「轟先輩、卒業おめでとうございます!」
「さんきゅ」
 にこにこと笑う柚木はさらりと轟に近寄った。轟は先ほどまで人に囲まれていて、全く近寄れそうになかったが、疲れたのか人を寄せ付けぬオーラを放ったまま校内へと戻っていった轟を追いかける者は柚木以外にはいなかったのだ。
 どうぞ、と言って渡したものには、『祝・ご卒業』とかかれた熨斗が巻かれている。
「なんだこれ?」
「卒業祝の本ですよ」
「卒業祝に本って聞いたことねえぞ」
「いいじゃないですか、おすすめですよ、それ」
「まあさんきゅ」
 轟は柚木のすすめる本が好きだったので、十分祝いの品になっているのだが。
 楽しそうに笑っていた柚木は、ちらりと轟を見上げた。ボタンを欲しがる女子を、端から突っぱねていた轟にどうやって切り出そうかと柚木は悩んでいた。
 轟のボタンがほしかった。できれば一番上のそれが。
 それは、一種の願掛けにも近いなにかであった。──憧れだった。強烈に焼き付いた、強い瞳に魅せられた。その色を小瓶にしまっておいて、自信がなくなったときに眺めていたいと思ったほどには、憧れた色だった。
 でも、その瞳をまるっと小瓶に詰めることはできないし、もちろん色なんて以ての外だ。だから、『なにか先輩が身に付けていたもの』がほしかったのだ。自らを奮い立たせるような、そんなものが。本人にとっては要らないようなものであったらもらいやすい。そう思ってのことだったが、誰にもボタンをやっていないですべてついたままの学ラン姿は、まるで在校生のようだった。
「どうした」
 挙動不審だったのか、轟は不思議そうにそう訊ねた。チャンスだ、柚木にとってはチャンスだった。
「ボタン、先輩、ボタンもらえませんか」
 意を決して拳を握った柚木に、轟はますます不思議そうに首を傾げた。
「さっきからそれすげェ言われんだけど、ボタンってなんかあんのか」
「んー、先輩、それ第二ボタンって限定されませんでした?」
「おう、すげぇな、された」
「それは……先輩のことがすきなんですよ」
「なんですきだと第二ボタンほしがんだ?」
 第二ボタンの意味を知らない人がいるなどとは思わなかった柚木だったが、まあ確かに少女漫画でも読まなければ縁はないかもしれない、と考えを改めた。轟は、変なところでものを知らないところがある。
「第二ボタンは……第二ボタンって、心臓に一番近いじゃないですか。だから、心臓──つまり心がほしい、みたいな意味合いだったと思いますよ。直接言葉にして告白するのよりも情緒がありません? ボタンはまあもらえたらラッキーなんだとは思いますけど、実際には告白の代わりみたいなものじゃないですかね」
 首を傾げながら、確かめるように言葉を探すように言葉を重ねる柚木に、轟は真顔になった。「お前もそうなのか?」「違いますよ! いや先輩のことはすきですけど、そういうのとは違います」ぎょっとしながら訂正する柚木に轟は無意識につめていた息をこぼした。そういう<・・・・>感情は、まだ身近に感じたくはなかった。
「じゃあなんでだ? っていうかそもそもボタン」
「あー……いや、別にボタンでなくてもいいんですけどね。なんというか……こう、先輩の色? 瞳の強さというか、そういうのを思い出すと励みになるので、お守り代わりにほしいなぁ、なんて思ったので……ダメ、ですかね……?」
 申し訳なさそうに言う柚木に、轟はこともなさげに許可を出した。それは、言い出した本人である柚木がビックリしてしまうほどのあっさり加減であった。
「いいけど」
「いいんですか!?」
「別に、知らねぇヤツじゃねぇし」
「先輩他の人にあげてなかったからもらえないかと思ってました……」
「理由がわかんねぇとなんか嫌だろ」
 どれがいいんだ、なんていう轟に、柚木は「一番上がいいです!」と即答した。
「これへこんでるけどいいのか」
「はい、いいです。それがいいです」
 なぜかへこんでいる第一ボタンは、その他大勢の誰かのボタンではなく、たしかに『轟のボタン』であることがわかりそうだった。
 ころん、と手のひらにおとされた金釦は、しっかりと裏ボタンまでついている。柚木は、そっと、でもしっかりと両手でそれを握りしめて破顔した。
「……ありがとう、ございます。大切にします!」
「……おう」
 柚木のその幸せそうで、本当に嬉しそうな笑顔を自分の行動が作ったのかと思うと、轟の胸の奥が少しだけぎゅっと掴まれたように──それこそ大切に包まれている金釦のように──踊った。不思議そうに胸を押さえて首を傾げる轟に、柚木も不思議そうに首を傾げる。
「いや……頑張れよ」
「はいっ!」
 笑った姿が、やけに眩しく見えて──轟も、見てわかるほどに微笑んだ。

第一ボタン

(まさか、しっかりと名前が刻まれているとは知らず、柚木がお守りがわりに持っていた金釦をめぐって騒動が起きるのは未来の話。)