この勇気をスカートに変えて

title by spiritus


 いつも、優しいね、と言われるのが嬉しかった。
 その感情が恋に変わるのは割と簡単で、僕はすっかり何も手に付かないようになってしまった。
 今日もいつものように頬杖をついて溜息を吐くと、マンサム所長が調理室にやってきた。

「レイシ、しっかりしてくれ!」

 こういう状態になってから、彼に時折、こうして注意されるようになった。勿論そうなるのも当たり前だろう。前のようにバリバリ仕事をこなすわけではなくなってしまったのだから。
 しかし何か答えればすぐに「今ハンサムって言ったか?」と返されるのはもう分かっているので、代わりに溜息を返しておく。

「トロルコングの肉の美味いレシピが出来たら教えてくれと小松も言っていたぞ? 頼りにされているじゃないか」
「……分かってますよ」

 僕はグルメ研究所の調理室の料理長だ。といっても他にメンバーはいないのだけれど。
 グルメ研究所で密かに育てられた食材のレシピを考案するのが、僕の主な仕事だ。それ以外にも、どこかに出かけていって料理の手伝いをしたりだとか、講演に呼ばれたりすることもある。
 要するに、結構多忙なのだ。

「そうそう、ココがそろそろ帰ってくるとか言っていたな」
「! ココさんが!?」
「……お前は分かりやすいな」
「うっ」

 バレてた。……バレてた。そりゃあバレるか。
 所長は楽しそうに笑っている。

「態度があからさますぎるぞ。もっと仕事に精を出せ」
「……ごめんなさい」
「今ハンサムって言ったか?」
「言ってません」

 そこは即答し、仕事に取り掛かるから、と言って無理やり調理室から追い出す。
 どーせココのための料理だろう、とかぶつくさ言われたが、無視してそのまま扉を閉めた。
 さて、ひと仕事するか。

「お腹を空かせてくれてるかな? パスタでも作ろうかな」

 腕まくりをしていると、調理台の上に置かれているトロルコングの肉が目に入った。そういやこいつがメインだった。
 そのままステーキとして焼いても、筋っぽくて食えたもんじゃない。一品物とか丼は厳しいだろうから、やはりパスタの具として使おうか。
 しばし思案し、調理に没頭した。





 コツ、コツと硬い床を叩く靴の音が聞こえてきて、僕はハッと我に返る。
 慌てて炊飯器を開き、米をよそい始めた。

「レイシくん、開けるよ」
「どうぞ」

 僕の返事を待ってから、調理室の扉が開く。
 一体誰が来たのかは分かっていたが、それでもその姿を見ると、余計に心臓の音が五月蝿く鳴った。

「久しぶりだね」
「ココさん、ご無事で何よりです」
「暫く来れなくてごめんね」
「1ヶ月ぶりくらいですかね?」

 とはいうものの、彼も美食屋四天王だ。非常に多忙なことはこの国の国民なら誰でも知っている。だから、1ヶ月ぶりとはいえ、そんな間隔で会えていることはとても幸運なことなのかもしれなかった。勿論もっと会っている時もあるけれど。
 彼は美味しい食材が手に入ればこの研究所に寄り、そうでなくても近くを通ったという理由で立ち寄ってくれる。こんな僻地にある研究所の近くに寄る用なんてないと思うが、そんな理由を付けてくれただけでも嬉しい。
 僕はご飯をよそった茶碗をテーブルの上に置いた。

「お腹空いてます? ココさん」
「また何か用意してくれたのかい?」
「ええ。所長が、トロルコングの肉で何かを作れと言い出しまして。勿論美味しく調理できているようであれば小松くんの所に持っていこうかなと」
「じゃあ僕が味見させてもらえるってことだね。嬉しいよ、喜んで」

 最初はパスタか何かの具にしようと思っていたが、筋張った肉の最もオーソドックスな調理法を思い出したのだ。それが煮込み。
 僕が調理を始めてから彼がここを訪れたのは大体3時間くらいだから、十分な時間などあるわけがない。そういう時に重宝するのが圧力鍋だ。
 そんなの調理人としてあるまじき、と言われても構わない。どんな食材にせよ、美味しくするのが僕の使命だ。
 おたまで呑水に肉と汁を盛った。

「? それは?」
「煮込みです」

 トロルコングの、と添えることを忘れない。

「トロルコングは食べたことがないな」
「まだありますので、焼きましょうか? ステーキにしてお出しすることもできますけど。……ただし、それを食べたらもう、この煮込みは食べたいとは思えない筈ですけど」
「分かった、じゃあこのまま頂くよ」

 いただきます、と彼は手を合わせる。それは食材に対しての感謝、そして僕たち料理人への感謝なのだと、いつか言っていた。

「……ん」

 肉を一口食べ、汁を飲む。
 その様子を固唾を呑んで見守っていた僕に、一言。

「美味しい」
「!」

 静かに、けれど驚きと笑みを湛えたその言葉に、僕の心拍数は一気に跳ね上がる。

「本当にトロルコングの肉ってそんなに酷い味なのかい?」
「まあ、味はまずまずですけど……焼けば固くなりますからね。下手すれば筋のせいで噛み切れないこともあります」
「それを聞くと、とてもじゃないけど同じ肉とは思えないね」

 はい、口を開けて。
 そう言いながら彼は、さっきまで使っていた箸で肉を掴み、僕の方へ差し出していた。

「ココさん、僕は大丈夫です、」
「レイシくんはさっきも勿論食べていると思うけど、煮込みがこんなに美味しいと思うことはなかなかないからね。それに一緒に食べてくれる人が居る方が嬉しいし」

 そう言いながらも箸の先を突き出すので、僕は観念して口を開け、肉を含む。当然味見をしているので美味しいのは分かりきっている。
 それより僕の鼓動を蹴り上げるのは、それは先程までココさんが使っていた箸だということだ。つまり、間接キスなのだ。

「……美味しいのは、分かってますよ? 勿論」
「はは、そうだよね」

 再び彼は自分のためにその箸を使う。――分かっているのだろうか?
 勿論そんなことなんて考えていないと思う、だって男同士でそんな感情を持つ方が少ないから。
 だから僕がそんなことを考えている方が異常なのだ。それでも。

「ねえ、レイシくん。さっき所長に聞いたけど、君はあんまり人と会わないんだって?」
「? ……何の話ですか?」
「いやね、僕とこうして会ってくれているのは、とても貴重なことなんじゃないかなと思ってね」

 そもそもの話、この研究所を訪れる絶対数が少ないわけである。それでもわざわざここに来るのは相応の用がある人で、IGO事務局長ウーメンやら会長一龍やらなのだが――まああまり来ないけど――僕は殆ど会わなかった。
 会えと言われても、頑なに拒否し続けたのだ。

「まあ……僕は、気の乗らない人からの誘いは断りますね」
「ふふ、嫌われていないみたいで安心したよ」
「それは……まあ」

 彼の言葉に目を逸らす。
 僕は確かに会いたくない相手には徹底的に会いたくないと伝える。この調理室なら尚更だ。ここは僕のテリトリーだから。
 だからこうして定期的に会う人はとても貴重だし、この調理室で、こうして料理を出す人なんて、もう限られていた。誰とは言わないけど。

「そういえば、言ってなかったことがあるんだ」
「はい?」

 改まって言われ、僕は戸惑う。

「……僕がこうしてこの研究所に来ているのも、危険な任務から無事に帰ってこれているのも。全部、レイシくん、君が居てくれているからだ」
「え……?」
「だからこれからも、何も聞かずに、僕のことを待っていてほしい」

 その言葉ひとつひとつがあまりにも信じられないもので、一瞬耳を疑った。でも彼の真剣な顔を見れば、それらの全てが真実であることは自明だった。
 でも、何も聞かずに、なんて。永久にこのままの関係を続けるのだろうか。

「ココさん……」
「いつか、全ての準備が出来た時に、必ず迎えに来るから」
「!」

 聞かされた言葉が信じられなくて息が詰まる。

「それまで待っていてくれるかい?」
「……はい」

 冷静な友人なら何と言うだろうか。そんなの、不倫している既婚男の常套句だとでも言うだろうか?
 それでも構わなかった。彼にそういう人は居なかったと思うが、それでも僕を恋の奈落に突き落とすには十分だった。
 抜け出せない泥沼でもがく覚悟は、最初から出来ていた。

「ありがとう、レイシくん」

 テーブル越しにその両手が伸びてくる。
 少し遠くて十分には届かない距離でも、僕は決してテーブルの向こうには回らないまま、受け入れた。