狂化とは、噛み砕いて言えば理性を捨てて狂い、破壊に特化すること。まあ言ってしまえば諸刃の剣ではあるが、俺にとってさして問題ではなかった。何故って、自我を失ったって回りは敵だらけ、傷つけて困る奴なんていなかった訳だし、自分が生き残る、という目的さえ達成されれば、それで良かったから。魔力だって、食い潰してしまえばいい。マスターが死のうが知ったことではない。そんなかつての思考を、頭の隅で、剥製を眺めるような気持ちで反復した。反復、というのは、正しくないかもしれない。過去を顧みた、ただそれだけだ。

図らずもそういう環境を脱して、守るべきものができた――できてしまった、と言うべきか、ともかくそういう状況下では確かに、扱いの難しい力ではあった。そんなことを、散々使ってきた俺が今更知るなんて、笑えてしまうだろう。

何より驚いたのは、俺が、後に残るほど、狂化の魔力を解放してしまったということだ。自分の魔力くらい、自分でコントロールできる。否、出来ていた。相手を殲滅しつつ、その後に残らないように最適なレベルの狂化を付与する。今までずっと難なくやってきたことだったはずなのに。

――まあ、仲間、なんてものができた今、魔力の余韻で他の奴らに影響を与えることはあるだろうから、以前の俺のように一切リスクがない、とは言わないけれど、それでも、それを最小限に留めておくことくらいは、出来るはずだった。

あの時、マスターが倒れた時、自分の軸を見失った。正気を失った、というのは、あの時のことを指すのだろう。頭に血が上って、一瞬で思考が真っ白になって、我を忘れた。辺りのものを壊しつくしても足りないんじゃないかと思うくらいの、爆発的な怒り。激情に駆られて狂化を使うことは初めてで、狂った魔力に呑まれかけた瞬間、マスターに触れたい、と思った。同時に、腕に抱いていたマスターを早く離さないと壊してしまうかもしれない、という恐怖も。

キャスターにマスターを預けて、苦しむ彼女に触れると、不思議に。越えてはいけない一線――言うなれば、理性、というものは、放棄せずに済んだようだった。魔力解放は過度にしてしまったけれど、引かれた線の向こうに行かないように、マスターの手が、俺をこちら側に引き留めてくれるかのように。

俺は、あなたのもとに帰ろうと思ったのだ。塵ひとつ残さず、あなたへの脅威はすべて排除して。彼女が死ぬ可能性は一切考えなかった。彼女にはキャスターがついていたから。あの時俺の中にあったのは、いかに効率的に、敵を殺すかということだけ。彼女が苦しむ時間を減らすために。



狂化の余韻が仲間に影響するというのは、思いの外恐怖を覚えるということを知った。自分の奥にある禍々しい魔力は、俺の怒りに呼応してしまったせいかずっと燻ったままで、俺はマスターが療養している間ずっと、それをもて余していた。情けないような、馬鹿らしいような、呆れに酷く似た感情にばかり支配されながら。

いつの間にか大切になっていたものを瞼の裏に描く。夜明けが訪れたかのように、いつの間にか照らされていた世界。何を犠牲にしてでも、守りたいものができた、なんて。ぼんやりと自分の掌を見つめて、握りしめた。

マスターが、俺を呼ぶ声がする。病み上がりの彼女に影響を与えたくないから、軽率に近づきたくはないんだけど。俺が応えなければ、令呪を使うか、はたまた屋根まで上がって来かねない。彼女の命令、否、お願いには、迷いなく応えなくては。



――近づきたくないなんて、嘘だ。許されるなら、君が目を覚ますまで、ずっとずっと傍にいたかった。