「斜堂さんが幸薄そうなのはきっと運気がよくないせいですよ」
りんさんはそう言うと私の手に変な生き物が鈴を抱きしめたキーホルダーを乗せた。
「なんでしょうか、これは」
「ブタです。可愛いでしょ? 斜堂さんのは全体運が上がるんです。私のは金運。お揃いですよ」
そう言って得意げにポーチに付いた色違いのブタを見せつけてきた。
「なぜ、ブタ?」
「牧場に行ってきたんです。牧羊ブタがいるんですよ!」
「犬のまねして一緒に羊を追いかけるんです!」なんて、興奮気味に話すりんさんの話を聞きながら、昔そんな映画を観たことあるな。などとぼんやり考えた。はたしてこの人はその映画を知っているのだろうか。とも。
手に収まるブタを見る。どうやらりんさんの言う牧羊ブタがキャラクターになったのがこのキーホルダーのブタらしい。りんさんはそのブタの名前も言っていたけれど、覚えることはしなかった。
件のキーホルダーは今は律儀に車や家の鍵と共にいる。シンプルを好む自分の持ち物の中でこのファンシーな存在は異様だったし、鈴もうるさくて何度も外そうと手をかけた。しかしりんさんのお揃いだと言ったときのあの笑顔がキーホルダーのとぼけたブタの顔と重なって取ることが出来なかった。
そもそも何故あの人は自分と色違いのキーホルダなんか買ってきたのだろう。
自分は彼女が好きだ。それはもう、全く好みではないキャラクターのキーホルダーなんかを貰い、浮かれて恥ずかしげもなく素直に鍵に付けてしまうくらいに好きだった。しかしこの想いは一方通行なはずだ。本人の前ではバレないように必要以上に素っ気なく振る舞ってしまっている自覚はある。それでもりんさんは愛想良く声をかけてくれて、些か無遠慮で失礼なことを言うこともあるけれど、そんなところも実は気に入っていた。
そんな態度を取っている私がりんさんから好かれるなんて夢みたいなことはあるはずがない。百歩譲って悪くは思われていないとしてもそれは同じ職場の人間としてだろう。それなのに、どこかへ行ったお土産を買ってきてくれただけでも嬉しいのに、それが形に残るもので更にお揃いで色違いだなんて意識するなと言うのが無理だった。
とある日の夕方、帰り支度を終えたりんさんが一人で会社の廊下を歩いているのを見つけて声をかけた。
「りんさん」
緊張で上擦った声をごまかすように咳を数回する。「風邪ですか?」と心配するように見上げたりんさんに大丈夫だと伝えて、一呼吸置いた。今から自分はかなり勇気のいる行動を取ろうとしていて、本当は一呼吸なんかじゃ気持ちは落ち着かないけれど、あんまり時間をかけて怪訝に思われるのも避けたかった。
「この前のお土産ありがとうございました」
「お土産……? ああ! ブーブリーのキーホルダー」
「ブーブリー……?」
「ブタちゃんの名前です。可愛いですよね」
「偽ブランドみたいな名前ですね」
「もう。斜堂さんこの前もそんなこと言ってましたよ」
「もう」なんて口調とは裏腹にりんさんはちっとも不満げではなく楽しそうに笑っていた。そんな様子がとてつもなく可愛らしくて怯みそうになる。そんな気持ちを奮い立たせて口を開いた。
「お土産頂いたままは悪いのでお礼がしたいんです。奢るので、今日ご飯でも行きませんか」
何でもないことのように。お礼するのは当然だと言うように。顔も声色も何もかもいつも通りに告げることが出来て安心した。けれど、告げるだけで終わりではない。りんさんからの返事を聞かなくてはいけなくて、返事によっては心が砕けるかもしれないのを思いだし、緊張がぶり返した。
見下ろしたりんさんはいつもより目を大きくしていて、どうやら驚いているみたいに見えた。
「そんな。いいですよー。私が勝手に渡しただけですから」
りんさんはほんの一瞬、微かに眉間に皺を作ってから溶けるように表情を崩して首を横に振る。初めて見たりんさんの不思議な笑い方はどんな意味が込められているかわからなかったがとても新鮮だった。
遠回しに断られたけれど遠慮のような断り方は想定していたものだったし、りんさんの見慣れぬ表情が見れたことで私は少し強気になれた。
「それじゃあ私の気が晴れないんですよ。りんさんが前に話していた魚を目の前で捌いてくれる和食料理屋、私も気になっているので行きましょう」
「えっ。そんな。お礼のほうが立派すぎます!」
「そんなことは気にしなくていいから。雑誌見ながら、行きたい。行きたい。とぼやいていたじゃないですか。大人しく奢られてください」
「うう……でも」
確かにお礼の方が遙かに高く付く。りんさんだってそんなつもりでお土産を渡したんじゃないだろうから遠慮や慎みから断るのも当然だ。だけど、私はこれをなんとかチャンスにしたい。りんさんから私とは行きたくないという態度が見られないのなら引き下がりたくはなかった。
「金運のブタの効果が早速現れたと思って。金額が気になるなら別の場所だってかまいませんよ。貴女の行きたいところに行きましょう。私は和食が食べたいですけど」
そう言ってポケットに入っていたりんさんとは色違いのブタを取り出して見せた。その瞬間りんさんの「あっ」と言う声と共に目と口が驚きによって開かれた。
「キーホルダー! ちゃんと付けてくれるなんて、信じられない!」
意外そうな声と言葉だったけど確実に喜びが混じっていてそれだけで心が踊った。更にりんさんは私の手を包み込んでその中のキーホルダーをまじまじと観察し始めた。りんさんから触れられて心臓が異常なほど早く動く。そして、付けておいてよかったと心の底から思った。
「信じられないとはどういうことですか。自分で買ってきたのでしょう」
「そうですけど……でも、キーホルダーなんか今時使わないじゃないですか。しかもキャラクターの物なんか男の人は持たないし、斜堂さんは特にそんなの使うタイプに見えないし。捨てられちゃってもしょうがないかなって思ってたので、驚きました」
そっと手を離したりんさんは「使ってくれて嬉しいです」と満面の笑みを見せてくれた。
「捨てたりなんかしませんよ」
私がりんさんがくれた物を簡単に捨てるなんてできるわけがない。
しかし、りんさんのほうは捨てられても仕方ないと思った物をどうして私にくれたのだろうか。ずっと疑問に思っていた事を今なら自然な流れとして聞くことが出来そうだった。
「何故、私にキーホルダーを選んでくれたんでしょうか」
「やっぱり、迷惑でしたか?」
微かに見せた寂しげな顔をなんとかしたくて慌てて「いいえ」と否定してみせた。
「迷惑とは思ってません。頂けて嬉しかったです」
「使い道もないキーホルダーですけど」
りんさんからの明確な答えがほしいのに、質問の答えはくれずにまるではぐらかされているように笑うので焦ってしまう。
「物は関係ありませんよ。貴女が私に選んでくれたから嬉しいんです。りんさんだから、嬉しいんです」
焦れた私はついに正直に言った。自分の気持ちを包み隠さず……とは言わないまでも、りんさんへの好意を全面に出した言葉を初めて口に出した。
りんさんの顔を見るのが怖い。ご飯に誘ったときは緊張して気持ちを落ち着かせてから誘ったのに、この言葉を発したときは緊張なんか感じる前に口から出てしまい、言った後で顔は熱くなり、しかし体は小刻みに震えた。
鍵を握ったまま震える手にもう一度りんさんの手が添えられた。
「斜堂さんの特別になれたらいいなって考えて、斜堂さんと一緒のものが欲しかったんです。本当は買って満足してたから、受け取ってもらえただけでよかったんです。なのに、ちゃんと鍵に付けてくれてて、本当に嬉しいです」
ぎゅっと込められた手の力とともに掠れるような声で「嫌われてると思ってた」と言ったのが聞こえて今すぐ抱きしめたいという思いが沸いた。今がまだ会社の中であることが恨めしい。かといって個室に二人でいたとしてもそんなことができるとは思えないけれど。
結局私は何も言うことができず、嫌ってなんかいないという想いを込めてただゆるゆると首を横に振ることしかできなかった。
「ご飯お付き合いします。行きましょう」
掴んだままの手を引っ張られて手を繋いだまま二人で歩き出した。楽しげなりんさんの横顔に勇気を貰って指を組むようにつなぎ直すとりんさんが綺麗な目で見つめてきて、目が合うとさっきと同じように微かに眉間に皺を作ってから溶けるように表情を崩して微笑んだ。まだ憶測ではあるけど、おそらく彼女の嬉しいとき独特の笑い方なのだろう。きっと近い人ならよく見る笑い方で、私が近い人間になれたのだと実感した。
「付き合ってくれるのはご飯だけですか」
「斜堂さんでもそんなこと言うんですね」
りんさんは私の言葉を聞いて「ふふ」なんて堪えきれないような声を出して口元に握った手を当てた。
「りんさん。意地が悪いんじゃないですか」
「わかってますよお。ご飯だけでじゃなくて、この先の斜堂さんの人生にずっとお付き合いしていきたいです」
照れ笑いを浮かべるりんさんついに耐えられなくなって、しかし周りに人の気配が無いことを念入りに確認してりんさんと繋がっている手を引っ張りほんの数秒だけ抱きしめた。
END
20170419
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