(100/160)
第四章 十二
柱合会議からしばらく経ったある日。
深月は杏寿郎に話をしよう、と呼び出した。
呼び出したと言っても、家の中で声を掛け、自室に招いただけだが。
もういい加減、先延ばしにしすぎた結婚話を受けて、進めてもらおうと思ったのだ。
ただ、それには一つ問題がある。
那田蜘蛛山で鬼を庇ったことと、その後本部で柱相手に無礼を働いたことだ。
深月もここ数年で、まあまあ大人しくなった。
数年前と比べれば、杏寿郎の言うことを素直に聞くようになった。階級も上がって、外では相応しい振る舞いを心掛けている。
しかし、那田蜘蛛山や本部でのときのように、稀に大きなことをやらかす。
こんな自分を、杏寿郎はまだ結婚相手として見てくれているだろうか、と不安になったのだ。
散々待たせておいて虫のいい話ではあるが、彼に愛想を尽かされるかもしれないと想像するだけで、心臓が冷えて辛くなる。
それでも、たまにやらかす大きな反抗やへまを除けば、杏寿郎の隣に立っても恥ずかしくない自分になれたのではないか、とも思って、彼を呼び出した次第である。
深月は、目の前できっちり正座している杏寿郎の表情を伺う。
彼は、深月が話し始めるのを穏やかな笑顔で待っていた。
「あ、あの……」
いざ話そうとすると、何と言って言いかわからず、深月は言い淀む。
「えっと、あれ?……すみません、せっかくお時間頂いたのに!」
深月は真っ赤になって勢いよく頭を下げる。
杏寿郎の──炎柱の貴重な時間を割いてもらっておきながら、上手く言葉を紡げない自分が情けなくて、杏寿郎に申し訳なくて、頭を上げれない。
杏寿郎は穏やかな笑顔のまま、深月の隣に移動する。
目の前で正座をしていては、彼女が話しづらいだろうと思った。
自身の脚を崩して、彼女の顔を上げさせ、頬を寄せて頭を撫でる。
「深月。急がなくていい。君の言葉で話してくれ」
杏寿郎には、深月が何を話そうとしているか察しがついていた。
呼び出されたときも、部屋に入ったときも、今だって、深月はひどく緊張した顔をしている。
その気持ちは、杏寿郎にもよくわかる。
数年前、深月に求婚するまで何ヵ月も悩んだ。
結局、怪我で朦朧とする中、つい口にしてしまった。
深月に逃げられたときは、どうしようかと思った。
その後、深月と結婚について話をしたときも、実はかなり緊張していた。誰にも話していないが、深月から結婚を断られたら寝込む自信があった。
杏寿郎ですら、あれだけ悩んで緊張したのだ。
漸く決心してくれた深月が、緊張しないわけがない。
「俺は、ずっと深月のことが好きだ」
杏寿郎は、深月を安心させるように囁いた。
それを聞いた深月は、安心しすぎて目に涙を溜める。
「私も、ずっと杏寿郎さんのことが好きです」
「ああ」
杏寿郎が頷くと、深月の目から涙が溢れ落ちる。
涙に濡れた目で、深月は杏寿郎を見上げる。
「お待たせして、すみませんでした。その、私……」
やはり何と言っていいかわからず、深月は一瞬言い淀む。
杏寿郎の優しい瞳がじっと見つめてきて、何か言わなければと焦る。
「私を、お嫁さんにしてください」
焦った結果、出た言葉がそれだった。
その可愛らしい言葉は想定外で、杏寿郎は吹き出しそうになるのを堪えた。
今吹き出してしまっては、深月の機嫌を損ねる。
「ああ、もちろんだ!」
杏寿郎は、深月を思いっきり抱き締める。
結婚を決意してくれたのが嬉しいからではあるが、にやける顔を隠そうとしたのも確かだ。
「持てる力の全てで君の笑顔を守り抜くと誓おう」
鬼や悪意ある誰かから、という話ではない。
深月の笑顔が曇らないように、深月がいつでも幸せを感じられるように、守りたいと思った。
その言葉が嬉しくて、深月も杏寿郎を抱き締め返す。
「ありがとうございます。私も、杏寿郎さんが寂しくないよう、貴方の心をお守りします」
杏寿郎は自分なんかに守られるほど弱くはない、と深月はわかっていた。
それでも、彼の心を少しでも癒せたら、と思った。
強く正しい彼を側で支えることができたら、どんなにか幸せだろう、と。
杏寿郎はぽかんとして、彼の腕から自然と力が抜ける。
それに気付いた深月が杏寿郎から離れ、彼を見上げると、呆けた顔をしていた。
その顔が可愛く思えて、深月はふわりと微笑む。
軽く口付ければ、杏寿郎は驚いたように目を見開く。
なんとか状況に理解が追い付いた杏寿郎は、深月に尋ねる。
「俺を守ってくれるのか?」
「はい!微力ながら!」
深月が笑顔で返すと、杏寿郎も嬉しそうに目を細めた。
「微力だなんて……とても心強い。ありがとう、深月」
今度は、杏寿郎から口付ける。
何度か接吻を交わした後、お互い熱の籠った瞳で見つめ合う。
しかし、二人とも今夜は任務がある。肌を重ねている暇などない。
「杏寿郎さん」
先に言葉を発したのは、深月だった。
「あの、任務の後……いいですか?」
深月からの誘いは初めてで、嬉しくて、杏寿郎はしっかり頷いた。
*****
任務を終え、帰路の途中、深月は杏寿郎に言ったことを思い出し、一人で赤面する。
自分から誘うだなんて、はしたないことをしてしまった、と。
今更反故にはできないが、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
杏寿郎は先に帰っているだろうか、と深月が考えていると、彼女の背後から物音がした。
鬼は斬ったはずなので、隠だろうか。
何か不備があって、追い掛けてきたのだろうか。
深月は後ろを振り向く。そして、目を丸くした。
「あれ?杏寿郎さん?」
そこには、杏寿郎が居た。
太陽のような笑顔で、深月に近付いてくる。
「待ちきれなくて、来てしまった!」
「えっ……」
ここは森の中とはいえ外で、かなり離れた場所だが隠達はまだ事後処理中だ。
まさか、ここで始めるわけにはいかないだろう。
深月のその考えは甘く、杏寿郎は彼女を抱き寄せた。
表紙 目次
main TOP