お仕事中の後姿を眺めながら頬杖をつく。動く視線と、時折確認するようにだけ止まる手がいつもよりは忙しくないことを物語っていた。
 もう自分の仕事もレッスンも終わって、今日は帰るだけ。そんな状態なのにまだ事務所に残っているのはプロデューサーちゃんと少しでも一緒にいたいからだった。いつも忙しそうだし、たまに眺めてるくらいならいいじゃんね。
 と、最初は本当にその後ろ姿を眺めているだけで良かったのだ。良かったはずなのに、その視線がほしいと思ってしまったのが悪かったのか。そうしたら、無性にしたくなってしまった。
「プロデューサーちゃん、ちゅーしたい」
 つぶやいただけのはずの言葉は存外大きく響いて、言われたプロデューサーちゃんよりも自分のほうがゼッタイびっくりした。間髪入れずに「だめ」と返された言葉に、動揺を見せないように「しーたーいー」といつもの調子で繰り返す。
 だって、したいのはうそじゃない。
「ここどこだと思ってるの」
「事務所。でもしたいっす」
 ぶーたれた声への返事は、小さな溜息だけだった。あの溜息は"ダメ"のサインだ。あーあ、わかってはいたし、言うつもりがあったわけじゃないからいいんだけど。一度声に出したら途端にしたくてたまらなくなった。
 サイドで留められた髪から覗く耳が、うなじが、いやに目にこびりついて離れない。のどがごくりと鳴ったのが、プロデューサーちゃんに聞こえやしないかとひやひやした。
 あーもう、怒られたっていいや。だってしたいんだもん。
 そっと後ろから近付いて、そのまま腕を回した。びくりと震えた身体が、知った体温だからか一瞬だけでおさまったことに小さな感動を覚える。だってコレ、オレだってわかったからこわくないとかそういうことでしょ?
「四季、」
 咎めるような声色にすでに怒られているような気分になるけれど、こんなところで止まっちゃ意味がない。目について離れない耳朶に唇を落とした。
 ちゅっちゅっと音が鳴るたびにぴくりぴくりと震えるのに気をよくしたオレは耳の裏に鼻を寄せる。プロデューサーちゃんいつもイイ匂いするんだよね。「ちょっと、」と止める声が聞こえるけど聞こえないフリ。だってもう怒られること確定してるならもっとしたいもん。
「プロデューサーちゃん……こっ」
 左耳に唇を落としながら、こっちを向いてほしいとねだろうとしたら入った。なんだこれ、めっちゃいてぇ! プロデューサーちゃんのひじ、細いからめっちゃ痛い。
「やめなさいっていってるでしょう! 用事がないならもう帰りなさい!」
 怒ったようにまくしたてるプロデューサーちゃんは、そのままカツカツと給湯室へ消えていった。みぞおちに入ったんだけど、痛くてちょっとこのままうずくまっていたい。
 めっちゃくちゃ痛いけど、プロデューサーちゃん、かわいかったなぁ。

****

 うっかりマグカップを洗い損ねたのを思い出して、給湯室に引き返して来たら珍しくプロデューサーがカチャカチャと音を鳴らしながら紅茶を淹れていた。音を鳴らしながら、というか何か怒っているように扱いが雑だ。すっごく珍しい。いつだってプロデューサーは丁寧だ……と思っていたから。
 手元ばかりを見ていたけれど、ぱっと視線をあげてびっくりした。首まで真っ赤だ!
「わっ! プロデューサー、顔赤いけど大丈夫?」
 ちょっと、というよりはかなり目が座っている状態でこちらをばっと振り返ったプロデューサーに、おもわず半分だけ身体を引いた。ちょっとだけ、こわい。ちょっとだけだけど!
「四季が……」
「シキ?」
 おうむ返しのように後輩の名前を返す。眉間に手をやって、頭を振りながら「四季どうにかして」と絞り出すようなプロデューサーにきょとりと首を傾げた。
「シキがなんかしたの?」
 ここまでプロデューサーを怒らせるようなことをシキがするとは思えなかったけれど、プロデューサーの様子からはシキがなにかしたのは間違いないんだろう。うーん、と唸るような声を上げるプロデューサーも珍しくて、傾げていた首がさらに傾いた。
「いや、なんでもない。……もう遅いから、四季つれて帰りなさい」
 うん、と頷いたあとにマグカップ! と声を上げると、「さっき洗っておいたよ、気を付けてね」と少しだけ目元を緩めてくれる。ありがとう、と声に出してからうーん、この調子だとシキに怒ってる、というよりは困ってる? とかそんな感じなのかな。
「それじゃ、お疲れ様です。プロデューサーも無理しないようにな!」
 お疲れ様、と笑みを含んだ声に少しだけ安心した。

「おーいシキ、もう帰るぞ」
 プロデューサーに言われた、シキつれて帰れはたぶんお願いだったんだろうな、と思った。事務所のドアを開けてそう声をかければ、なぜかうずくまるシキがいた。
 ……なにしてんだよ、あきれたような声が出たけれど、まあたぶん自業自得だろうなって思ったから仕方ない。「なんでもないっす」と立ち上がったシキだけど、イテテ、とおなかをさすっていた。
「ほら、もう遅いから早く帰るぞ」
「はいっすー」
 帰り支度は済んでいるようで、リュックサックを持ったシキが扉から出たのを確認して踵を返した。
「シキ、プロデューサーに何したんだよ。顔真っ赤にして怒ってたぞ」
 そういえば、と思い出したように声をだしてシキに尋ねた。怒ってたというよりは困ってた、とかそんな感じなんだとは思うけど、シキがあんまり悪びれてもないからそんな風に聞いたわけだ。
 にもかかわらず、シキはぱっと顔を輝かせて「ナイショ!」とすっげー満面の笑みでいうものだから、とりあえず心の中でプロデューサーにエールを送った。うーん、シキのこの反応はきっとよくないことなんだろうなぁ。

照れ隠しだと思ってもいいっすか!