「お疲れ様ですー」
「お疲れ様、気をつけてね」
「はい!」
 月子先輩はそういうと、迎えに来ていた宮地先輩と仲良く帰って行った。ううん、あのカップルは本当に和む。たか兄や白鳥先輩がからかいたくなる気持ちもわからなくはない。
 月子先輩は明日の書類をまとめて、これから宮地先輩とデートだそうだ。またうまい堂だろうか? 二人ともあんなに甘いものたくさん食べているのに太らないのが本当にうらやましい。
 今日は部活もなくて生徒会の活動日でもなくて、久しぶりにのんびりできるので生徒会室のラボにこもることにした。
 颯斗会長が音楽室でピアノを弾いている音がかすかに聞こえる。翼先輩は、さっきまで発明をしていたのだけれど梓先輩がロードワークに引きずって行った。毎度サボっているらしい。
 部活のロードワークですら億劫な私は宇宙科は大変だなぁという感想しか抱けなかった。そういうわけで生徒会室に一人となった私は、思う存分研究ができるというわけだ。
 今日は雨が降っていて(というか宇宙科は雨でもロードワークがあるのか……)、雨音と颯斗会長のピアノの音色が相まって素敵な音楽となってここに降りそそぐ。さぁて、今日はどれをやろうかな。

****

「んー……っ!」
 ぐぐ、と伸びをして、首を回す。普段から弓道で肩を使っているから凝りはしないけど、それでも首回りは回すとばきばき、と音が鳴る。
 外はもう、雨があがって、きれいな夕焼けになっていた。きれいだなぁ、と呟いてから、ずいぶん静かになったなぁと思う。
 あともうちょっと、でどうにか形にはなりそうだけど、ちょっと眠い。五分くらい仮眠とって、仕上げて帰ろう!
 そう思って携帯のアラームを設定し、ふらふらとソファに沈む。そういえば昨日の夜も寝付きがわるかっ、た、な……、。意識が遠のいて、夢へと旅立った。

****

「翼、ほらおしまい。まったく、普段からやんなよ」
「ぬ〜……だって運動きらい」
 梓が口うるさく言うのは俺のためだってわかってるけど、それでもたまにひどく面倒だと思うときがある。梓は呆れたように溜息をつくと、じゃあもう帰るよ、と踵をかえす。俺もそれに続こうとして、ふと視線を上げると、生徒会室に明りが灯っていた。
 まだ誰かいるのだろうか? じっとみていると、梓が口をひらく。
「あそこ……生徒会室?今日先輩は宮地先輩とデートだし、翼はここにいるし……」
「ぬ、月子はデートなのか。そらそらは今日はピアノ弾いてたぞ」
「じゃあ星咲かな。あいつこんな遅くまで何やってんだろ」
 半眼で俺をじっと見ながら梓はいうけど、梓が引っ張ってこなかったら一緒に発明できたんだぞ。そう思いながら、行ってくる、と言えばハイハイ、と言われた。
 ジャージのままで汗もかいてるけど……まあいいか、汗がひいて寒くなる前に帰れれば。そう思いながら梓とは逆方向に足を向けると、梓に、
「女子が増えたっていっても一人でいるのはよくないんじゃない? って説教しといて」
 と言われた。
 梓はちぃのことをそれなりに気にしているみたいで、世話を焼く。それが気に入らないわけじゃないけど、たまにいやな気持ちになるときがある。
 わかってる、と呟いて足早に去れば、後ろで梓が溜息をついているのにも気付かなかった。

 生徒会室へ着くころにはすっかり日は沈んで、空には一番星が輝いているようだった。扉を開けて、ちぃ? と呼びかけても返事はない。没頭していると声が聞こえないのはわかっているので気にせずに中へと入っていく。
そうしてふとソファの上の大きな塊に気付いた。
「……ちぃ?」
 ソファにもたれて、小さく丸くなって寝ていたちぃは、普段くるくると変わる表情がずいぶんと静かで、どことなく大人っぽく見えた。でも、すやすやと眠るその姿はまるで子供のようで、ソファに腰を下ろして、覗き込む。
 危ないなぁ、と思う反面、かわいいなぁと、見ていたいなぁと思う。やわらかそうなほっぺたと、少し開いた唇に、吸い寄せられるように手を伸ばして、触れる寸前でためらって止めた。
 これは現実? 触れたら、消えてなくなるんじゃないか?
 これまでのは全部夢で、起きたらまた、ばあちゃんと一緒に悲嘆に暮れているんじゃないか。そんなことを思えばやすやすとは触れられなくて、手を引っ込めてしまう。
 はやく目を覚まして、夢じゃないって教えて。

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 ……? 何かの気配を感じてぼんやりと目を覚ませば、私を覗き込むように難しい顔をした翼先輩がいた。帰ったはずじゃ、とかどうして難しい顔をしているのだろう、とかいろいろ考えたけれど、口からはつばさ、せんぱい? と声にならない声が出た。
 セットしたはずのアラームには気付かなかったのか、もうだいぶ時間がたっているようだった。
「おはよう、でもこんなとことで一人で寝てると危ないぞ」
 そう言った先輩の顔は、笑顔だったけどどこかいつもと違っていて、なんだか切なげだった。恐る恐る、といった風に手を伸ばして、私の頭を撫でてくれた先輩は、ほっとしたようにぬはは、と笑ってくれた。
 どうしたんだろう? そう思ってもうまく言えそうにもなくて、寝起きの頭はうまく回らない。
「ほら、もう遅いから帰ろ?」
 そう言って手を差し出した先輩はいつもの先輩で、なんだか嬉しくなってはい、と答えて手を握れば。そのままぐっと引っ張られて、翼先輩に引き寄せられて……抱きしめられた。
 え? え? 本当に混乱して、変な声が出そうだったけど、翼先輩が耳元で、消えなかった、と囁いたことでぴたりと止まる。消える? そんなわけがないのに。
 翼先輩はときにひどく儚く消えてしまいそうな時がある。そんな先輩には、現実が現実として見えていないのかもしれない。先輩は抱きつくのがすきなようだけど、あれは一種の『消えない』確認なのかもしれない、とこの時初めて思った。
 それでも前から抱きしめられることは初めてで、嬉しいけれどひどく緊張してどうしたらいいかわからない。いつもと違ってジャージだし、なんか先輩のにおいが……って変態みたいだあぶない。
 でもこうなんかいつもと違う感じがまたなんだかひどく緊張するのは否めない。ぎゅっと強く抱きしめられて、ぱっと腕を離される。
「さ、かえろ!」
 そういった翼先輩はいつもの、太陽のようなぽかぽかな笑顔だった。混乱したまま帰り支度をすれば、手をつながれてそのまま帰ろうと引っ張られた。

消えてなくなりなどしない

(手をつなぐのも、初めて、)(嬉しいけど、どうしてだろう)
(消えなかった、)(でも怖いからまだ握っていたい)