ユウ様リクエスト
 

「久し振りに休みがとれそうなんだ」

電話越しで嬉しそうな声色で話すのは、私には勿体ないぐらいの彼。

「ほんと?嬉しい…!」

私みたいな平々凡々の人間がどうして彼と出会うことができたのか、そしてまた付き合うに至ったかは当人である私でさえ不思議に思える。それでも、確実に言えることは零が私のことを大切にしてくれていて、私も零が大切だと言うこと。

「あの…前に話してたお祭りって…どうかな?日付的に丁度良くて…」

零の仕事は理解している。守秘義務があるので詳しく知らないのは当然だけど、零がこの国を守りたいと思っていることや、危険と隣り合わせの仕事をしていることはそれとなく伝えられたからだ。そんな多忙を極める零と久し振りにデートできる。それだけで私は舞い上がってしまう。思わずスマホを握る手に力が入り、仕事やプライベートを書き綴った手帳を眺めては笑みを溢す。

「ああ、大丈夫。そう言えば、前に楽しそうに話してたな」

前に電話で話していたことをちゃんと記憶してくれていた。零と会うことは勿論、電話だって頻繁にできるわけではない。最後に電話したのは三週間以上前だと言うのにこうして覚えていてくれる。その柔らかな声色は電話越しで目を細めて笑う姿を安易に想像させた。

「うん、楽しみ。えっと、零も休みたいだろうから…夕方ぐらいに駅前で集合で良いかな?」

仕事続きでまともに休息をとっていないだろう零を思うと、私の我儘で一日束縛するようなことはしたくなかった。そりゃあ、丸一日独占できたら幸せだと思う。でも、零の負担にはなりたくない。面倒な女だなんて思われたくなかった。

「…いつも気遣わせて悪い」

どことなく、歯切れの悪い口ぶりに違和感を感じたが、きっと疲労がたまっているのだろう。声を聞けて、こうして約束を取り付けることが出来ただけで充分な私は、これ以上何かを求めるだなんて図々しいことはしたくなかった。

「すまない、何かあれば電話…いや、メールを送ってもらってもいいか?」

向こう側からざわざわした雰囲気が読み取れた。ハッキリと音が聞こえることはないが、零の一言目の謝罪とその言葉からは仕事が立て込んでいることがよく分かる。電話をし初めて五分と経っていないというのに、そろそろ切り上げた方が良いんじゃないかと思っていた私の予想通りの展開だ。

「うん、分かった。零もお仕事大変だろうけど、気を付けてね」

果たして私の言葉は届いたのだろうか。言い終えると同時にプツリと途切れた通話。無機質な音だけが私の鼓膜を揺らすなか、ぼんやりとそんなことを思った。



待ちに待ったお祭り当日。約束した日からこの日まで、浴衣で行くか、私服で行くかを延々と悩み続けた私は浴衣を選んでいた。普段見せることのない格好を見せたとき、零はどう反応してくれるだろうか?そんな小さな楽しみを抱きながら待ち合わせの時間に間に合うように移動する。
零の隣に並んでも恥じることのないように、派手すぎず地味すぎないメイク、髪も動画サイトを見て研究しながらセットしたし、新調した浴衣の着付けだってバッチリだ。零がプレゼントしてくれたピアスがチリリと揺れ動くのを感じ、早く時間にならないかと幼子みたいなワクワクが止まらなかった。
集合場所に指定した場所は祭会場の最寄り駅だけあって大勢の人で賑わっていた。同じような待ち合わせの人も沢山いれば、ピシッとしたスーツを着たサラリーマンだっている。暑いなか、本当にお疲れ様だ。そう思うと、今日もできる限り零を労らなくてはという使命感がわいた。

真夏だからか夕方とは言えどまだまだ明るい。祭の賑わいもあってか、空の薄暗さを感じないほど明るく思え、今が何時なのかという感覚が鈍くなる。

「………零」

喧騒のなかぽつりと呟いた言葉は誰の耳にも届くことなく散っていく。スマホに表示されている時刻は待ち合わせの時間を過ぎていているというのに、焦がれるほどの待ち人は姿を表さない。
零に何かあったんじゃないか?危険なことに巻き込まれていたら?私と零はただの恋人であって、いざというとき彼はきっと迷いなく私を守るために切り捨てる選択をとる。だからきっと、何かあったとしてもこのスマホに連絡が来ることなど無い。
安否が気になり、不安が渦巻くなか私が日時を間違えた?場所を間違えた?という更なる不安がやって来る。確認のため数日前に送信したメールを見るも間違っていない。
家族と来たり、友達と来たり、恋人と来たり。様々な人々がいるなかで、私の存在がまるで無いかのように感じた。いっそ道行く人たちが私のことを待ち惚けと嘲笑ってくれたなら、こんな不安な気持ちを抱かずに済んだかもしれない。
流石にずっもその場所に留まるには憚られ、少しずつ位置を変えながら零を待つも、気づけば屋台の明かりは消え、パカパカと点滅を繰り返す不気味な街灯が私を照らすだけになっていた。
とうとう零が待ち合わせに顔を出すことはなかった。私もまた、彼に連絡をする事が出来なかった。もしもの時、私との関係が明るみになることを何より恐れていた彼を思うと、この状況下でのメールは得策ではない。
…そんなのはただのこじつけで、本当は私がとても臆病だからなのだろう。前にも零が休みの時に、私の家でゆっくりして欲しいと思い手間隙かけて料理を作っていた時だ。ソファで読書していたはずの零が慌ただしく玄関へと駆けていき、仕事がはいった、と残し出ていった事がある。仕方ないと分かっていても、一人で食べるご飯は美味しくなかった。
あの時の感情がじわじわと滲み出てきて欲しくなくて、零の事が心配と思うことで私は私を保てる、そんな気がした。

「……ばか」

**********

やっと仕事を終え窓の外に視線をやると、朝日が顔を出し始めた。もうそんな時間なのかと思い、生活感のないしんとしたリビングに置いてあるテレビの電源をいれる。
ここ最近忙しくて時間の感覚がない。安室透としても、バーボンとしての仕事も全うしなくてはならないとなると、何一つとして取りこぼすことはできない。
ぐったりと疲弊しきった身体をスーツのままソファに沈ませぼんやりとテレビを眺めていると、女子アナウンサーが昨晩の夏祭りのVTRを紹介していた。
 
「……祭…?」
 
俺一人しかいない部屋で虚しく響く呟きにハッとして、壁に掛かったカレンダーとスマホの示す日時を交互に凝視した。しまった、そう思うと同時に飛び起きて、仕事終わりの格好のまま帰ってきたばかりの自宅を飛び出した。
白い愛車にキーを差し込み、思いきりアクセルを踏み込んで向かうは愛しい彼女の元。先程電源をいれたばかりのプライベート用のスマホを確認するも、着信もメールも何一つ残っていない。その事実に思わず舌打ちしてしまう。
名前はいつも俺を優先し、一歩どころか十歩ぐらい引いたところから俺を見ている。俺はそれが嫌だった。いや、名前にそんなことをさせてしまっているおれ自身が嫌でたまらなかった。
我儘を言わずに聞き分けの良い名前。こんな仕事なら尚更理解のある彼女として喜びたいところだが、実際に愛情をもって接している相手にそうされるのは酷く寂しいものがあった。
車を走らせる途中、待ち合わせ場所であった駅を通りすぎたが、始発前なのか人一人おらず少しだけホッとする。法廷速度を無視することになるが、更にぐっとアクセルを踏む足に力を込めた。
名前のマンションから程近いパーキングに車を停め、駆け足で彼女の住む部屋へと向かう。直々に手渡しされた合鍵をキーケースから取りだし差し込めば、カチャリと音を立てて開錠されるドア。
いつもの癖で足音を忍ばせて部屋に上がり込み、廊下の先にある部屋へと向かうが、やたらと静まり返っていてモヤモヤとする。いつも笑顔の名前に迎え入れられるこの部屋がこんなに静かなのはいつぶりなのだろう。
リビングのドアを開けると、真っ先に目に入ったのはソファに横たわる名前の姿。昨日の祭を楽しみにしていたのだろう、白い肌に良く映える臙脂の生地に白く描かれた華の柄。レトロモダンな印象を受けるそれは初めて見る姿だった。
メイクもそのままに眠ったのだろう、伏せられた瞼はアイシャドウによりキラキラしているが、頬にうっすらと残る涙の跡が彼女の気持ちを物語っており胸がぎゅうと締め付けられた。
 
「名前、名前」
 
眠っているのを起こすのは申し訳ないが、悲しみを抱いたまま眠らせるのも後味が悪く、小さくて細い肩を優しく揺すり声をかければぴくりと彩られたままの瞼が震えた。
 
「んっ…、え……れい…?」
 
とろんとした眠気を帯びた瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返し、徐々に定まっていく焦点。俺が居るのに驚いたのだろう、舌ったらずな声で発した後、小さな口をぱかりと開けたままこちらを見ていた。
 
「名前、すまない」
 
名前の座るソファの下に膝をつき、頭を下げる。膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめたままでいると、髪をそっと撫で付けられるような感触。
 
「大丈夫だよ、それよりも零が無事でよかった…何かあったのかと思っちゃった」
 
困ったように眉を下げて笑う名前。大丈夫ではないことを一生懸命繕おうとするその表情は、今までにも何回か見たことのあるものだった。
 
「お仕事…だったんだよね、仕方ないよ」
 
仕方ない、確かにそれに尽きるのかも知れないが、仕方ないことなんて無かった。何とか出来たかもしれない。少なくとも、名前が俺を待つ時間を短くすることだって出来た筈だ。
 
「私、お仕事頑張ってる零が好きなの。誇りを持ってる零が大好きなの、だから大丈夫だよ」
 
言葉とは裏腹に、今にも泣き出してしまいそうなぐらい悲しい顔を、懸命に笑みに変えようとする不器用な彼女に愛しさが込み上げると同時に、自分に失望せざるを得なかった。名前は決して俺の前で泣かない。それは暗に俺は頼るに価しないと言っているようで、つきんと胸が痛くなる。
 
「名前…、俺はそんなに頼りないか…?」

そっと白い頬に手を伸ばし、乾いてしまった涙の跡をその肌とは対照的な色の指先がなぞればぴくっと小さく肩を揺らす。
 
「そ、そんな…零はすごく頼りになるよ…?」
 
ゆらりと揺れる瞳は怯えているようにも見てとれるが、それでも真っ直ぐ俺と目を合わせたまま逸らそうとはしないようだ。つつ、となぞる指を口元まで移動させると、きゅっと目を瞑られてしまった。
 
「嘘、本当は俺のこと…どう思ってる?」
 
小さな身体を強張らせる名前との距離を縮め、耳元でそう言えば距離をとろうと抵抗する華奢な腕が力一杯俺の肩を押した。
 
「れ、っ零?どうしたの?」
 
僅かに水の膜を張る瞳に映る俺は何とも言えないぐらい顔を歪めていた。これじゃあ、名前にどうしたのと言われるわけだ。だが、俺は至って正常だ。まぁ、本音を圧し殺して辛そうにする目の前の彼女をどうやって甘やかしてやろうかと考えているくらいで。
 
「どうもしないさ、名前はいつも俺に遠慮して…何を我慢してる?」
 
図星なのだろう。パッチリとした目をカッと見開き驚きを露にする表情は、明らかに動揺していると言っているようなものだ。
名前の華奢な腕で行われた僅な抵抗はすっかり意味を無くしており、その腕を引き寄せて再び距離を詰めた俺は額に唇を寄せる。
額から瞼、瞼から鼻先、鼻先から頬と位置を変え唇を落とす度にふるりと反応を示す名前が堪らなく愛しくて、それでいて俺の頭はどうにかしてその心の内を吐露させたいと思っていた。
俺はこの先も名前といたい。俺の手をすり抜けて無くなって居なくなったものの中に彼女を加えたくなかった。それほどまでに俺は愛している。だからこそ、名前の心に負担をかけるようなことを強いたくなかった。
 
「俺は名前が好き…いいや、愛してる。だから些細なことさえも把握しておきたいし、言ってほしいって思ってる」
 
俺の子供じみた我儘だと言うことは分かっていた。そして、名前が俺のことを一等好いていてくれて、何よりも俺の意思を尊重していることなんてずっとずっと分かっていたことだ。
 
**********
 
ずるい、ずるいずるいずるい!目の前で申し訳なさそうに眉を潜めるも、その顔立ちの良さからか甘い雰囲気を醸し出す零は本当にずるい。
目を覚ましてからと言うものの、本当に処理が追い付いていないのだ。目が覚めたら零がいて、昨日のことを謝られて、いつもならそれとなく終わる話が一人でに歩き出して…。それで、零の唇が、言葉が降る度に私の心がじくじくと痛みだして、その甘さに融けだしてしまいそうになる。
だって、零が私のことを直接的に好きだとか愛してるなんて、今まで一度も言われたことがなかった。そう伝えるのはいつも私で、気がつけばそれが当たり前になっていたから。
たった一言かもしれないけど、その一言は今まで積み上げてきていた“聞き分けの良い、零の重荷にならない彼女”を崩れさせるほどに、私のなかでは衝撃的だったのだ。
 
「…っ、ふ」
 
いつも一人圧し殺して泣いていたと言うのに、一筋の涙を溢せば堰を切ったように流れ落ち始めた。不細工な泣き顔なんて見られたくなくて俯いても、零の浅黒い色をした手により阻まれた。
 
「…すまない、いつも一人で泣かせてたんだな」
 
私以上に苦しそうな零の顔が、涙で滲みぐにゃりと姿を変えていく。そんな表情をさせたかったわけではない、ああ、私が泣かなければ…そう思ったって止まってくれない涙は男らしいくせに綺麗な指先により拭われてしまう。
 
「不謹慎だけど、嬉しいんだ。我慢せずに泣いてくれることさえも、俺には初めて見る名前だから」
 
目の前の水の膜がクリアになったかと思うと、今までに見たことのないぐらいの優しい笑みを浮かべた零が映された。彼は何と言ったのだろう?嬉しい?面倒とか、重いとかじゃなくて…嬉しい?
 
「確かに仕事が忙しくて何度も約束を守れなかった…だから不満を言われたって当然だ」

「…っ、不満なんて」
 
「…それとも、俺はそれを聞き入れることが出来ないぐらい器の小さい男と思われているから何も言われないのか?」
 
ああ、どうしたらいいのだろう。今までに積もり積もった負の感情がどろどろと溶けだしてしまう。いつになく真剣な蒼い瞳が私を居抜いて離さなくて、その鋭くも甘い視線が私に吐けと言っている。
 
「っ、れ、零は器の大きな、男だもん」
 
目尻からぽろぽろと溢れる涙は相変わらず私とは対照的な手により拭われる。泣いているせいで言葉が詰まってしまうが、融けだしてしまった感情を塞き止められるほど私は強くなかった。
 
「心配、だったのは…本当…っ、でも」
 
しゃくりあげながらも言葉を探すが見つからない。今まで口にすることの無かった感情をどう言い表していいかが思い浮かばなかったからだ。それでも、零に伝えたくて必死に回らない頭で考えて、探す。
 
「っ寂しいよ…、う、ほんとは…全然平気じゃないよ…っ」
 
寂しかった。零に会えなくなることも、一人になることも、何よりもこんな感情を抱いてるのが私だけなのかと思うと寂しかった。零の事が大好きだから、愛しているからこそちっとも平気じゃなかった。
 
「でも、でもっ…仕事と私、どっちが大事なんて…怖くて聞けなかった…」
 
彼は自分の仕事を誇りに思っていて、ひいては国のため、国民のためにと働いているのにこんな質問はあんまりだと分かっていたから。そして何より、分かりきった事を天秤にかける勇気など私には無かった。
 
「…俺は、この国を守ることが名前を守ることに繋がると思ってる」
 
ふわりと私の頬を包むように添えられていた指先に、僅かにだが力がこもる感触が伝わった。

「なりたくて就いた仕事だ、大事だし誇りもあるし、責任だってある。それでも、名前の事だって大事だし、離れていることが煩わしいぐらい…好きだと思ってる」

そしてまた、零の薄い唇が私の前髪越しに押し付けられる。

「…それじゃダメか?」

ずるい。ずるい。何でそんな顔で笑うの?困ったような、不安そうな、なのにどこか照れ臭そうな。ダメなんて言えるほど、私は零に冷たくなれないと言うのに。
 
「っ、うぅ…ばか、ばかばか!ずるいよ…ダメなんて言えるわけないでしょ…!」
 
「ああ、そうだな。名前が優しくて俺に甘いことは俺が一番知ってる」
 
零のスーツのジャケットに皺が寄るのもお構いなしに握る手に力を込め、なけなしの目力で睨み付けたが、緩められたその目元のせいで効力を失ってしまう。
 
「私は…優しくなんかない、っ零に、嫌われたくなくて…聞き分けがよくて、誰よりも零を理解してるふりしてた…ずるい女なんだよっ…」
 
ああ、ついに言ってしまった。そう、私は優しくも、聞き分けが良い彼女なのでもなく、零に嫌われたくなくて、捨てられたくなくて…演じることですがり付こうとした打算的なずるい女なのだ。
 
「…それなら、俺はもっとずるい男だ」
 
自嘲的な笑みを浮かべると、目の前は同じ様な笑みを浮かべて一呼吸置く。
 
「…名前が…我慢しているのを知っていながら、それに甘えていた俺の方がずるいだろ?」
 
まさかバレているとは思わなかった。私がいつも仕方ないと言う度に微妙な表情をしていたのは、私の嘘を見抜いてのことだったと言うのか。
 
「名前が寂しかったのも、平気でいられなかったのも、全部俺のせいにして良いんだ」
 
呆けたままの私は、気がついたら零の腕の中にいて、その声をより近いところで聞かされていた。
 
「もっと我儘だって言って良いんだ、言われなきゃ俺だって善処仕様がない」
 
こつん、と屈んだ零の額が私の額と軽くぶつかり、その蒼い瞳に映し出されるのは泣き崩れたせいでぐしゃぐしゃになった私の顔。
 
「…寂しい、もっと会いたい、来れないなら別にそれで良い…でも、連絡してほしい…っ、ずっと、ずっと一緒にいたいよ…嫌われたくない、捨てられたくないよぉ…」
 
我儘を言って良い、零のその一言で箍が外れたかのように出てくる言葉。一人涙で濡らす時にぐるぐると私の頭を巡るそれを吐き出せば、慈しむかのようにふわりと零が笑ったのだ。
 
「俺が名前を捨てるわけないだろう?」
 
満足気にそう言いきるとくっついていた額を離し、私の頭を抱え込み頬を寄せる。表情は見えないが、その声色はどこか真剣味を帯びている。
 
「…この先もきっと寂しい思いをさせると思う、だから少しでも寂しくないように」
 
ぎゅうと力を込められて、一層くっつく身体。どくどくと少し早めの鼓動は私だけのものではなく、いつも余裕そうな零からも感じられた。
 
「一緒に住もう、出来る限り家に帰れるようにするから…待っててほしい」
 
視界の端で捉えた彼の柔かな髪色と、褐色の肌…その耳がほのかに赤みを帯びているように見えた。
 
「…うん、待ってる…だから、ちゃんと帰ってきてね」
 
了承したと言わんばかりに綺麗な弧を薄い唇で描き、それが私の唇と重なり合う。本当に不思議なことに、今まで隠し通そうと抱いてきていた不安や不満はその姿をすっかり消し去ってしまっていた。ただ穏やかな空気が流れる中、繰り返される触れ合うだけのキスは、零の帰る場所になれたという幸せを噛みしめるには十分すぎるほどだった。

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