鈍い音を立てて、目の前でナイフが弾かれる。本当に、皮一枚、というところで。
わたしがそれを理解する前に、体がそれを受け入れて、腰から力が抜けそうになったけれど。わたしの瞳が認めている相手に、自分の弱いところを見られるわけにはいかなかった。そういうわたしの、意地と呼ぶに相応しいそれが、なんとかわたしの足の裏を地につけているに違いなかった。
ナイフを弾いたキャスターの防膜がなければ、その刃はわたしに深く深く突き立っていたはずで。そう考えかけて、思考を真っ黒に塗り潰す。命が脅かされたことを意識してしまえばきっと、わたしは少なからず怖気ついてしまう。
わたしの思考を見透かすように、キャスターがわたしの腰をぽんと叩く。ちらりと視線をやると、ふ、と口元に笑みを浮かべてくれる。勇気づけられて、背筋が伸びる。
建物の屋根の上で、自らの陣地に入り込んできたわたしとキャスターを見下ろすその影。鋭く研ぎ澄まされたその瞳は冷ややかに、わたしとキャスターを見据えている。
「……お礼を言いに来たの。この間、加勢してくれてありがとう」
「加勢なんて、した覚えはないな」
心臓に突き刺さるような鋭い視線。たっぷりと、殺意の籠ったそれ。一寸たりともわたしに心をひらいてくれそうにもないことがありありと分かる。きっとだからと言って、はいそうですかとここで引いたら、背を向けた瞬間にきっと、わたしの体には風穴が開くに違いない。ここに来た以上もう、わたしには、彼を味方に引き入れる以外に、無事に帰る術はないのだと、思っている。
「あのアサシンをスカウトする?」
キャスターがはあ?って、濃く濃く呆れの色を浮かべた表情をするのを、初めて見たと思う。
「マスター、正気?あんなバケモノ、手に負えないよ」
利害の一致。いうなれば、そういうこと。
わたしとキャスターが多勢の敵(それこそ、サーヴァントでなければ相手にできないような数)を相手にしていたとき、わたしたちのいない側で、大きな爆発が起きた。新しい敵かと身構えたわたしに、キャスターは大丈夫、と、戦闘中にしては穏やかな声で告げた。
「俺たちと同じ相手を倒してる。味方じゃないかもしれないけど、敵じゃないよ――少なくとも今はね。近くにマスターがいる様子もないけど」
野良のサーヴァントか、とだけ思いかけて、目の前の敵に集中し直す。倒しても倒してもきりのない敵を殲滅するまで、考えている余裕なんてないのだ。
「あなた、野良のサーヴァントなんでしょ?」
「……」
「敵が一緒なら、手を組んでほしいの」
「たった今、自分がされた事、覚えてないのか?」
「……ナイフ投げられたこと?覚えてるよ」
沈黙。風で木々がざわつく音だけが、わたしたちの間を通り抜ける。
「こうなることとか、考えない?」
一瞬、と言うことさえ憚られるような、一瞬。わたしは音もなく地面へと押し倒され、アサシンに組み敷かれていた。頭が、体が、地についているのに、わたしが衝撃を一切感じていないのは一体どういうことなのか。ひやり、と。アサシンの冷たい指先が、わたしの喉をしっかりと捉えている。
「っ、マスター!」
「動くな、キャスター。少しでも動いたら、――分かるよな」
ぐ、と、アサシンがわたしの喉を押す。自分の呼吸が、彼の指によって際立つ。わたしの体内への酸素の供給がどうなるのかは、間違いなく彼の手に委ねられている。
夜のつくり出す影がアサシンに被さって、神秘的、と言うべきか、蠱惑的、と言うべきか、そういう雰囲気を醸し出していた。
「こういうこと、考えなかったのか?」
「考えたよ。きみがわたしたちに好意を抱いてないことくらい、分かってる」
「それでも来たのは?余程頭が足りないのかな」
喉元を押し付ける力はそのままに、一本の指先がつつ、と首を辿って顎を押さえつけるように上ってくる。まっすぐにわたしを見下ろす瞳は、青い月のように、わたしを見下ろしている。
「……目、青いんだね」
「…?」
「前、赤かったから」
「この状況で、何を――」
するり、と。わたしの喉を圧迫するアサシンの手を辿るように、諫めるように、蔦が巻き付いていく。アサシンの目が、わずかに見開かれる。白く小さな花が、楽し気に揺れるその花。
「なんだ、これは」
「わたしの魔術。あなたに鈴蘭の加護を与えたの」
「……魔力は、感じなかったけどな」
「種に与えたわたしの魔力は、わたしの干渉がなくてもちゃんと動いてくれるから」
会話をしながらも、鈴蘭たちはどんどん伸びて、アサシンの口元に一輪、小さな花が咲いて揺れる。
「わたしに何かあれば、……こんなこと、言わなくてもわかるかな」
「無策で来たわけではなかったんだ。侮ってたよ」
「あなたになんて、適わないと思ったし。こんなことで命を捨てるほど、わたしは暇じゃない」
「……ふうん」
ほんの少しだけ。青白く光る目の奥に、愉快そうな色が湛えられた気がした。
「ここでイエスと答えなければ、俺は絞め殺されるか、鈴蘭を食わされるってことかな」
「そんなことはないよ。貴方の意志を尊重する」
「と言うと?」
「嫌だって言うなら諦めるよ」
「……ここまでしておいて?」
「嫌々連れて行ったって、わたしの言うこと聞いてくれないんじゃ困るもん」
ぱちくりと目を瞬かせたあと、アサシンは馬鹿にするみたいな、本当におかしいと思っているかのような、そんな感情を微かに滲ませて笑った。わたしの魔術が間違いなく発動したことに安堵したのだろう、キャスターの緊張が緩んだ気配がした。
「ていうかアサシンさん、過去に俺と因縁ありませんか。ありますよね」
「気のせいだろ」
「え、そうなの」
「……君は、完全に力抜いちゃってるけど。そんなに油断しちゃっていいのかな」
「キャスターを信頼してるので」
「信頼が痛い」
「……、変な人間だな、君は」
「魔術師なんてみんなヘンだと思うけど、ありがとう」
「マスター、褒められてないよ」
「……俺に殺されないように、気を付けることだね」
「…て、ことは?」
「ついて行ってあげるよ、とりあえず、ね」
「じゃあちょっとどいてくれますアサシンさん」
キャスターが怒った声でアサシンをどかすしてわたしを抱き起こしてくれる。「マスターの馬鹿。ほんと馬鹿」そう言ってぎゅっと抱きしめてくれるキャスターの背中を叩くわたしを見て、アサシンはふ、と鼻で笑った。
「どいてくれるか、キャスター。早く契約を結ばないと、俺は敵のままだよ」
「……」
キャスターがしぶしぶどいて、アサシンが座り込んだままのわたしの前に恭しく膝をつく。まさかそんなことをしてくれるなんて思ってなくて、思わず身を固くしてしまいそうになる。
「…ありがとう、アサシン」
「まだ仮契約みたいなものだよ。とりあえず俺は君を殺しはしない、ってくらいのね」
「十分だよ。ありがとう」
ぱち、と目をまばたかせたアサシンは、なんだか困ったような顔をした。
「……こう真っ直ぐだと、なんだか気が削がれるな」
「? なに?」
「なんでもないよ。『マスター』」
令呪が熱を持つ。アサシンと、パスが繋がる。
これが、わたしとアサシンの、さいしょの話。