「にーちゃんおはよー! ごはんやで!」
 弟の声で起こされた鳴子は、おはようさんと返したあとに目覚ましが鳴らなかったのかとふと手元の携帯端末を確認する。電源ボタンを短く一度押しても画面が明るくならず、電源が落ちているために鳴らなかったのだと納得し、昨日の部活帰りの奇妙な主張を思い出した。

 みんなで帰るときの、いつもの別れ道。そこで小野田と杉本は右に、鳴子は今泉と共に左に分かれ、そのあとは二人が別れる道までちょっとした勝負をしている。いつものように先に去る二人に声をかけようとしたとき、あ、とふいに声を上げた小野田に、口にする言葉を忘れ物かいな? と変更した鳴子は返事が後ろからかかったことに怪訝な顔をして振り返った。
「鳴子、今から明日の部活終わるまで携帯の電源落としておけ」
 なぜ唐突にそんなことを、しかも今泉に指図されなければならないのかわからず、鳴子はさっと眉間に皺が寄るのを自覚した。いつものように喧嘩になることを察してかあわあわとあわてたように「お願い」と困ったように小野田はそれに同意するが、なぜ二人から電源を切るように言われるのかさっぱりわからず、思わずなんでやねん、と小さくこぼして二人が視界に入るように一歩足を引いた。
 その態度がよほど鳴子らしくなかったのか、はたまた自分もと主張したかったのか定かではないが、杉本が「いきなり言われても鳴子も困るとは思うけど」と困ったように笑って、やはり「何も聞かずに、頼むよ」と言いつのった。小野田の困ったような顔、杉本の困ったような笑顔、"スカして"いるままこちらを見下ろす今泉に、だんだんと面倒になった鳴子は、はぁと一つため息を落とす。
「部活終わるまででええんやったっけ? ほんなら、部活後や。部活後、理由はなしぃや」
 絶対やからな! と睨むようにしながら携帯端末の電源を落とす鳴子に、小野田と杉本はほっとしたように笑い、今泉は少しだけ瞳を緩めた。そんな三人の姿に鳴子は今泉と張り合う気にもならず、そのままペダルを踏み出して「ほな、また明日」と後ろ手を振って一人で帰路についたのだった。

 なんなんやろ、と小さくこぼしたが、考えても仕方ないと勢いをつけて起き上った。顔を洗ってから鏡に映る自分の顔を見つめたまま、ぱんと一つ頬を叩いて気合いを入れる。「にーちゃーん、ごはんー!」ダイニングから顔を出して自分を呼ぶ弟に、歩みを速めた。

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 ヘルメットをかぶり、愛車にまたがった鳴子は、いつものようにぐんとペダルをこぎ出す。一日の初めにペダルを踏み込み、回し始める一歩だけはたとえ学校に向かう道だとしても鳴子にとって特別なものだった。それが授業のためではなく、部活のため、自転車を漕ぐために向かうのだとしたら、その一歩がより軽く、より大切に感じられるのも必至。風を感じ始め、空気を切り裂くように進むこの愛車とその愛車を進める自分の脚が誇りだと実感できるのだ。
 学校に行くには少しだけ遠回りしていくように、練習を兼ねて進める道は五分の確率で今泉と遭遇している。スプリンターである鳴子と、オールラウンダーである今泉の練習コースが同じだというのは、今年のインターハイまでスプリンターを捨て、オールラウンダーとして走っていた名残であるかのようで、その実一人でスプリントをするよりも競い合う方が練習になるからだ。山道が含まれるそのコースは、朝から今泉と遭遇した場合にはやはり競い合うようにペダルを回す。今日はどうやら遭遇しない日だったようだ。
 学校に着けば、鏑木と段竹が自転車のメンテナンスをしており、その横で杉本が何かをしゃべっていた。「おはようさん」いつものように軽く声をかけ、愛車から降りれば杉本と鏑木と段竹から挨拶が返った。練習が始まるまでにサイクルジャージを着替え、ドリンクを補充する。夏はやはりドリンクの消費が早く、赤いために他人よりは熱くならない頭にも水をかけたくなるので水も必要だ。ついでとばかりに水道の水をそのままかぶり、ぶるぶると頭を振って水を軽く落とした。
「冷てえよ」
 その声に、瞑っていたいた目を開くと、ちょうど同じように補充に来たのか、今泉が払い落とされた水に襲われているのが目に入る。カッカッカッ、と笑った鳴子に「走ってきたんならちょうどええやろ」と言われれば、今泉はまあそうだけど、と小さくつぶやくしかない。同学年でも小野田や杉本よりも距離が近くなるのが遅かった今泉は、これまで友達がいなかったためか友達との距離感がわからないようで鳴子にはそれが新鮮にも面白くも映る。それでもやはり、友達という言葉よりもライバルと言った方がしっくりくるのはお互い様であったが。

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 手嶋から今日のメニューが言い渡され、各自散っていく。この役目もそのうち代替わりし、鳴子たちの世代になるはずだ。練習強度だけではない、確かな寂しさが全員の心に居座る。
 オールラウンダー組はクライマー組と一緒に二つのグループに別れ、峰が山のコースに散っていく。二組目が出発してから鳴子は青八木と共に一年生を引っ張り市街地のコースへと繰り出した。
 脚が千切れるほど回す、回す、回す。競いあって感化しあって、例え練習であったとしても負けないという気持ちが強く、ぐんぐんと進んでいく。景色が飛ぶように後ろに駆け抜け、バンドルを握る手に力が入った。
「鳴子さん! 青八木さん! 今日は負けませんからね!」すぐ後ろからかかる声に、小さく青八木と視線を合わせた鳴子はカッカッカッと笑い、「そう簡単に負けてやらんわ! なぁ、青八木サン!」と鏑木を煽るように不敵に笑う。こくりと頷いた青八木ももちろん負ける気はなく、青八木と鳴子もお互いに負けないとばかりにペダルを踏み込む脚に力を込めた。
 きらきらと汗が太陽に反射して、練習を彩る。その輝きは、今しか見られないものだと、鏑木たち一年スプリンター組は目を細めた。卒業する前に追い付く。全員が同じことを思い、踏み込むペダルは勢いを増した。

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 スプリンター組が部室前に戻るのと、クライマー&オールラウンダーの二組目が部室前に戻るのはほぼ同時であった。平坦で力を使い果たしてきたはずのスプリンターだったが、後ろからやって来た二組目に煽られるように一部が競い合って先行する。
 今泉と鳴子を筆頭に、鏑木と段竹も似たように競い合っていた。この二人は今泉と鳴子のような競い合う関係ではなく、どちらかと言えば手嶋と青八木のような補う関係にあったが、競いあって高め合うことが、負けないと思えることが出てきたことで良い相乗効果になってると二、三年は考えていた。
 ほぼ同時にゴールを迎えた鳴子と今泉は、どちらが早かったかいつものように言い合っており、先に戻っていた小野田に「お疲れ様」と声をかけられるまでそれは続いた。手嶋がパンと手を叩き、締めの言葉を掛けたあとは、その日のまとめを各自記入し、個人練習やメンテナンスに充てる。
 鳴子と今泉は決着が着かなかったのが余程気にくわないのか、挨拶もそこそこに勢いよく飛び出していった。それをにこにこと見送った小野田は、くるりと振り返り「それじゃあ、お願いします」と他の部員たちに声をかけ、自らも『準備』へと取り掛かる。時間はそう多くはないだろう。

 勢いよく飛び出した鳴子と今泉は、示し合わせるでもなくいつものコースをぐるっと回るようにして走っていた。この場合、折り返しである自販機の置いてある駐車場がゴールとなり、全力を出し尽くした帰りは軽くサイクリングのつもりで走ることになる。最終的に部室前まではどちらが先か競い合っているので、あくまでつもりなのであるが。
 今走っているのはほぼ中間地点、下りと平坦区間を駆け抜け、登り始める辺りだ。入学当初ならいざ知らず、一度オールラウンダーへと転向し、スプリンターに復帰した鳴子の脚はまだ完全には入れ替わっていない。つまりここからも今泉は一瞬たりとも気を抜けないということだ。
 もちろん舐めてかかる真似などしない。ウェルカムレースでだって山で置いていったにも拘らず最後は競ったのだ。
 ついこの間までチームとして走っていたのに、こうやって競っていた方がしっくりとくる気がすると今泉は思う。走りに魅せられて悔しくなる程度には同じチームでいることを惜しむのだ。チームメイトであり、ライバルでもあるこの関係はひどく良い刺激になっていた。
「どーしたスカシ! ちょーっとペース落ちとるんとちゃうか!」
 ニヤリと口角をあげる鳴子に、今泉ははっきりと「そんなわけねーだろ」と笑う。軽口を叩きながら脚は千切れるほど回して、先へ先へと進むのだ。もっと先へ、静かな方へ。煩いはずのその声も、色も、存在も、自転車に乗って競い合っているときだけは不思議と不快感がなかった。
 それは、自分には決して出来ない走りであり、不思議と他人を引き込み、魅せる走りだからなのかもしれない。今泉は絶対に口にはしないが、そう思っている。
 全力でペダルを踏み込んで、腰を上げた。抜きつ抜かれつ、どんどんとゴールまでの距離を縮めていく。視界の端にちらつく赤に、負けたくないという気持ちが強く沸き上がるのを今泉は自覚した。
「ワイの、勝ち、やで」
「オレ、の方、が、三、センチ、速かった、だろ」
 たどり着いたゴールでぜいぜいと息を吐き出しながら、どちらが速かったかを言い合うのも恒例と化している。どちらからともなく笑いだしてしまうまでがいつものパターンだった。
 流れる汗をぐいと拭り、ボトルに手を伸ばした鳴子だったが、空なのを思い出して自販機へと足を向ける。スポーツ飲料に指を伸ばし、出てきたペットボトルの中身を大きく煽った。嚥下しきれなかったものと汗とが混ざり合って顎を伝っていく。ぷはぁ、と呼吸を挟んで口元と顎を手で拭い、残りをボトルに注いだ。
 ジャージの後ろのポケットへと手を伸ばし、時間を確認しようと携帯端末を取り出した鳴子は、電源を落としていたことを思い出して「せやった」小さくこぼした。部活が終わるまで、という話だったはずなので、もう電源を入れてもいいだろうと電源ボタンに指を伸ばすと、焦ったような今泉の声が遮った。
「もう部活終わってんねんで? 部活終わるまでいう話やったやろ」
 せや、なんで切れ言うたか聞かせぇや。電源ボタンからは指を離したが、そのまま軽く睨み付けるように鳴子は今泉を視界に入れた。今泉は右に左に視線を泳がせ、はよせぇ、と三度催促して一度下に落としてから視線を合わせる。
 右手をポケットに突っ込み、投げて寄越したそれは「……サイクルグローブ?」手に馴染んではいるが使い降るされたそれは、そろそろ新しいものがほしいと思っていたところだった。
「やる。」とだけ言う今泉に、思わず唸るように声を上げた鳴子は「理由になっとらんわ」と投げられたグローブを強く握って睨め付ける。鳴子に貰う謂れはないのだ。
 もぞもぞと今泉の口元が動いたような気がして、なんや、と促すと、誕生日、とだけ返され、なんやて、と返しながらはたと今日は何日だと頭の中が訴える。八月二十八日、そう、鳴子の――「だから、誕生日おめでとう」視線を泳がせた今泉は、明らかに他人の誕生日なんか祝い慣れていなくて、ぽかんと口を開いたままの鳴子に「マヌケ面だな」と笑った顔は年相応に恥ずかしげだった。
「くそっ、後での予定だったんだ。あと、それは小野田と杉本と寒咲とオレの四人からだからあいつらに礼言っとけよ」
 恥ずかしそうに言いつのる今泉に、おおきに、という感謝の言葉すら出てこない鳴子は、ぽかんと昨年の誕生日を思い出していた。そう、昨年は小野田と今泉が選んだというケーキをもらった。サプライズにひどく喜んだ自分は――そう、選んだ今泉が軽く引くほど泣いて喜んだのだ。小野田は楽しそうに笑っていたが。
 唸る今泉の耳の先が赤く、照れているのが丸わかりで、じわじわと実感してきた鳴子であったが、はたと毎年のことを思い出した。毎年、八月半ばくらいくらいから九月頭にかけての弟たちの誕生日とすべてまとめて八月二十七日の夜に祝うのが鳴子家の定番であった。その定番が過ぎると自分の誕生日だ、と認識していたため、昨夜その祝いの席がなかったために全く思い出せないでいたのだと気付いた。
「ほんとに忘れてそうだったから、サプライズにちょうどいい、と思ったんだ。でも向こうの友達からメールとか来たら誕生日って思い出すだろうから電源切ればいいんじゃないかって杉本が。他にもお前の家族とか、部活の連中とか、いろいろ根回しはあいつらがやったんだ、あーもう、サプライズの意味が。クソッあと少しくらい気付かないでいろよ」
 今泉は、鳴子には知る由もないが、関わらないでいたといえるような、いつものように競い合うだけの役目だったはずなのに、一番恥ずかしいポジションにいるのは何故だと頭を抱えたくなっていた。ここから戻ってもサプライズが待っているのに、と思えどあまりにぽかんとした顔のままで「……鳴子?」つい怪訝な声がでた。
 自分の誕生日を忘れるなんて、と思えど、夏休み中、日付の感覚などなく、毎日ただひたすらペダルを回していただけだったのだ。自分の誕生日、とまで思い出して、鳴子は思わず「今日、八月二十八日なん……?」と絶望的な声を出した。
「宿題、終わってへん……!!」
 そっちかよ、と思わず今泉は声に出しかけたが、今泉も完全に終わっているわけではないので「頑張れ」と小さく言うだけに留める。小さくため息がでた今泉は、愛車にまたがり、そろそろ戻るぞ、と声をかけた。
 あああああ、と頭を抱えていた鳴子は、その声でぴたりと動きを止める。とりあえず、一旦宿題のことは忘れよう。そう、自分の誕生日なのだから。そして今泉をまっすぐと見た。
「ほんまおおきに!! めっちゃうれしいで!」
 本当にうれしいと、全身が訴えるような輝く笑顔で礼を言った鳴子に、今泉は素直にまぶしいと感じた。友達なんていなかった、と言っても過言ではない今泉は、これまで友達だってたくさんいたであろう鳴子が、こうやって不器用な祝い方をする自分たちに対しても、本当にうれしそうにすることに不思議な気分になるのだ。そんなところが『自転車と友達をこよなく愛する』と自称するだけはある、と今泉に思わせた。
「早速、もろた方つけるか」と今までつけていたグローブを外し、貰ったばかりのグローブを付けた鳴子は、やっぱええなぁ、とうれしそうに笑う。こうやって喜んでもらえるからプレゼントをするのか、と今泉は一年越しで気付いた。昨年はただただよろこんだ姿が恥ずかしかっただけだった。今は、よろこぶ姿が気恥ずかしく思えど、そんな姿が嬉しい、と素直に思える。
「そいじゃ、部室までもう一本、いくで!」
 鳴子のその声に、二人はペダルを勢いよく踏み出した。

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 鳴子と今泉が部室前に戻ってくるのに、勝負をしないはずがなかった。倒れ込むほどまではいかずとも、ぜいぜいと息を切らす二人に、マネージャーの寒咲からドリンクが手渡される。「おーきに」「さんきゅ」一言ずつ礼を言って受け取り、ドリンクを煽った鳴子の手元を見て、寒咲はにこにこと笑みを深めた。
 せや、と寒咲に向き直り、「ほんまおおきに! これめっちゃええやつやんな」と笑う。喜んでもらえたみたいでよかった、と寒咲もにこにこと笑っていて、今泉は少しだけ居心地が悪くなった。ぱっと部室の方に視線を向ければ、寒咲から目配せをされ、部室に歩き出して鳴子を呼ぶ。

 部室の扉を開けた瞬間、パンッパンッと破裂音と紙吹雪が鳴子を襲った。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、状況を飲み込もうとする鳴子の姿に、室内の人間が笑顔になる。視界を彩る、『鳴子誕生日おめでとう』の赤い横断幕にぱっと顔を明るくし、それでも両の瞳から流れる涙をぬぐいながら、「なんや小野田くん、去年よりだいぶパワーアップしとるやないかい」とかける声が震えたのは、仕方のないことだろう。
 にこにこと笑う小野田は鳴子を室内へと促し、席に座らせた。部室のいつものパイプ椅子であるはずなのにひどく素晴らしいものに見え、そうっと腰かけることにした。
 そこにケーキを持って登場したのは、「オッサン!? 金城サンも!?」卒業したはずの田所と金城であった。なんでここに、と鳴子が不思議そうだったからか、先輩たちも夏休みなんだって、と小野田が笑って教えてくれる。
「オッサンじゃねーよ」と笑う田所と、「おめでとう、鳴子」と笑う金城の姿は、二年生以上だけでなく一年生にも見覚えのある姿でひどくその場を沸かせた。
「巻島さんはさすがにこれなかったんだけど、プレゼントが届いてるよ」
 小野田がにこにこと差し出したものは、巻島独特のセンスのカラーリングに、赤が混じったタオル。さすが巻島サンやな、と少しだけ懐かしくなった鳴子は、小野田が次に出す手紙に自分のお礼の手紙を添えてもらうことを約束した。先の巻島の誕生日に連名で送りつけた誕生日プレゼントは喜んでくれたのか、さっぱりわからないがきっとこれはいやがらせではないのだろう。
 ケーキは田所パン製で、金城が手品を見せ、後輩たちからは「いくつあってもいいと思ったので」とタオル。こちらは鳴子の好みを反映した赤を基調としたもので、一人一枚とばかりにどんどんと鳴子の腕の中に渡った。
「めっちゃあるやん! しばらくタオルに困らんわー」
 カッカッカッと笑う鳴子は、困った様子など微塵も見せずに笑い、困らせるかと不安に思っていた後輩たちも顔を見合わせてにこにこと一緒になって笑い出す。タオルなんて何枚あってもいい、と思っているし、事実タオルは良く使う消耗品だ。とてもありがたく、また、自分好みの赤い色でそれもまたうれしくさせる。
 三年生からはサイクルジャージが送られ、思わずその場で着替え「どや? 似合うてる?」と聞いて回り、手嶋に笑われた。青八木はコクリと頷いて似合うと意思表示してくれたし、古賀は「黒に赤いラインだから全部赤より目立つだろ」と笑って背を叩く。
 そんな先輩たちの気持ちも行動もひどく嬉しく、代替わりを控えている中でこのサイクルジャージが先輩たちの掌を思い出させてくれるのではないか、と少しだけ目頭が熱くなった。

 ケーキを食べ、楽しく時間が過ぎ、金城が手品だけだというのはさすがに、と何かほしいものはないかと聞く。はたと今泉とのやりとりを思い出した鳴子は、それまでの楽しげな表情を一変させた。そうだ、今日は八月二十八日……! と鳴子は愕然とした表情で、「宿題みたってください……!」とダメで当たり前、とばかりに口に出したところ金城は笑って了承してくれた。
 少し遅い里帰りをしているらしく、「九月頭まではこちらにいるから明日も部活に顔を出そう」と笑った姿がひどく頼もしく見えた。勉強面はもちろん、久しぶりに金城とともに走れるのは大きな誕生日プレゼントと言えよう。
 鏑木をはじめとした一年生数人から「オレも終わってません……!」という悲痛な声が上がり、手嶋は大きくため息を吐いて明日の部活後に終ってない宿題を全て落ち寄るように言いつけた。ほっと息を出した今泉を目ざとく見つけた鳴子は「なんや、やっぱりスカシも終わってないんかい」と笑ったが、たぶんオマエよりは終わってると言った今泉にいつものように言い合いが始まり、懐かしそうに瞳を細める金城と、笑う田所が視界の端に映った鳴子は、ひどくあたたかい気持ちになった。

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「せや、小野田くんも杉本もほんまおおきになぁ。めっちゃびっくりしたで!」
 そう笑う鳴子は、携帯端末の電源を入れてやはりたくさん入っていたメールに一つ一つ目を通してからしっかりと小野田と杉本に目を合わせて言った。これも、とグローブをつかむ鳴子に、小野田と杉本は困ったように笑いながら視線を合わせて、実は、と切り出した言葉に、鳴子は唖然とした。

 それね、今泉くんからだけなんだ。
 ボクらは鳴子のご家族に話したり、部活のメンバーに話したり、部室の準備をしただけなんだよ。
 今泉くん、自分からっていうの恥ずかしいみたいでボクらから、ってことにしたんだけどね。
 寒咲マネージャーが選ぶのを手伝ったみたいだよ。
 だから、今泉くんにいっぱいお礼言ってあげて。
 きっと今泉は否定すると思うけどね。たまにはいいじゃないか?

 チームメイトからたくさん祝われて、モノをプレゼントされるのももちろんうれしいが、おめでとうと一言言ってもらえるだけでうれしいのに。こうやって部室を飾り付けて誕生日会のようなことをしてくれて。サプライズイベントを昨年の驚きよりも大きく、印象深くした今年の誕生日。
 夏休み終わり間際にわいわいとやるいい口実になったのだろうけれど、それも全部まとめて鳴子はとてもうれしかった。

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「スカシ、おーきにな」ニヤリと笑った鳴子に、今泉はなんのことだと眉間にしわを寄せ、鳴子がニヤニヤと笑っていることにはっとして、恥ずかしくなった。「みんなからっていっただろ」視線を逸らした今泉に、鳴子はニヤニヤとした笑顔を深め、「ほんでも選んだのはお前やろ? ごっつワイの好みやで、これ。」と言いつのる。
 今泉は、鳴子にばれているとは知らず、それでも好みであったことにほっとしてさすが派手好き、とこぼした。
「せや、誕生日プレゼントの最後に勝負してくれや」


「ほんま、おーきに!」

 自分からせっつくのか、と笑った今泉は、返事の代わりにシフタをクリックして腰を上げる。下ハンドルを握り腰を上げた鳴子は、今泉との勝負に笑った。