「……さて。親切な私から君達に一つ忠告をしよう。今のところ私には、君達と争う意思はない。だが、もしも意思が変わり、私を敵に回す事になったら……どうなると思う?」
 クゼは紅い瞳をすっと細めた。狂気の炎が渦巻く、深い紅の瞳。感情を一切感じさせないそれは、どこかミトラの瞳を思わせる。
 ルカは彼に気圧されて素直に剣を鞘に収めた。そして、先程の剣捌きを思い出したのだろう、他の皆も武器を仕舞った。けれど、誰も気を抜いてはいない。
 さり気なく剣の柄に手を掛けていたクゼも、その手をそっと降ろす。瞳に宿る狂気はそのままに、けれど親しげな笑みを浮かべて。
「ふふ、脅しの様な言い方になってすまない。そうだな。本当は知られたくはないのだが……仕方あるまい。私はこの王都の警固を司るヴァルツァレク家の跡取りのクゼ。そして、私は君達を擁護する立場に在る」
「だから怪しい者ではないよ」と瞳に浮かぶ狂気を消し、彼はにこりと笑った。それを聞いて彼らは漸く気を緩める。ただ一人を除いては。
「お前がヴァルツァレク家の跡取りの、クゼ……だと?」
「うむ。会うのは初めてだな、スパーダ・ベルフォルマ君。君の事は聞いている」
 決して好意的なものではないスパーダの視線を物ともせず、クゼは笑ったまま言った。しかし、敵意を向けられる事でちらつく狂気は隠し切れず、僅かに瞳に滲む。それでもクゼはスパーダに対して敵意はないので、笑みは崩さない。
 スパーダから視線を外し一同を見渡すと、クゼは再び口を開く。
「私は異能者捕縛適応法には否定的でな。適当な理由を付けて兵士を追い払っているのだよ。本格的に邪魔をする訳には行かないので追い払えそうな兵士の時だけ、だがな。しかし、先の兵士は少し様子が違った」
「なあ、あんたら、ウチと取引せぇへん?」
「何かあったのか?」と言うクゼの声は、戻って来たエルマーナのその言葉に遮られた。
そう言えばクゼがここに来た時に、何やら話し込んでいた気がする。
「取引だと……? ガキのクセにいっぱしの口をきくものだな」
 一番の年長者であろう、ライフルを肩に担ぐ男がエルマーナの言葉にすぐさま反応を見せる。エルマーナは一つ頷くと続けた。
「あんなぁ、ウチら、情報収集はお手のもんやねん。あんたらが必要な情報、拾といてあげるわ。その間、あんたらはここに隠れとり」
「ふむ。……で、その代り?」
「自分、話早いなぁ。その代り、鍾乳洞の奥に金目のモンがあるっちゅう話やさかい、それ、取って来てもらわれへん?」
「金目のものって、宝石とか?」
 僧服の女性が首を傾げてそう問い掛けると、エルマーナがきらきらと瞳を輝かせた。だが、この鍾乳洞にはそんなものはなかったとクゼは記憶している。
「宝石な! ええなぁ。女の子の憧れやねぇ。でも、そんなんちゃうねん。キレイな地下水と湿気で生える、長寿の霊薬と言われとるキノコが生えとんねん」
「キノコ……? キノコって、地面とか枯れ木に生えるあのキノコ?」
「他にどんなキノコがあんねんな。ほんでな、それがめっちゃ高ぅ売れよんねん。めっちゃやで、めっちゃ!」
 何があるのかと思えば、キノコ。その事実に皆が拍子抜けした。しかし、この鍾乳洞に生えるキノコは質が良いと聞いた覚えがある。それに加えて長寿の霊薬と言われるキノコならば、確かに宝石に匹敵する値になるかも知れない。クゼは欠伸を噛み殺しながらそう思った。
「それあったら、ウチら、もうちょっとマシ生活出来る思うねん。ほら、悪い事せんでも済む生活」
「…………悪い事をしなくても済む……」
「どうする? こんなガキが集める情報など、まるでアテにならないと思うが?」
「やってあげましょう、リカルドさん。みんなも構わない?」
「俺は、ただ働きは御免こうむりたいのだがな」
「あら、リカルドさん。あなたの雇い主が誰だったか、どうすれば思い出していただけます?」
「……やれやれ、忘れてたよ。俺の雇い主は、見かけに似合わず強情なんだったな……仕方あるまい」
 どうやら話は纏まった様だ。僧服の女性がエルマーナに向き直り、優しい笑みを浮かべて見せた。
「じゃあ、エルマーナ。取引成立ね?」
「ほい、来た! ほな、この水路の奥から鍾乳洞に繋がってんねん」
「この奥が鍾乳洞? マジかよ? オレ、全然気が付かなかったぜ」
 驚いた様に呟いたスパーダに、エルマーナが呆れた様に言う。
「あかんなぁ、兄ちゃん。観察力不足やで。案内したげるさかい、付いといで」
「エルマーナ、私も付いて行っても良いか? 鍾乳洞の中なら何度か行った事があるのでな、道案内くらいなら出来る」
 一応エルマーナの面倒を見ている事もある。
彼らに任せてしまうのは、流石のクゼも申し訳ないと思っていた。だからそう提案すると、僧服の女性が頷いた。
「まあ、心強いわ。それじゃあ、案内をお願い出来ますか?」
「ああ、勿論だ。では行こう」
 彼らに付いて行く理由は、エルマーナの面倒見の事だけでは無く、彼らが異能者で、もしかしたら自分も異能者かも知れないからと言うのも理由だ。そしてもう一つ、ルカと名乗った少年にアスラが重なる事が、何よりクゼに行動をさせていた。

 肌に触れるじとりとした空気に僅かな不快感を覚えながら、クゼはずり落ちていた薄緑色の肩掛けを羽織り直した。何度来ても、この空気は好きになれそうにない。鬱陶しげに目を眇めたクゼはしかし、鋭い視線にふと後ろを振り返る。そこには、訝しむ様な表情でこちらを見つめるスパーダがいた。内心では舌打ちをしつつ、クゼは態とらしく溜息を吐いてみせる。
「あの噂を気にしているのだろう?」
 紅い瞳をすっと細め、皮肉る様な笑みを浮かべてクゼはそう言うと、無意識に触れていた剣の柄から手を離した。
「ヴァルツァレクの跡取りは戦闘狂、だったか……まあ、確かに私は騎士には向かないのだろうな。戦闘狂とは良く言われるが……その通りだと私も思う」
「噂は事実だとでも言うのかよ」
「ああ。単なる噂などではなく、事実と認めよう」
 神経を逆撫でする様なクゼの発言と嘲る様な笑みに、スパーダは怒りを露わにしかけたが―――
「二人とも、早く行こうよ」
「ほらほら、ウチをもっと幸せにするためにはよ行かへん? キノコはもっと奥にあんねん」
 ルカとエルマーナに声を掛けられた事で二人の険悪な雰囲気が霧散した。
「そうだな、とっととこの湿っぽいところから出てぇぜ」
「うむ、同感だ」
 ひとまずこの場は収まった。
 クゼはアンジュに「道案内お願いしますね」と声を掛けられた事で付いて来た目的を思い出し、約束通り道案内の為に皆の先頭に立った。

「ねえ、これなんだろう?」
 クゼですら今まで踏み入れた事のない場所まで来ると、そこには寂れた大きな祭壇があった。
 クゼは腕を組み、何やら考え込んでからそっと言葉を零す。
「これは祭壇だろうな。何か書かれている様だが……アンジュ君、だったか? 君ならば、詳しいのではないか?」
「そうね……刻まれている文字は随分古い形式のものみたい」
 祭壇に近付き、アンジュが文字を調べ始める。
「文字が古いって、どういう意味だよ? あんなのに新しいとか古いとかあんのか?」
「天から下ろされた地上人も、暫くは天上界で使っていた文字をそのまま使っていたの。でも、時が経つに連れ、少しずつ形や読み方が変化して今の文字になったのよ。ここに刻まれている文字は、天上界で使われていたとされる文字にかなり近いものね」
「……不思議だな。見慣れぬ文字だというのに、あらかた意味が分かる」
 アンジュの隣でその文字を見ながら不思議そうに呟いたリカルドに、アンジュは「恐らく、前世の記憶で文字を読んでいるんでしょうね」と言葉を返した。
「『我らは罪を悔い改め、反省を終えた。だから、天に戻してくれ……』と言った内容の祈りの言葉の様だな」
「……罪を悔い改め反省を終えた、か……」
 クゼは僅かに顔を顰め、忌々しげに呟いた。地上に降りて来ただけ未だマシだろうか。それでも、こんな事を言っている間は反省などしていないのだろう。ミトラの苦を思うと、疑心暗鬼に陥ってしまいそうになる。
「このような祈りの言葉は、教団が現在の様に組織化される以前の原始的な宗教の中に見られます。この大きさから見て、かなりの規模の進行を集めていた様ね」
「でも、今はもう完全に忘れ去られてるみたい……どうしてかな?」
 イリアの問い掛けにアンジュはくるりと振り返ると、にっこりと微笑んだ。
「ふふ……その間の宗教的歴史を語るには教団史書を五冊分は講義しないとね。イリア、あなた、興味ある?」
イリアはアンジュから視線を逸らすと、
「…………ほら、誰か、アンジュの講義、受けたい人!」
皆にそう問い掛けた。しかし、名乗り出る者は居らず、全員の視線がルカに向けられる。
「…………ええ、僕!? いや、僕も、ちょっと……流石に本五冊分は……」
「そうよね……わたしの話なんて、つまらないものね……」
「ええ!? いや、そう言う意味じゃ……あのさ……え〜と……あ! 僕、さっきからここって懐かしい感じがするんだ! ねえ、みんなもそう思わない?」
 慌てて話を逸らしたルカの言葉には、クゼにも心当たりがあった。確かに、どこか懐かしく感じる。ミトラの館に近い雰囲気、とでも言うべきか。
「あ〜、そう言われてみれば、あたしも〜」
「感傷的にはならん質だが、確かに、俺も……」
「コーダは? コーダは感じないぞー? 仲間外れか、しかし?」
「不思議だね。これって、前世に関係あるのかな?」
「そうね。天上界の雰囲気と、どこか近いのかも。大昔の地上人が、この祭壇に求めた様に」
「なぁ、はよ行こ〜やぁ。みんな、なにしてんのん?」
 結論が出たところでエルマーナが皆の話を遮った。
 未だクゼは自らの事を言っていないので前世の事は何も分からないが、ミトラの記憶を辿り辛うじて話に付いて行けてはいた。だが、何の関係もないエルマーナには退屈な話だったのだろう。
「ああ、ごめんごめん。話し込んじゃったね」
「さあ、行こうか」とルカに急かされ、クゼは身を翻し先を歩く。
 祭壇を離れ少し進むと、そこには不思議な光景が広がっていた。神秘的なその光景にクゼは思わず息を呑む。後からやって来た皆も目の前の光景に言葉を失っている様だった。
「……なんや、これ?」
「光の渦……? 何だ、一体?」
 エルマーナとリカルドが頻りに頭を捻る隣で、アンジュが「これは……」と呟いた。
「知ってるの、アンジュ?」
 アンジュがルカの問いに答えるよりも先に、イリアが光の渦へ近付く。そうして屈んでその光を覗き込むと、感嘆の声を上げた。
「わぁ、キレイじゃん!」
「触って大丈夫か?」
「平気へーき! ほら、別に危険はない……」
 スパーダの忠言に耳を傾ける間もなくイリアが光に触れた瞬間、クゼの頭の中に閃光が走った。
 まるで、先程のミトラの記憶を見る前触れと同じ様に、意識が闇に呑み込まれて行く――
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