躊躇いなく振り下ろされた刃が眼前に迫る。寸前、強い力に腕を掴まれてぐいっと引き寄せられた。たたらを踏んだナマエが驚いて見上げた先にはシャルルマーニュの整った横顔。言葉を発するよりも先に入れ替わるように前へ出た彼の見慣れた背中に、まるで隠すように庇われる。すかさず刃を弾き返した彼がその勢いのままジュワユーズを振り抜くと、目の前に立ち塞がっていた攻性プログラムは一瞬の内に崩れ落ち跡形もなく消え去った。
「すまん、ナマエ! アンタを前に立たせるつもりはなかったんだが……怪我してないか?」
「だ、だいじょうぶ、です。……ごめんなさい。今ので最後みたいですけど、結局足を引っ張ってしまいました……」
 呼吸ひとつ乱す様子もなく振り返った彼に対して、ここに至るまでの道すがらでナマエは既に肩で息をしていた。膝に手をついて限界を抑え込むように呼吸を整える。
「何言ってんだよ、いつナマエが俺の足を引っ張ったって? 寧ろ力不足は俺の方だ。本当はマスターと嫁さんたちが来た方が事態の収拾も早かったんだろうが……あれじゃあなあ……」
 がしがしと頭を掻くシャルルマーニュに同意するしかなかった。小さく息を零しながらここに来る事になった理由を思い返す。
 どこからか湧いて出て来る攻性プログラムの撃退――白野曰く「ムーンセルはバグが得意だから」とのことだが――それが今回の目的である。本来であれば効率を考えても白野が赴くべきところではあるのだけれど、ネロと玉藻が白野を巡っていつものように争っていたから、それを諌める白野が申し訳なさそうに自分の代わりにとナマエとシャルルマーニュを送り出したのだ。
「で、でも、シャルルはとても強いです。力不足だなんて事は絶対にありません……!」
「……メルシー、ナマエ。とにかく、アンタだけでも守れるように頑張るさ。まだ目覚めて間もないナマエに無理をさせる訳にもいかない」
 ぐっと自らを鼓舞するように拳を作る彼にはいつも助けられていると言うのに。最初に助けてくれたのもそう、シャルルマーニュだった。
 突然、世界から切り離されたように自我を獲得してしまったナマエは己の役割ロールを失ったことで言うまでもなくパニックに陥り、気付けば見知らぬ場所で先程のように攻性プログラムと対峙していた。一撃を受ける、その寸前に颯爽と駆け付けてくれたのが彼で、白野と引き合わせてくれただけでなく身の安全まで整えて、幸い魔術師ウィザードとしての素質があった事からこうしてマスターの真似事をするに至るまで面倒を見てくれたのだ。以降も、白野の元に集ったほとんどのサーヴァントもそうではあるけれど、特に何かと気にかけては傍にいて支えてくれるのがシャルルマーニュだった。
「……ありがとうございます。シャルルが一緒で心強いです」
「そう言ってもらえると俺も心強いぜ」
 あたたかい笑顔がどれだけ救いになっているのか、きっと彼は知らない。不安と絶望で塗り潰されていたナマエの心を春風のように吹き抜けて、安心と期待へと塗り替えて見せた事に気付いていないのだから。
 いつかこの気持ちを、感謝を伝えたいとは思うのだけれど今はまだ伝えるにはあまりにも足りないものが多過ぎる。周囲によく指摘されるが、どうにもナマエは感情や表情の変化に乏しいらしかった。それにきっと言葉も足りない。抱えている気持ちを間違いなく伝えるには、欠けたものを満たす必要がある。
 折っていた上半身を勢いを付けて起こす。心臓はまだ忙しなく悲鳴を上げ続けているが、もう大丈夫と言い聞かせる。こちらを見ていたシャルルマーニュが心配からか何とも言えない表情をしていたが、視線に気付いたらしい彼はにっと口角を上げて見せた。
「ナマエ、さっきは援護助かったぜ。回復だけじゃなく攻撃までしてくれるなんて驚いたけどな。……だから消耗が激しいんだろ?」
「う……ただ守られているだけだと落ち着かないんです。……やれる事をやるしか、今のわたしには役割がないから……」
 白野から譲り受けた破邪刀を胸の前で握り締める。礼装の他にも簡単なものではあるけれど、存外心配性な白野がもし何かあった時に身を守れるようにとコードキャストの知識を与えてくれたのだ。そしてシャルルマーニュの言う通り、慣れない事をした為かいつもより体力的にも精神的にも消耗してしまっていた。情けない、と肩を落とすナマエの頭にシャルルマーニュが手を伸ばす。
「だーかーら、助かったって言っただろ? 無理は禁物だが、その気持ちは素直に嬉しいものだ」
 手のひらに優しく髪を撫でられる。頑張ったな、と労うようなそれはひどく擽ったくて、けれど心地よくて、初めこそ恥ずかしさのあまりわたわたとその手を退けようとしていたナマエだったが、彼はびくともしない。諦めてちらりと彼を見上げると、ふっと細められた碧い瞳と視線がかち合う。
「分からない事だらけで不安だろうに、そうやって前を向けるアンタはカッコ良い。けど、何かあったら俺を頼るんだぞー?」
「も、もう、シャルル……!」
 戯れるように先程よりも強い力でわしわしと頭を撫でられた。彼はそうやっていつもナマエが抱えているものに鋭く気付いて分かち合おうとしてくれる。手を差し伸べて導いてくれる。
 神のため、平和のため、そして何より人々のために剣を振るう彼はナマエにとってどこまでも眩しく輝く聖騎士パラディンだった。
「アストルフォくんが言ってました。『ボクの王様はカッコ良いんだ』って。本当に、その通りだと思います」
「お、おう、ありがとな、ナマエ。けど、どうしたんだ、突然」
「今言わないとまたタイミングを失いそうだったから……でも、ちゃんとしたお礼はまた今度です」
「気にすんなって。俺はアンタが無事ってだけで救われてるんだ。俺が助けておいて、戦場で傷付けるなんて事になったらカッコ悪いだろ?」
 でも、とシャルルマーニュは目を伏せる。
「……そうか。ナマエの目に俺がそう映ってるなら安心した。サーヴァントとしてはまだまだ未熟だからな、これでも必死なんだぜ」
「うそ……」
「嘘なんかじゃねえよ。必死も必死さ。アンタにカッコ悪いところは見せたくないしな」
 そう言ってはにかむ彼は、けれどいつだってキラキラと輝いていた。その輝きに守られてナマエは立ち上がる事が出来たのだ。だから、今のナマエの役割は救ってくれた彼を支える事だった。マスターの真似事しか出来ないけれど、少しでも彼のためになれるのなら足を止める事はしたくない。与えてくれた機会を無駄にする事は許されない。
「わたし、シャルルの役に立ちたいです」
 そっとシャルルマーニュの手を両手で包むように握る。
令呪しかくを持たない、マスターですらないわたしに何が出来るのか分からないけれど……」
 触れた指先から絡め取られて、強く握り返された手を引き寄せられた。エリザベートが『王子顔』と賞する整った顔が目前に迫ると、こつ、と額に額を押し当てられる。続くはずだった言葉はそうやって制されて、あわあわと戸惑う余裕すらないままナマエは息を止める事しか出来ない。
 そんな彼女とは裏腹にシャルルマーニュは子供のようにあどけない笑顔を浮かべて見せた。
「その気持ちだけで俺は充分だ。それでも足りないって言うなら、そうだな……」
 逃げ場のない至近距離で真っ直ぐに見つめられる。優しさを湛えた穏やかな瞳はいつもナマエの身を案じているようだったけれど、この瞬間だけは目を逸らす事を許さない力強さがあった。
「理由を教えてくれないか? マスター……ではないにしろ、いや、だからこそアンタが前線に立つ必要はないはずだ。盾を与えられこそすれ、剣を取る理由はないはずだろう?」
 少しだけ顔を離したシャルルマーニュは、けれどそれでもまだ相変わらずの至近距離で問いかけて来る。人と目を合わせる事が苦手で、いつも視線は足元のナマエだったが、気圧されそうになりながらその瞳を真っ向から見つめ返した。
 彼の疑問はもっともだった。元NPCで、魔術師ウィザードとしての素質があるだけのマスターですらない、戦った経験だってこうして目覚めるまで一切ない。立っているだけで精一杯のような脆い存在のナマエが「一緒に戦う」と宣言した時、誰もが驚いていた。けれど白野と、そして意外なことにネロや玉藻も歓迎を示してくれた。似たような経験が白野にはあると言う。であれば、出来ない事ではないのだと。そして何より、彼女を立ち上がらせた理由は、もっと単純だった。
 目覚めてからと言うもの自分のことで精一杯で、こんな風に温かな感情を持つ事が出来るようになるなんて思ってもいなかった。それも全て彼がいてくれたからこそだと思うと擽ったいような気持ちになる。
「わたし、少しでもあなたの傍にいたくて……そのために剣を取ることを決めたんです。だから……支えたいって言うのは、ごめんなさい。建て前なんです」
 ただ傍にいたい。たったそれだけなのだと。悪戯っぽく微笑んで見せると、シャルルマーニュが僅かに目を瞠ったように見えた。それから、やれやれと言うように小さく細い息を吐き出すと、ナマエの肩に額を押し付けるように顔を埋めた。予想外の反応に、え、と思わず声を上げる。
「……どこでそんな口説き文句覚えて来たんだ……」
「口説き文句……?」
 なんでもない、と首を振って顔を上げた彼は、何か眩しいものを見るように目を細めた。
「俺さ、救いたかった子がいたんだ。でも、その子はとっくにマスターが救ってくれていた。だから……ナマエと出会った時、今度こそって思ったんだ」
 ああ、とナマエは少ない記憶を思い返す。彼が言う救いたかった子とはきっと、アルテラのことなのだろう。白野の元へ引き取られてから暫く経ち、目まぐるしい変化で疲弊していたナマエがようやく落ち着きを取り戻した頃、アルテラが今までの出来事を語ってくれたことがあった。捕食遊星ヴェルバーの到来とそれを打倒した白野たちの話の中で、確かにアルテラは白野に救われたと微笑んでいた。
「孤独の痛みを知っている目だった。あまつさえアンタは全部ひとりで抱え込もうとする。……今度こそ、この手で救おうと思った。笑顔にしてやりたい、ってさ」
 それに、とシャルルマーニュはふわりとナマエの頬を撫でる。
「許されるならずっと傍にいたい。俺もそう思ってた」
 どこまでも優しい表情で彼は微笑んだ。初めて出会った時と同じ、ナマエの心に降り積もった雪を解かす春風のようにあたたかい笑顔。あの瞬間、きっとナマエは既にシャルルマーニュに心を奪われていた。
 高鳴る鼓動の理由をまだ知らない。傍にいたいと思う理由も。空っぽな彼女の感情は、けれど少しずつ鮮やかな色彩を纏って行くだろう。頬を撫でる手に自分の手を重ねてシャルルマーニュの瞳を見つめると、穏やかな眼差しが優しく受け止めてくれた。



END.
20191213
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