ふ、と目が覚めた。少しだけ目を閉じるつもりが、思いのほか深い眠りに落ちてしまっていたようだった。
 ぎゅう、とシーツを握る。ルドガーの匂いがした。取り込んだばかりの洗濯物のいい匂いと同じ。心地よさに微睡んでいたら、またすぐにでも睡魔に手を引かれてしまいそうだった。
 段々と思考が覚醒して来ると、ぴったりと身体に寄り添うあたたかな温もりに気が付いて、そっと視線を上げた。
「……ルドガー?」
 そこには、普段より幾分か幼く見えるルドガーの寝顔があった。思わぬ至近距離にたじろぐ。けれど、穏やかさに紛れるように滲む疲れの色を見付けてしまって、起こさないようにと一瞬で冷静になる。身じろぎをしたら起きてしまいそうだった。呼吸さえ躊躇ってしまう。
 よくシャノアールがルルと眠る時は、ルルを抱えるようにしていた。それとまったく同じ状態だった。いま抱えられているのはルルではなくて、シャノアールの方だったけれど。
(そういえば、)
 あまりルドガーが眠っている所を見た事がなかったかも知れない。ふとそんな事を思い出して、つい珍しくてじっと見つめてしまう。
 安心しきっている無防備な寝顔だった。シャノアールの背中に回された腕には、優しく、けれど離さないとばかりに力が込められていた。
 ぴたりとくっついた身体に、彼の呼吸と鼓動と体温が伝わって来る。
(ああ……、なんだろう……)
 じわじわと胸に広がるあたたかなものに気がついた。愛しい、とはこういう事を言うのかも知れないと漠然と思う。苦しいような、切ないような、けれど決して嫌なものではなかった。言葉としては知っていたけれど、感情は経験しないと理解が出来ない。人間はこうも複雑な感情に触れていたのか、と改めて思い知る。感情の振れ幅が大きいシャノアールにはあまりにも繊細なものだった。繊細すぎる。それゆえに、今までそれらの感情を取りこぼして来てしまったのだろう。
 なんだか、それは、とても――
「う、ん……」
「あ……ルドガー……」
 何の前触れもなく、ルドガーがふっと目を覚ました。至近距離でかち合った気怠げな翠の瞳に捕えられてしまって、続けるはずだった「おはよう」の言葉を飲み込んでしまう。寝起きのルドガーを見た事も、あまりなかった気がした。
「あれ……おはよう、シャノ。起きていたなら声を掛けてくれればよかったのに」
「お、おはよう、ルドガー。ごめんね……、起こすの悪い気がしたから、声かけられなくて」
 本当に、気持ちよさそうに眠っていたから、邪魔をするなんて出来なかった。そう告げると、寝起きでふわふわしている様子のルドガーがふにゃりと微笑む。
「ああ、それ。きっとシャノのおかげだな」
「え、オレ……?」
「うん。シャノ、ベッドのシーツを替えてくれて、そのまま寝ちゃっただろ?」
「……あ。そういえば」
 そう、そうだった。取り込んだばかりのシーツについ、ほんの出来心で飛び込んで、そうしてそのまま眠ってしまったのだった。とんだ大失態だ。
「いや、それはいいんだ。起こそうとも思ったんだけど、あまりにも気持ちよさそうだったから俺も起こせなくてさ」
「そ、そう……? でも、確かに、気持ちよかった。だからルドガーが来ても気がつかなかったのかな」
「あんなに無防備に眠ってるシャノなんて初めて見たかも」
 普段だったらルドガーが部屋に入って来た時点で目が覚めるのだろうけれど、それすら気がつかないくらい深く眠っていたようだった。
 ルドガーがくすりと笑う。
「お前いつもルルと一緒に寝てるから、たまには俺も一緒に寝てみたいなと思っていたんだ。それで、なんとなく隣で横になったら、シャノの体温が凄く心地よくて、俺もいつの間にか眠ってた。ルルがいつも寄り添ってる訳が分かったよ」
 抱き心地もちょうどいいし、と更に抱き込まれてしまう。彼がそれで満足してくれるのなら、シャノアールには反論も不満もなかった。
 くっついた身体から伝わるすべてが心地いいと思っていたのは、シャノアールだけではなかったのだ。その事に気がついて、くすぐったいような気持ちになる。
「ルドガーにこうされてると安心する。寝息とか、心臓の音とか、体温とか、すごく近くで感じられるから……ふふ、いとしい、ってきっとこういう事を言うんだね……」
 ルドガーが一緒だけ驚いたような表情をして、それから、とても優しく笑った。それがどういった感情から来るものなのか、もうシャノアールは知っている。
「なあ、シャノ」
「どうしたの、ルドガー」
「もうひと眠りしようか」
「うん……!」
 たまにはこんな日もいいかも知れない。平穏な日々にこそ、きっとシャノアールの知らないものはある。
「おやすみ、シャノ」
「おやすみ、ルドガー」



 それは、穏やかな、ある昼下がりの事だった。


END.
20180501
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