「ご無事ですか、ナマエ司令……!」
 暗く肌寒い洞窟だった。
 冷たい地面に片膝をついてうずくまっていたナマエがふっと顔を上げた。その姿が確認出来ただけで泣きたくなるくらいの安堵感が込み上げて来る。
 こちらに気づいた様子の彼女がほっとしたように表情を緩めた。しかし、すぐにその顔が痛みに引き攣ったように強ばる。慌てて傍に駆け寄ったエンジニアは、その原因に気が付いた。ナマエが纏う真っ白な筈の司令服が真っ赤に染まっていたのだ。あまりに痛々しい姿に、けれどその原因が自分にある事に、つい顔を顰める。
 彼女には傷ひとつつけさせないと、その為に傍にいたのに。
「申し訳ございません、司令……私がついていながら、貴女にこんな……」
「これくらい平気です。むしろ、エンジニアさんが敵の数を減らしてくださったおかげでわたしでも撃退出来たわけですし」
 ありがとうございます、と弱々しく微笑むナマエに一瞬見とれて、すぐに自分を叱責する。また繰り返すつもりなのか、と。己の油断で彼女とはぐれたあの時の恐怖がぶり返す。
 この場所を根城にしている盗賊が最近、近くの村を襲撃し占拠し始めた為、二手に分かれて行動する事になったのだ。ロイ率いる一方は村の奪還。そしてもう一方、つまりナマエとエンジニアが手薄になっているであろう根城を叩く。当初の情報ではこの場所に残っているのは数人程度と言う事だったのに、蓋を開けてみれば大半が残っていたのだ。そう言った状況を想定していなかった訳ではないけれど、あまりにも多勢に無勢だった。情報が漏れていたのかとすら疑ってしまう程だったが、先程尋問をした様子ではそうでもないらしい。間が悪かったとしか言いようがなかった。
 彼女を探して彷徨っていた数十分の時間は永遠にも思えて胸が締め付けられるように苦しく、焦りは募る一方だった。その間にもナマエは自分の知らない所で傷だらけになっていて、きっと心細く思っていた事だろう。覆しようもない事実に強く拳を握るしかなかった。
「私には勿体無いお言葉です。私は何も出来なかった。貴女に怪我を負わせてしまった。このような事がないようにナマエ司令のお傍にいたと言うのに、私は……ッ」
「エンジニアさん……」
 それは困惑か、はたまた悲嘆か。感情の読めない声で名前を呼ばれ、身体が震える。ミスを犯したのだ。拒絶をされても仕方がない。寧ろそれが当然の反応だろう。
 嫌な記憶が蘇る。たった一度の失敗で、不要と断じられたあの瞬間の事だった。
「何も出来なかったなんて、そんな事ないです。だって、わたしを見つけてくれたじゃないですか。それだけで十分でしょう?」
 けれど、ナマエが掛けてくれる言葉はどこまでも優しい。
 ナマエからの罰ならば甘んじて受け入れるつもりでいたのに、ナマエはそもそも拒絶なんてしないどころかエンジニアがミスをしたとも思っていなかった。危険な目に遭わせた相手に、寧ろ助けてもらったなんて言ってのけてしまう。
「司令……どうして貴女は、そこまで……」
 優し過ぎる。そう言うところが危ういというのに。
 いや、けれど知っている。彼女は強いからこそ優しいのだと。初めて出会った時だってそうだ。シグルスが気に掛けている司令官と言う事で実力を測りに彼女の元を訪れた時の事だ。会話を交わした時点では考えの甘さに苦笑したものの、実戦ではその甘さが一切なかった。部隊員の事を熟知して、一人ひとりに的確な指示を出す。例えピンチに陥ったとしても、彼女が声を掛けるだけで部隊の士気は下がる所か上がって行く。想像を軽く超える強さをその華奢な内に秘めていた。優しさと甘さを隠す事なく、隠す必要などなく、相手を圧倒してしまう。戦場に立った経験がないとは思えない程だった。
 普段の彼女はどこか抜けていて、その優しさ故に目を離した隙に騒動に巻き込まれている。敵にすら甘い判断を下すのだから手に負えず、見ていて危うい事この上ない。だから彼女から離れられなくなるのだけれど。
 けれど、今だけはその優しさにこそ感謝するばかりだった。決してナマエのこの判断が正しいとはエンジニア自身言えないが、彼女がチャンスを与えてくれたと考える事は出来る。彼女の傍で、彼女を守る為に。
「ナマエ司令の寛大さに改めて感服致しました。……次はありません。二度と貴女を、傷つけさせない。不肖エンジニア、今後はより一層貴女のお傍で仕える事を誓います。ええ、もう本当にお近くで」
 ナマエの手を握る。剣を取るにはあまりに細い。意識してしまうと緊張で自分の手がみっともなく震えてしまうのはこの際目を瞑って、許しを与えてくれた彼女に誠意を伝える。
 彼女にすら不要と断じられてしまう事が何よりの恐怖だった。どうしてかナマエの事となると上手く行かない事が多く、彼女の期待に応えようとすればする程それらを取り零してしまう。それさえも許してくれる尊い彼女を、今度こそ守り抜く。
「はい……信用しています、エンジニアさん」
 囁くように零されたナマエの言葉に身体が熱くなる。
 気が付けばナマエを引き寄せて、腕の中に収めていた。
「エ、エンジニアさん……? どうかしました? どこか痛いとか……? わたしも頭が痛い時によくぬいぐるみとかをぎゅってするので気持ちは分かりますが……!」
「……申し訳ございません、司令……私にも状況が理解出来ていないのです。ただ、もう少しこのままでいさせてください」
「……はい」
 彼女のあの行動はそう言う事だったのか、などと納得する余裕は今のエンジニアにはない。
 先程ナマエがくれた言葉を何度でも聞きたいと思った。そう、思ったら、彼女を失うと言う事がどれだけ恐ろしい事なのかが心を底冷えさせた。今ここにいてくれる事がどれだけ尊い事なのかを考えたら身体が動いていた。
 ナマエはあたたかい。当然の事に安堵する。
「……はっ! わ、私は何と言う事を……! も、もも申し訳ございません司令!」
 思考が戻って来るととんでもない事をしでかしていた事に気付いた。
 慌ててナマエから離れる。ナマエは困ったように笑っていた。
「大丈夫です。……さてと、そろそろ戻らないとですね。ロイさん達が心配しちゃいます」
 ナマエが立ち上がる。続いて立ち上がったエンジニアは周囲を確認して溜め息を吐いた。彼等の事だから予定時刻から遅れようものならきっと押し掛けて来るだろう。特に青いヤツ。外の様子が分からないからどれくらいの時間が経っているのか把握出来ないが、まだ余裕はあるだろう。ナマエに負担を掛けないように慎重に帰る事にしようとひとり心に決める。
「司令の傷も早く手当てしなければ……暗い上に足元が安定しません。くれぐれもお気を付けください」
「ふふ、それ来る時も言ってましたよ。エンジニアさんも気を付けてくださいね」
 穏やかなその表情が愛おしかった。


END.
20180423
[ backortop ]