わたしの家族は朝の習慣を持っている。
いたるは、目が覚めるとぺろぺろとわたしを舐めて、わたしに擦り寄って撫で撫でをねだる。
ちかげは、ツンとしているように見えて、そっとわたしにするりと毛並みを押し付けて、尻尾を絡めてくれる。
美人顔のふたりは、わたしの家族、猫ちゃんだ。
「うう、いたる、くすぐったいよー」
自分は眠いとき構うとちょっと怒るくせに、わたしが寝てて自分が構ってほしいと思いっきり、すりすりぺろぺろわたしが折れるまでしてくるのだから困ったものだ。薄目を開けて「こら〜」うりうり頭を人差し指で撫でてやるとごろごろ喉を鳴らすから、結局かわいくってかまってしまう。
すると至がにゃ、と濁点付きの声を上げる。ちかげがいたるの胴体をおもいっきり踏みつけた後、わたしの背中側に、首の後ろあたりに丸くなる。ぽかぽかとちかげの体温があたたかい。
「ちかげ、心配してくれたの?ありがとう」
眠いって分かってて、いたるをたしなめてくれたのかな、なんて、都合のいい解釈をする。ちかげがぴったりくっついているせいで、踏むのが怖くて振り返れないけど。大丈夫だよ、ありがとう。いたるを撫でたままそう言うと、肯定するみたいに首筋にすり寄られる感触がするのだから、勘違いもしてしまうというものだ。
「おはよー、ふたりとも」
いとしの猫ちゃんたちがいれば、仕事の疲れなんて吹っ飛んでしまう。いたるに鼻先をぺろりと舐められて、つい笑ってしまった。
ふたりとの出会いはまあ、捨て猫さんというか、里親募集というか、そんなところだ。猫ちゃんて、クールなイメージがあったから、まさかこんなにイチャイチャしてもらえるなんて思ってなかったんだよね。にあにあ言いながらわたしにじゃれてくれる二匹を見ながら、きっとだらしない顔をしているんだろうなあ、と思う。致し方ないことなので諦めることにする。
☆
半ば無理矢理、同僚が来ることになってしまった。
愛想ないし、人見知りだよ。家、ちょっと駅から歩くし。やんわりと断りを入れてみても、大丈夫大丈夫!なんてからから笑って。私が大丈夫じゃないんだっつの、と怒りを覚えながら、それ以上の否定の言葉は出てこなくて。
ただいま、と言うと、いたるがてててと寄ってきて、いつもみたいに飛びつこうとして、わたしの後ろでおじゃましまーす、と楽し気にしている人を見て固まる。そうしてじりじりと逃げ後ろに下がっていってしまった。
いつも遅れてちょっと顔を見せてくれるちかげは、まったく玄関に来てくれない。神経質で警戒心が強くて頭がいいから(いたるが悪いということでは断じてない)、この状況を察して出てもこないのかもしれない。
「ごめんね、人見知りしてるみたい」
「ううん、猫ちゃんってかんじー!かわいー!」
おいでー、としゃがみこんだ同僚にいたるはふうっと背中を逆立てた。穏やかな子なのに珍しい。二匹の反応も相まってか、同僚は思っていたよりずっと早く帰って行った。
☆
「あの人さっさと帰ってくれてよかったですね」
「お前が威嚇するからだろ」
「嫌なにおいがしたんでつい」
あったかい。優しい声が耳をくすぐる。身じろぎすると、ざりっとしたあったかいものが頬をすべる。いたるかな、と思って、目がゆっくり開く。目の前には、服。服?ゆっくり眼だけであたりを見回すと、なぜだかわたしのおなかに回る太い腕。え?
ばっと顔を上げる。知らないふたりぶんの人の顔。おはよう、と、低い男の人の声が重なる。肘をついてわたしを挟むように寝転んでいるのはなんていうか、眠っているわたしの顔を眺めるため、みたいな姿勢、で。ぱくぱくと口から声にならない声が漏れていく。わたしの顔を見て、二人の男の人は顔を見合わせて、
「あれ?」
「は」
ふわふわ茶髪の男の人はたれ目で、きれいな濃いピンクの瞳をうるうるさせている。もう一人は、萌黄色、というのか、きれいなグリーンの髪色の男の人でまるい眼鏡をかけている。え、だれ、って動揺しているわたしと、目を見合わせて白黒させている知らない男の人ふたり。わたしも叫びだしそうになるほど混乱しているんだけど、目の前のふたりも同じくらい吃驚している様子だからなんともできない。
「え、先輩なんで人型、」
「お前もだ、茅ヶ崎」
うろたえてて気づかなかったけど、二人の男性の頭に耳がぴこぴこしている。耳。
動揺する視線任せでうろうろさせていたら、ぴこんっと動くものが目の端に移ってビクッと思いっきり体が揺れたけど、まじまじと見つめてみるとそれが尻尾のようなものだと気付く。いたるの毛の色だ。……、いたる?
そういえば、いたるの色だ。髪の色も、耳の色も、尻尾の色も。動いている尻尾をそうっと触ってみたら、ビクッと横にいる男の人の体が揺れた。
「……ッ、ゆら、」
わたしの名前をしっている。ピンクの瞳がゆらゆら揺れる。
「……、いたる」
疑問符をつけなかったその名前に、その男の人はぱあっと目を輝かせる。さっき逃げた尻尾が動いて、わたしの手に軽く巻き付いた。いつもわたしを癒してくれる、ふわふわの感触。
「ゆら、俺のこと、わかる?」
わかるに決まってる。甘えん坊ないたるのくせ。わたしの指に尻尾を巻き付けて、かまって、ってすり寄ってきてくれるのがかわいくて。
「…わかるよ、いたる」
嬉しそうに目を細めて、いたるがわたしにすり寄る。いつもみたいに頭をわたしのほうに寄せて、は、いいんだけど。今わたしの愛猫ちゃんは男の人の姿だってことを忘れてはいないか。
「い、いたる!ちょっと待って、」
いたるの頭をわたしの手が押しのける前に。そっと肩を後ろに引かれて、わたしはベッドに逆戻りするみたいに、体重、重心がうしろへ行く。わたしを受け止めたのはふかふかのベッド、ではなく、ちょっと固い感触と、無機質じゃない体温。
「いい加減にしろ、困ってるだろ。状況、分かってるのか?」
いたるより低い、ということばが相応しいのかは分からない。いたるより低い、落ち着いてる?何と言い示すのが正しいかわからないけど、もうひとり、きっと彼もわたしの家族だ。
「……大丈夫だよ、ちかげ」
ぴくり、とわたしの肩を持つ彼の手が震える。ちらりと見上げると視線がすぐ合って、困ったみたいな、動揺してるみたいな、切れ長の目がわたしを写す。珍しい、きれいなグリーンの毛並み。撫でるのを躊躇するくらい大人っぽい見た目だ。でも、わたしの大事な家族だし。そう思って、そっと頭に手を伸ばすと、一瞬怯えるようにぴくりと反応して、反射で目を閉じる。やっちゃった、と撫でないままでいたら、ちかげはおずおずと目を開けたあと、軽く目を伏せる。撫でていいよ、って言うときの、ちかげの動きだ。うれしくて、口元がゆるゆるになる。いつもみたいにそっと頭や耳の付け根を撫でると、心地よさそうに睫毛が揺れた。ごろごろ鳴る喉の音が控えめなのもいつも通りだ。
するりと手元にもふもふの感触。いたるの尻尾がわたしの手に擦り寄って来ていて、ミルクティみたいな色のきれいな男の人は、むっすりと口を尖らせてわたしとちかげを見ていた。
「……ちかげさんばっか、ずるい」
あんまりかわいくて、もう男の人のかっこをしてることなんて頭から吹っ飛んで、むしろ思いっきり飛びついても大丈夫じゃん、って気持ちになって、手を広げて思いっきりいたるに抱き着いた。にゃあ、と驚いたときのそのままのいたるの声がして、笑ってしまった。
「ふたりと話せるなんて嬉しいな」
「……危機感がない」
はあ、とため息をつくちかげは、眼鏡をかけている。眼鏡柄のぶちとかないけどなんでかな、とは思いつつ、いつものクールな佇まいとか、キリっとした目元とかを考えると、すごい納得できちゃう自分もいたりして。
いたるはふわふわ癖っ毛で、やわらかい、甘い瞳もそのままで。ついつい撫でようと手が伸びちゃうのも変わらない。
「朝ごはんにしよっかあ」
立ち上がって、伸びをする。さて、このふたりにあげるべきはいつものごはんなのか、それとも人のごはんなのか。確かめようと振り返ると、いつもと違うけどいつもとおんなじ、優しい瞳。ああ、いつものしあわせだ、と、思わず笑ってしまった。
2019.7.4