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第一章 一
噎せ返るほどの血の臭い。
バラバラになった、両親や弟妹たちの骸。
ついさっきまで談笑していたのに、何が起こったのか。少女はわけがわからないまま、末の弟を抱き抱えていた。
「娘、そいつを寄越せ」
家族をバラバラにした異形の鬼が、少女の腕の中の弟を指さす。
少女は弟を渡すまいと腕に力を込める。
弟は腕を切られており、出血によりぐったりしているが、生きている。早く止血をしてあげたいのに、鬼がいるせいで少女は動けずにいた。
「この子まで取らないで……」
「いいや。他はどうでもいい。そいつだけ寄越せ。稀血のそいつだ」
「まれち……?」
聞いたこともない言葉に少女が困惑していると、鬼は痺れを切らしたようで、少女と弟に向かって跳躍した。
間一髪、鬼の鋭い爪を避け、障子戸を破って庭に転がり出る。ポタポタと弟から血が滴り、少女が通った床や庭に染みを作っていく。
「稀血を置いていけ!」
庭から外に向かおうとした少女を、鬼が後ろから切り裂く。少女の背中や腕から血が吹き出し、弟を抱えていた腕に、満足に力が入らなくなる。
少女は痛みで吹っ飛びそうになる意識をなんとか保ち、四つん這いになりながらも助けを求めて外に向かうが、それを鬼が待ってくれるわけがなかった。
鬼は少女の髪を掴み、「
姉弟の癖にお前も他のやつも稀血じゃないのか」と、悔しそうに少女を投げ捨てる。その際、少女の腕から弟を奪い、その首を掴んで嬉しそうに高く掲げる。
「稀血だ!こいつを食えば俺は……!」
「やめて!!」
少女の叫びも虚しく、ゴキンという嫌な音が庭に響いた。弟の体が、手足が、だらんと垂れて動かなくなった。
少女の瞳から堪えていた涙がぼろぼろと溢れる。それを満足そうに見ながら、鬼は弟を頭から食い始めた。少女は目を逸らすこともなく、弟の骸がこの世から徐々に消えていくのを眺めている。
弟の首から上が無くなった頃、少女はゆるゆると立ち上がった。回れ右をして、門扉の方へ向かう。
少女が逃げたと思った鬼は、食事に専念する。
しかし、少女はすぐに戻ってきた。その手には、鉈が握られていた。少女に似つかわしくない、大きな刃物だ。
「その子を離して……返して……体が無いと、葬式もできないじゃない……」
「ハッ!誰が返すか。ついでにお前も食ってやってもいいぞ。俺の腹の中で仲良く……」
鬼は途中で言葉を止める。腕や顎に違和感があったからだ。
確認すると、腕が無くなっていた。今まで口にしていた食事も無くなっている。さらには、側に自分の下顎が転がっていた。どうやら、口を真横に切られたらしいと気付く。
少女を見ると、四分の三程になった弟を、荒い息で抱えている。弟を抱えている方と反対側の手に握られている鉈からは、血が滴り落ちている。鬼の血だ。
油断していたとはいえ、ただの少女に切られたと気付いた鬼は、獣のような咆哮をあげた。
「貴様あ!人間のくせに!稀血ですらないのに、俺の邪魔をするな!回復に体力を使ってしまったではないか!」
怒り狂う鬼の体は、いつの間にか元通りになっていた。
少女は、どうやってこの鬼から、家族の骸を守ろうかと考える。
家族の命を奪った上に、その骸まで奪おうとする鬼に、かつてない怒りを覚え、血が沸騰しそうになっていた。
少女は一歩前に進もうとして、膝から崩れ落ちた。
頭が朦朧とし、視界に白い光が弾ける。
血を流していることも、頭に血が上っていることも、少女の体から酸素と体力を奪っていた。
少女の息がさらに荒くなり、弟を抱き締めながら蹲って背中を丸める。まるで、弟の骸を鬼から隠すように。
(せめて、亡骸だけでも……)
朦朧とする頭で考え、死を覚悟した少女。
しかし、いつまで経っても死は訪れなかった。
恐る恐る顔を上げると、詰襟を身に纏い、腰に刀を差した人間が二、三人居た。
その中の燃えるような髪の少年が、羽織を翻して、少女に向かってくる。
「大丈夫か!」
「…………これが、大丈夫に見えるなら、貴方の目は腐ってるようね」
少女は整わない息で、悪態をつく。
何が起こったのか未だにわかってはいないが、鬼が崩れかけているのが見えた。
彼らが鬼を倒したのだろう、と察することはできたが、それと同時に怒りが込み上げてきた。
彼らが鬼を倒す術を持つのなら。
もっと早く来てくれていれば。
少女の家族は誰も死ななかったかもしれない。
「お前、なんてことを!」
少女の悪態を聞いた別の人間が、少女を怒鳴り付けるが、はじめに声を掛けてきた少年がそれを止める。
「止めろ。遅れてすまない。他に生存者はいるか?」
そう聞かれて、少女は弟を抱き締める腕に力を込めた。
「居ないわよ!みんなバラバラにされた!この子なんか、胸から上が無いのよ!!」
両親も、可愛い弟妹も、皆居なくなってしまった。少女の目から、大粒の涙が溢れる。
「……止血しなければ君も死んでしまう」
そう言って伸ばされた手を、少女は力を振り絞り、払いのけた。もう生きたいとは思えないのだ。
それでも、結局二人ががりで押さえ込まれ、手当てされた。
目元以外を隠した頭巾の集団がやって来た頃には、少女は抵抗する力も無くなっていた。
「この傷、深いぞ!出血が多い!」
「胡蝶さんに連絡しろ!」
頭巾の集団が叫んでいるのが、少女には随分遠くのことのように聞こえた。
まだ僅かに人肌の温もりがある弟の、残った背中を撫でてやる。
「ごめんね……お姉ちゃん、何もできなかった……」
自分の声すらよく聞こえず、とても目蓋が重い。
少女はゆっくりと、目を閉じた。
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