彼がどうして僕に執着するのか、だなんて僕の知った事ではないし、もっとも聞いた所ではぐらかされて具体的な理由が返って来るとも思えなかった。だから、そう、気にするだけ無駄なのだ。面倒事に自ら進んで関心を持つなんて事が出来る程、僕は人がよくない。
 そう、つまりは面倒なのである。
 僕の行動原理は基本的に「面倒か面倒でないか」にある。極力面倒事は避けたい。けれど、そんな事はお構い無しで僕を扱き使うのがサリューだ。本当に勘弁して欲しいとは思うけれど、彼には借りがある。それこそ一生掛かっても返しきれない程の借りが。
 僕は彼に救われて生きている。望んだ訳ではないのだけれど、それでも、こうして生きてみるとあの時彼が僕に差し伸べてくれた手には意味があったのだと思えるようになった。心外ではあったけれど、感謝していない訳でもない。僕が今こうして呑気に生きていられるのはサリューのお陰なのだから。
 ――だけれども。
「いい加減にしてよこのサル……いやゴリラ」
「ハッ、駄犬が喚かないでくれるかな。負け犬の遠吠えって言葉を知らない? ああ、知らないのか。知っていたら普段から喚かないもんね」
「木から落ちて頭を打ってしまえ」
 僕たちはこの通り相容れない存在である。互いに素直でないから口喧嘩なんて日常茶飯事だ。周囲からは犬猿の仲だなんて喩えられているけれど、本当にその通りだと思う。互いに顔を合わせれば一言目には罵倒、二言目にも罵倒。――ああ、低レベルな悪口の言い合いなのは嫌と言う程自覚しているのだけれど――そこに感情はない。罵り合って嘘を吐き合わなければ生きていられないのだ、僕は。
 溜め息を吐いてサリューの背後に広がる黒い空へ視線を投げる。思考が黒く塗り潰されて行く。
 だって、本当の事を口にするのはとても怖い事だ。本当の事を言われるのもまた同様に。僕には上辺だけの付き合いがちょうどいい。楽だし。面倒も少なくて済むし。きっと彼はそれを知っている。知っていてこれなのだ。けれど、それが何になると言うのだろう。無駄だ。無益だ。このやり取りには生産性がない。だと言うのになぜ彼は無意味なこのやり取りに飽きないのだろう。僕はもう飽きた。それこそうっかり言葉に感情が乗ってしまう程度には。
 ――あ、しまった。そう思ったが、思った時にはもう遅かった。サリューが勝気に口角を上げるのを視界の端が捉えていた。悪戯っ子のような――いやそんな可愛いものではないのだけれど例えるならばそうと言うだけで深い意味はない――悪意に満ちた笑みだった。
「へえ、君も感情的になる事があるんだねえ。感情表現すら面倒くさがるナマエにしては珍しい」
 ああ、本当に。サリューは面倒くさい。面倒この上ない。彼自体が面倒事の塊だ。近寄らないで欲しい。心底そう思う。
「面倒事の塊は一体どっちかなあ? 僕は君こそ面倒なやつだと思うけれど」
「さっきから黙っていれば……僕の心勝手に読むの止してくれるかな」
「ナマエの事だからわざとやっているものとばかり思っていたよ。まあ、君の飼い主は僕だから。君をどうしようと僕の自由だよ」
 いっそ殴ってやろうかという考えが思い浮かんだけれど、実力行使は彼の専売特許だ。やめておこう。それに「飼い主」という表現はあながち間違いではなかった。
「…………そうだね」
 手綱は彼が握っている。サリューが僕に手を差し伸べたあの日から。僕がサリューの手を取ったあの瞬間から。
 ああ、けれど、あの時は確かにそれが光り輝いて見えたのだ。だって誰かが手を差し伸べてくれるだなんて一度も期待した事がなかった。考えた事もなかった。僕はあのまま死ぬはずだった。死にたかった。それなのに。
「ナマエは嘘吐きだ」
 サリューが表情を歪めたように見えた。痛みを堪えているように見えた。きっと気の所為なのだろけれど。僕のこの感情に嘘は欠片もないはずなのだから。
 サリューと出会う前の記憶が曖昧だけれど、僕の両親は確かに僕を愛してくれていたのだろうと朧気に思う。けれど、セカンドステージチルドレンの能力が発露したあの日、僕は世界に見捨てられた。
 両親は僕を殺そうとした。
 全てを嘘だと思うようになった。裏切られた時に、やっぱりね、と嘲笑う為に。
 この世界は嘘と裏切りで出来ていた。そうでないといけなかった。
「え、僕は本当の事しか言わないよ?」
「別にそう言うわざとらしい嘘の事を言ってる訳じゃないんだけれど」
 なのに、おかしいな。
 相手を深く知ると言う事は、裏を返せば自分の事をも相手に晒す事になる。それはとても面倒な事だ。だから僕は嘘を重ねる。自分を守る為の嘘を。他人を傷付ける為の嘘を。躊躇いはない。他人は僕を平気で傷付ける。だったら躊躇う必要なんてそもそもない。
「……やれやれ、本当に……」
 サリューが息を零すように笑う。視線を向ける頃にはいつものポーカーフェイスが浮かんでいたけれど。
「怖がりだね。昔から変わらない」
「サリューにだけは言われたくないな」
 他人と関わるのは面倒くさい。それは間違いなく真実だ。だったのだけれど、ああ、自分がなぜ彼に付き従っているのか僕には思い出せない。
 同じ境遇の彼らが手を差し伸べてくれたからか、或いは、こんな事を言ったらサリューに怒られそうだけれど僕が彼らに同情しているからか。どちらにしたって、力あるものの集まりという不安定な繋がりの中に今の僕は在る。それがすべてだ。
 僕たちの存在を否定し、消そうとする大人たちに僕たちの力を認めさせ、古い人間を淘汰する。その目的だけがフェーダの繋がり。そこに友情も絆もない。力を持つが故の短い命で古い時代の人間たちに抵抗する、力に固執する者の集まり。
 でも、僕はそう思わない。思えなかった。そう思えたら楽だったのにと心の奥底で誰かが叫んでいる。ああ、面倒くさいな。サリューが友情や絆といった仲間意識を否定しても、僕は彼に対してその意識を持っている。そして、孤独な彼を救いたいという気持ちも。これはきっと僕の本当の気持ちなのだろう。上辺だけの付き合いを望んでいるのに、心底面倒くさいと分かっているのに傍にいたい、なんて。
 無駄過ぎる。無益過ぎる。だって彼は望んでいない。この感情は結局何も生み出しはしないのだ。力だけの繋がりなんて最も脆いものなのに。
「……ああ、だめだ。考え過ぎて気持ちが悪くなってきた」
「普段頭を使わないからね。思考停止してるヤツが急に頭を使ったんだから当然だよ」
「停止してるつもりはなかったんだけどな」
 その場から動かず立ち止まっているのは楽な事だ。時間はいつも焦っていて、立ち止まる僕を追い越して行ってしまう。追い掛けたいかと聞かれたら否と答えるだろう。けれど思考停止が死だと言うのなら、死ぬのは怖い事かも知れないと少しだけ思う。考える事を止めると言う事は流石の僕にも出来ないらしい。
「それで、何だっけ? 君の思考のはじまりは」
「……え?」
「僕が君を助けた理由だっけ?」
「ちょっと違うけどまあそれも知りたいから、うん。そう」
 サリューが顔を背けた。照れているとかではなくて冷たい表情で空を見上げている。彼が自分の事を語ろうとするなんて珍しいと思った。例えフリだったとしても確かな変化だ。我らが皇帝は他人に心の内を見せようとしなかったから。
 けれどやっぱり彼はいつもの意地の悪い笑みを浮かべて。
「知りたいならついて来るしかないんだ。簡単に答えを教えて楽なんてさせないよ」
「うわー、鬼だー」
 それもそうだと、いやもっともだとすら思うけれど僕の期待を返して欲しかった。やっぱりはぐらかされてしまうのだ。サリューがそんなに甘くはないのは分かっていたのに。面倒くさい、とつい口を衝く。
「まあ、でも……それも悪くはないか」
 答えを与えられると言うのもなんだか癇に障るし。僕は僕なりに答えを求めたい。そうなると確かにサリューについて行くしかないのだろうけれど何だか腑に落ちない。拒否した所で引き摺られて行くだけだからどの道それは決定事項のようなものではあるけれど。
 僕らの行き着く先を一緒に見るのはいいかも知れない。古い時代の人間を淘汰した理想の世界。僕らの終着点を。つまり僕は追い掛けなければいけないのだ。それもサリューとだったらいいかなと思ってしまう自分に腹が立つ。
 孤独な彼と壊れ掛けの僕。僕を助けたサリューと、サリューに付き従う僕。――手を差し伸べたのは、果たしてどちらだったのだろう。
「……僕と君は似ているんだよ。きっとね」
 悔しいけれど否定出来なくて、僕は溜め息を吐いた。


END.
20190316
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