「真澄、……ますみ〜、おはよう起きて、こらましゅみ…うわっ!?」
真澄はすこぶる寝起きが悪い。やれやれと102号室に入っていって、丸まっている真澄から布団をはぎ取るとううん、と低く唸る声がして、猫みたいにますます背を丸める真澄に溜息をつく。可愛いけど、学生は学校だし、起こさないと。そっと腰を追って真澄、と声を掛けて軽く体を揺さぶる。と、目が開かないままがしりと腕をつかまれる。え、と思った時にはぐいっと手を引かれて、わたしはその勢いのままベッドに体重を預けて真澄の腕の中に飛び込む形になる。
「監督……好き…」
「ままま真澄待ってわたし監督さんじゃないから、ちょっと!」
するりと首筋に頬を擦りつけてくる様子はまさに猫で。温かい息が首筋を撫で上げていって、真澄の吐息から感染するみたいに鳥肌が立ってゆく。寝てるくせに割と本気のハグだし、薄いパジャマから伝わってくる寝起きの高い体温が妙に生々しくて、弟分だっていうのに赤面する自分が恥ずかしい。罪悪感でしにそうだ。引きはがそうと暴れても、がっちりと背中に腕を回されていて身動きを取るので精いっぱいだ。
必死に真澄の腕の中で足掻いているとドアの音がして、助けが来たと安心するも。変な空気を感じてばっと入り口のほうへ顔を勢いよく向けると(それでも真澄が起きない)、オネエ風なのか指先を伸ばしてわざとらしく口先に当てた至があらまあみたいな顔して立っていた。アテレコだけど奴が出したい雰囲気の解釈はあながち間違っていないだろう。あらまあではない。
「…お邪魔だったかしら」
「至待って助けて抜けられないお願い!助けて!」
わたしの解釈は間違ってなかった。かわいらしく首を傾げてぶりっこする至を張はっ倒したい気持ちでいっぱいになりながらも、必死に手を伸ばして助けを求めた。海に投げ出された遭難者みたいに。
☆
「た、たすかった……」
真澄の部屋を出て、廊下。ドアを閉めて溜息をつく。
「…なんで顔赤いの」
「み、見ないでよ。至みたいに慣れてないから事故とはいえハグされたらちょっとはドキドキしちゃうもん」
「なんで俺慣れてる設定?」
「慣れてないの?」
「…ゆら、」
至との会話を文字通り物理的に遮るように、起きたらしい真澄がドアを開けて後ろからわたしにのっそりとした寝起きの声で呼びかける。目をこする姿は可愛いけど、とんだ野獣だ。おそろしい。さすが真澄。でも可愛い。これを流してるいづみちゃんってかなり強くない?
「真澄、おはよう。だめだよ。わたしだったからいいけど、他の女の人の名前呼びながら他の人をぎゅってしたらダメ」
「ゆらのこと呼んでたら良いの?」
「え?」
「ゆら……」
「ちょ、ちょっと待ってちょっと待ってダメ、真澄……っ!」
「おい、真澄…」
「何してるの」
覆い被さってこようとする真澄、止めようと手を伸ばしている至。わたしは咄嗟に後ずさりして、真澄を躱そうと背中を引く。と、突然お腹に力がかかって後ろに引かれて、握手するみたいに向い合わせで大きな手とわたしの右手が重なる。お腹を抱かれて手を繋がれている。そう理解できたのは、わたしの背中が彼の体にくっついてからだった。
「ち、千景さん……!?」
「おはよう、ゆら」
「チッ」
後ろを振り返るように見上げた先には、柔らかく微笑む千景さん。しっかりと抱きしめられている状況をはたと理解して離れようと握られている手に力を入れたら、ぎゅっと握りなおされてまた腰を引かれ、千景さんに身を預けざるを得なくなる。動揺して顔が歪んだのであろうわたしに、千景さんはふ、と息を漏らして笑った。恥ずかしい!
「千景はいつも邪魔する」
「はは。監督さんとの邪魔をしてるつもりはないけど?」
険悪な雰囲気。至に視線をやると知らんとばかりの視線が返ってくる。目の前と真後ろ、その交点で視線の攻防が繰り広げられているであろう。冷戦よろしく凍った雰囲気に耐えかねて、わたしは意を決して口を開いた。
「遅刻するから早く準備しよう!!」
しぶしぶ頷く真澄、ぱっと離れていく千景さんの体温。ほっと息を吐いたらそっと髪を撫でられて、見上げるとまた、千景さんが綺麗に笑っていてどきっとした。そして、既にスーツを纏った千景さんは行ってきます、と踵を返した。
「……ゆら」
「うわ、近っ」
いつの間にか至近距離にいた真澄に震える。「嫌な思いさせたならごめん。でも俺、そんなつもりじゃないから」そう言って真澄も眠たげに行ってしまう。咲也が「真澄くんまだパジャマなの!?遅刻するよ!?」と悲鳴を上げる声がする。いつもならそのやり取りに、笑みが零れているはずなのに。そんなつもりってどんなつもりだ?ぐるりと回り出す無駄な思考を切り離す術はないものか。
「おつ」
至が頭を撫でてくれる。あんまり良くなかった雰囲気の残り香にいたる〜、と情けない声を出すと、「あんまり気にすんなよ」とベージュのスーツを纏った至は笑って、行ってきます、と手を振った。