愛は私の背中にある

title by spiritus




 ローランは躊躇っていた。







「起きて、ローラン」

 朝、柔らかな声が降ってくる。
 ローランは寝台の上で目を開けようとしたが、少し目を開いたところで朝陽の眩しさにもう一度目を強く瞑ってしまった。

「お早う」

 そう言ってローランの前髪をかき上げ、額にキスしてくるのは恋人。
 ようやっと目を開くローラン。

「……お早う」

 ああ、眩しいのは窓から差し込む朝陽でなく、この笑顔だったのか。
 そう納得してしまいそうな程の嬉しそうな顔。
 もうこれを730日は見ている筈なのだが、それでもまだ慣れなかった。

「今日はいい天気だよ。一緒に出かけたいなって思って、ちょっと早めに起こしちゃった」

 甘えるような言い訳に、ローランは思わずその腰を抱き寄せる。

「そうだな。起きようか」

 そして今度はローランから唇にキスをし、脳がようやく覚醒した。







「何してる? レイシ」
「夕飯作ってる」

 ある晩、帰宅したローランが家中に聞こえるように声を掛けると、キッチンの方から返事が返ってきた。
 上着を脱ぎながら向かう。いい匂いが充満しているのはそのせいか。

「お帰りローラン」
「ただいま」
「ごめん、何か色々してたら、帰ってくるのに間に合わなかった」

 彼は少し振り返って苦笑する。
 どうにもたまらなく愛しくなり、ローランは後ろから抱きしめた。

「ローラン?」

 自身の名を呼ぶ声さえ愛しい。

「一緒に料理作ろうか」
「本当に?」

 くすくすと笑う声。
 腕の中で向き直った瞬間、唇を奪った。










 ローランは躊躇っていた。
 久方ぶりの帰還だった。あの激しい戦の中でも、ローランが恋人と暮らしていた家は無事のようだった。

(……今更)

 戦は野を焼き、立ち直る為には恐らく気の遠くなるような時間が必要なほどに、何もかもを傷つけた。
 戦は悲しむ者を増やし、喜ぶ者など誰もいなかった。
 戦でいくつもの大切なものを失った。

(今更この腕で、抱きしめられやしないのに?)

 ローラン自身も戦争に駆り出され、多くの敵を殲滅した。が、得たものは何もなく、失ったものがあまりに多すぎた。
 ローランは片腕を失っていた。
 ある男に切り落とされたもので、今でも傷跡が疼く。復讐セヨという声も聞こえる。

 しかしローランは、帰ってきてしまった。

 ローランは躊躇っていた。1時間ほど立ち尽くしただろうか。
 不意にドアノブが回る。
 あまりに突然のことで、ローランは息を呑むことしかできなかった。身を隠そうなどと考える間もなかった。

「……ローラン?」

 ドアを開けた人物は、間違うことなどなくその名を呼ぶ。
 ローランの喉は震えた。しかし、音にはならなかった。

「ローラン……ローラン! お帰り!」

 ドアノブを握ったままだった彼の目に涙が浮かんだ。
 と思ったのも束の間、彼はローランを強く強く抱きしめ、肩口に顔をうずめ泣き出していた。

「レイシ……またせたな」

 嗚咽が漏れる。
 慰めようと手を伸ばしかけたが、片腕ではうまく涙を拭うことさえできない。

「無事でよかった、」

 涙でぐちゃぐちゃの顔が見える。
 ああ、変わってないのか、よかった。レイシは。
 ローランはようやく安心して、少しだけ笑った。さっきまであんなに躊躇っていたのが馬鹿みたいだった。

「……ローラン、手、」

 恋人の手がローランの肩の辺りをまさぐり、片腕が本当にないのだと気づくと、本当に驚いた顔をした。
 けれどこれ以上泣かせるのも可哀想なので、ローランは気丈に振る舞う。

「ああ。……でも、心配するな」

 まだもうひとつの腕がある。
 まだ慣れなくとも、抱き寄せるには問題ない。

「大丈夫。俺が、ローランの腕の代わりになるよ」

 涙で顔中を濡らしたまま、彼は強い表情を見せた。

「……ありがとう、レイシ」

 帰ってきてよかった。帰ってくるべき場所に、彼が居てくれてよかった。
 何年ぶりだろう、ローランは久々にその温もりを抱き寄せ、キスを落とした。