まれたような感覚に陥る。名前なんて、今まで呼んだこともなかったのに、そもそも知ってたんだ、そんな場違いな思いすら浮かんでは消えた。
 好きだと言ったその声に、本気の匂いを感じ取って心底震えた。こんなに直接的に好きだと言われたことは、たぶん、ない。僕だって言ったことはないだろう。なんとなく、そうなんとなくだ。僕らの間には愛の言葉なんてなかったのだから。
 お前もだろ、だなんて軽く唇を尖らせる姿がいつもの子供っぽいものではなくて、ひどく色っぽくて。嫌いな人とこんなに一緒にいるわけないでしょ、なんて素直じゃない答えにも、満足げに笑うのだから、もうなにも言えなくなる。
 よくわかんねーけど、そう呟いて細めた瞳は、追い詰められた直後のサーブのときのように静かなのが逆に怖くなるような瞳だった。
「なんか、いくら触ってもたりねぇ気がする、」
 そう言って右頬に手のひらをあて、眉間にシワを寄せる仕草が、機嫌がわるいわけではないその仕草が、僕の心を大きく乱す。おかしい、こいつ、わかってない気がする。これだけ触ってても、自分の中の感情の行き先が見つけられていないというか……、どうしようこれ。
 意思を持っていないような触り方で、いやらしいとかそういう感じじゃないのかひどくどうしようもない。いや、他の人に触られたことなんてないから正確には知らないけど、なんて言い訳を心の中でする。そもそもその窮屈そうなズボンの下は、普段処理してるの、だなんて恥ずかしくて聞けやしない。
「どうすりゃいい?」
 いや、聞かれても。僕に答えなんか出せるわけがない。「知らないよ」そう答えて服をつかんでいた手を背中に回した。もう、なるようになればいい。

どうにでも、なれ

覚悟なんか、初めて一緒に夜を越す前に済ませたんだよ、ばか。