一息入れた時には、もう空は暗く、月明りが部屋を照らすような時間だった。周りには処理済みの書類と、未処理の書類の山ができている。
 明後日(いやもう日付が変わっているかもしれないので明日なのかもしれない)の王の出発に合わせて、整理しておかなければならない書類が山ほどあり、部下からあれもこれもと奏上された文書だけで山がいったいいくつできたかわからないほどあり、私や、私の上司はこれで四徹目だった。
 徹夜も二日目以降になると、仮眠を取らなくても効率が落ちることはほとんどなくなり、作業がはかどる……が、少しのミスが命取りになるような殺伐とした空気になる。実際のところ、理論上効率が落ちないとされていても効率は落ちるもので、効率が落ちていないのは私と上司だけ、他の部下たちはローテーションで仮眠を入れているのだ。が、いかんせん量が多い。
 飲み物と、何かつまむものでも持ってきたらよいだろうか。
 いい加減上司の目の下のクマと目の充血が痛々しいなぁ、とそんなことを思いながら席をはずし、休憩のためのお茶と、つまむものはサンドウィッチがいいだろうかと思いをはせた。
 私たち文官がこんなにも書類に手を焼いているというのに、このシンドリアのトップである王と、八人将の一人であるシャルルカンどのは飲みに出かけたらしい。上司がいつものようにまったくあの人は、とこぼしていたので知ってはいたが、どこか違うところのように感じていた。
 しかし、目の前にすれば別である。泥酔状態の王とシャルルカンどのが、二人で揚々と寝所のほうへと向かっていた。
 これは、仕事が増えるかもしれないけれども上司を呼んだほうがのちのちの仕事が減る気がする。直感的にそう思い、踵を返そうとすれば、そこに声がかかった。
「ウェルテ?そこにいるのはウェルテだろう?」
 王から直接声がかかれば、無視することはできない。手を組み、頭を垂れながら「月の美しい夜で、王、シャルルカンどの」と声をかける。
 二人は陽気に笑いながらなんだかんだと私を構い、連れて行こうとしているようだった。飲んでいた場所が場所だったのだろう、無遠慮に腕をつかみ、引きずられそうになる。
 徹夜していてよりいらいらする時である、手を振り払おうとしても、所詮女の文官の力、振り払えるわけがなかった。王にひきずられ、シャルルカンどのが陽気に「ではっ」と駆けて行く。あの人はきっとまた朝儀で転寝して上司に怒られるのだろう。
 それよりもこの人だ。
 王その人を止められるのは、そうそういない。放してください、といってもまったく聞く耳を持ちやしない。
なんなんだこの王は。
 殴りたい。蹴りたい。そう思ったところで王であるし、そもそもこの手を振りほどけない。どうしよう、と不安に思い、だれか通らないだろうか、と思うが、真夜中である。
 私と一緒に徹夜をしていたメンバーしか残っていないに違いない。彼らも死屍累々としていたし、きっとここまで来ることはないだろう。
 ああ、どうやってこの場を切り抜けよう。ぐるぐると頭の中をまわる知識たちが、逃げられないんじゃないかという結論を出そうとしていた。まだはやい、何かあるはずだ、と思ったところで、結論を覆すような要因は残っていない。
 それでも、と足を踏ん張り、放してください、と声を大きくすれば、いいじゃないか、と王はにこやかに笑いながら引っ張ろうとする。放せっつってんだろ! 心の中で叫びをあげても、伝わるわけがなく、酒臭い息が目前にまで迫っていた。
 ああじいさま、この酒臭いおっさんどうにかしてください。
「シンあんたなにしてんですか……!」
 じいさまありがとうございます、王を唯一どうにかできる人ですこの上司。
「ジャーファルさま……」
 ほっと一息つけば、王の首根っこを捕まえて、ずるずると引きずる上司、ことジャーファルさまが。
「ウェルテ、そこで待っていてくださいね、ちょっとこの人おいてきますから」
「あ、はい」
 くどくどと説教をしながら、王を(たぶん)寝かしつけに行ったジャーファルさま。私は、なんだか呆然とその場へへたり込んでしまった。
 二日間の全ての仕事よりも疲れた気がするのは、きっと気のせいではあるまい。ぼうっとその場に座っていれば、いつの間にか音も立てずに戻ってきたジャーファルさまが、目の前で手を振っていた。
「大丈夫ですか?変なことされませんでした?」
「はい、……たぶん、」
 心配そうに眼を細めるジャーファルさまは、私の心配をする前に自分の心配をしたほうがいいと思えるほど目の下のクマがひどくなっていた。たぶんって、まったく……と立ち上がったジャーファルさまは、いきますよ、と手を差し出してくださった。
 つかまっていいのかわからずに、顔と手を見比べていれば、立てますか、と声をかけてくださる。たぶん大丈夫です、と答えながら立ち上がろうとすれば、手を取られて、引っ張り上げられた。
 文官とはいえ戦う人だなぁ、と引き上げられた力の強さになんだか心臓が変な跳ね方をして、不思議な気持ちになる。
「ウェルテはなんでこんなところにいるんですか。さっき呼び掛けようとしたらいなくなっていてビックリしましたよ、まったく」
 追いかけてきてくれたのだろうか? 急ぎの書類はほとんど終わらせてきた、はずだったのに。
「いえ、休憩にお茶と、つまめるものでもと思いまして」
 はぁ、とため息をついたジャーファルさまに、なにか不備がありましたか、と尋ねる。いいえ、と額に手を当てたジャーファルさまは、苦々しく、という言葉がこれほど似合うことはないだろうほどに苦々しく顔を歪めた。
どういうことだかわからずに、眉をひそめた。
なにかあったのだろうか。
「夜半の一人歩きは危険でしょう」
 ましてや女性が、とこめかみを軽く揉みながら付け足したジャーファルさまに、心配をかけたのだとわかった。すみません、と軽く頭をさげれば、こんなに仕事があるのが問題なんですけれどね、と王に対する文句が怒濤のように出てくる。
 めぐらずとも、すべてが王のせいのような気がした。ジャーファルさまが少し先を歩きながらこちらを振り返る。
「少し休憩にしましょう。お茶と、軽食でも持っていきましょうね」

徹夜仕事

(微笑んだジャーファルさまが、)(少し眩しく感じたのは)(気の、せい?)