「『創世力』の使い方、ねえ……」
 ミトラはその小柄な身体にはおよそ見合わない豪奢な椅子に、まるで埋もれる様に座っていた。
 たった一人で、ずっとこの館に縛られて生きて来た。館を離れる事は出来ない。もし館から出れば、己の宿命に逆らったと見なされ、業火に身を灼かれる。そうして気付けば館の中にいて、死ぬ事すら叶わない。その為か感情が欠落し、性格も捻くれていた。
 ミトラはセンサスにもラティオにも属さず、何にも興味を持たない。命にも興味が無く、「罪を犯した者は死ねば良い」―――それがミトラの見解だった。地上送りになる程の罪を犯した神が、神たる力を失う事を拒みミトラに助けを求める。そうしてミトラと約束をし、罪を犯した神は地上へ堕ちる事を免れていた。しかし、約束を破れば神の命は奪われ、ミトラ自身も業火に身を焼かれる。
 一人きりの館で、身を焼かれる痛みに耐えるのは辛かった。拒む事も出来ずに、ただただその身に罪を負う。皆言うのだ、「絶対に約束を破らない」と。けれど、結局は誰もその言葉通りにした試しが無かった。だからこそ、「罪を犯した者は死ねば良い」とミトラは思うのだ。
アスラはそんなミトラを哀れんで、良くこの館に訪れては話し相手になってくれる。ミトラが何を言おうが、アスラは怒らないし帰ろうとしない。
 初めの内は早々に追い返そうとしていたミトラも、今では何も言わなくなった。館の外を知る良い機会だ、と割り切っている面もあるのだろう。それに、自由なアスラに憧れている部分が少なからずあるから。
「ああ、何か知っている事はないか?」
 守護獣ケルベロスより授かりし、『創世力』―――。アスラは創世力を使い、天地融合を成そうとしている。そして創世力を手に入れた今、アスラはその使い方を模索していた。生と死を繰り返してこの世界を見て来たミトラならば、何か知っているのではないか。そう思ってこの日、アスラはミトラを訪れたらしかった。
「始祖の巨人の願い……『献身と信頼、その証を立てよ。さすれば我は振るわれん』。これって、大切な者の犠牲の上で創世力が使えるって事じゃないの?」
「馬鹿な、イナンナを犠牲にだと!?」
 アスラの言葉に、ミトラは鬱陶しがる様な表情を浮かべた。ミトラに創世力の使い方を訊ねに来たのはアスラだ。それなのに何故私が怒られなければならない、理不尽じゃないか―――。ミトラはその綺麗な顔を歪め、ふいとアスラから視線を逸らした。
「センサスに伝わってる言い伝えだけど? 相変わらず野蛮だね。まぁ、何かを手にする為に何の犠牲も払わないなんて、傲慢な考えだし。……ラティオとかには別の言い伝えがあるんじゃない? イナンナを殺さなくても済む方法とか、さ。……ふん。それにしても、始祖の巨人が犠牲を強いるなんて……いや、解釈の仕方が違うだけかな」
 ミトラは面倒くさそうにそう早口で捲くし立て、それから興味を無くしたかの様に「自分で探せば」と冷たく言い放つ。
「そろそろ帰ったら? またイナンナとサクヤが喧嘩してるかも知れないよ。愚痴を聞かされる私の身になれ」
「ハハハハ、いつもすまんな。詫びとは言わぬが、何か欲しいものはないか? 次訪れる時に持って来てやろう」
「それなら……サクヤから、花を貰って来てくれる……?」
 僅かに照れた様に小声で呟いたミトラに、アスラは豪快に笑う。冷たい視線を投げるミトラに「分かった」と一言返すと、アスラは彼の頭を一度だけ撫でて帰って行った。その姿をじっと見ていたミトラは、閉まったばかりの、自分では開ける事の出来ない扉に近付き、溜息を零す。
「……館に縛られずに生きられたら……私は、アスラと共にこの世界を歩めたのだろうか……いや、共に歩みたかったな……」
 叶わぬ夢に自嘲気味な笑いを漏らし、彼は扉から離れると椅子に戻った。
 そろそろ、愚か者達が来るだろう。罪を犯し、それを反省しない愚かな神共が。



 身を裂かれる様な痛みに、深く沈んでいた意識が一気に覚醒する。
「……? あ、しまった……」
 到底慌てた様に聞こえない声音で彼はそう呟くと、きつい体勢で眠っていた所為で凝ってしまった体を伸ばし、溜息を一つ零した。
 机の上には、小難しい言葉がずらりと並んだ書類が嵐にでも遭ったかのように散乱していた。机の上だけでなく、床にまで散らばっている。それを見て彼は眉根を寄せた。恐らく、眠っている間に崩してしまったのだろう。面倒くさそうに書類を掻き集めて一つに纏め、机の隅に追いやった。
「ふむ、これで良かろう。……それにしても、最近はやけにあの夢を見るな」
 先の夢の内容を思い出す。約束の神ミトラの、夢。久し振りの、平穏な内容の夢だったと思う。いつもなら、愚かな神に約束を破られ、身を灼かれる痛みに耐える―――そんな内容ばかりなのだが。しかし、あの夢を一体何故見る様になったのか、彼の知る所ではなかった。
 考えていても仕方がないと割り切り、椅子から腰を上げる。時計を見やれば、一時間程眠っていた事が分かった。
「……久し振りに、彼女の元へ行くか。最近また被害も増えたと聞いてはいるが……未だに尻尾は出さず、か。さて、どうしたものかな……」
 呟きながら彼は机に立て掛けていた剣を持ち、部屋から出るべく扉に手を掛けた。一瞬だけ、扉を開くのを躊躇う。ミトラは館から出られない運命を背負っていた。どんなに理不尽だろうと、あの館から逃げられない様に。
「……哀れだな。愚か者の為に生きるしか出来ないなんて……それは私とて、変わらないのかも知れんがな」
 ふっと自嘲気味な笑みを零し、彼は部屋を出た。
 ここは王都レグヌムの警備を司るベルフォルマ家と名を連ねる騎士の名家、ヴァルツァレク家。その跡継ぎの騎士、クゼの部屋だった。

「ふむ……良い天気だな。洗濯物が良く乾きそうだ」
 屋敷の中の重たい空気から解放され、雲一つない空を見上げてクゼは満足気に笑んだ。
 幼い頃に使用人が「天気が悪いと洗濯物が乾かなくて困る」と零していたのを思い出す。それを聞き、てるてる坊主を作って、しかし作り過ぎて良く怒られたものだ。そんな古い記憶を掘り返して苦笑いを浮かべたクゼの耳に、軍靴が石畳を鳴らす音が届いた。
「異能者捕縛適応法……だったか」
 クゼは顎に手を当て、何やら考え込み始める。異能の力を持つ者を捕縛し、生体兵器として戦場へ送り込んでいる――異能者捕縛適応法が施行されてからと言うもの、そんな噂ともつかない話が耳に入って来ていた。そして王都ともなれば異能者狩りには力を入れている。これは騒ぎになるだろう、とクゼは眉根を寄せた。暫くそのままの姿勢で視線だけを辺りに巡らせ、それからすぐに惹かれる様に工業地帯へ続く道へと駆けた。早く、早く、と柄にもなく鼓動が訴え掛けて来る。
 辿り着いたそこで目当てのものを見付け、クゼは愛剣の鯉口をそろりと切った。周りの人々には気付かれない様なさり気ない構えのまま、風の様に軽やかに、そして音もなく兵士に近付き、一気に剣を引き抜くと一閃する。兵士が持っていた剣が細かく折れ、がらがらと音を立てて足元に散らばった。
「王城の膝元で不用意にそんなものを振り回すとはな。君はこの辺りの警備担当ではないだろう?」
 かちん、と剣を鞘に戻した冷たい音がぴんと張り詰めた空気を震わす。クゼは狂気が見え隠れする紅玉の瞳をすっと細め、傍に立つ兵士に笑い掛けた。酷く冷たい完璧な作り物の笑み。あまりに人間離れしたその力と素早さに、クゼの周りには冷たい空気が漂う。
「大事無いか、君達」
「え、あ、はい」
「ふむ。それは良かった」
 兵士に絡まれていた少年達へ視線を移し、場に似合わない柔らかな声でそう言う。少年達の中の一人に目を留めた時、絶対零度の笑みを崩す事無く、それでも狂気が宿る瞳を僅かに見開いた。
 ―――彼が、居たから。
 ややあって我に返ると、その瞳から狂気を消し、クゼは傍に棒立ちする兵士を向く。
「ああ……そう言えば。恐らく君の上司だろう。召集を掛けて回っていたぞ。行かなくて良いのか?」
「! は、はっ! 失礼致します!」
 クゼに気圧され、兵士は一度ぴしりと姿勢を正すと、まるで逃げる様に駆けて行った。その姿を見てクゼは満足気に口角を上げた。
「ねえ、今のって……」
「ああ、並みの力じゃあねえな。もしかすると……」
 赤い髪の少女と緑の髪の少年がそんな会話をしているのを横目に見ながら、クゼは口を開く。
「詮索は止して欲しい。それに……また兵士に絡まれたりでもしたら、厄介なのではないか? 私は正規に軍に所属している身ではないのでな。次は助けられないかも知れん」
「は、はい! すみません! あの、ありがとうございました!」
「なに、礼には及ばないよ。さあ、行きたまえ。また会おう、名も知らぬ少年。いや……アスラ」
 ふっと笑みを浮かべ、クゼはそう言い残すとその場を離れた。後ろから呼び止める様な声を掛けられたが―――足を止める事はしなかった。
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