「マリーさん。初恋って実らないって本当ですか」
りんからの予想外の質問にマリーは目をぱちぱちと瞬かせた。
事の始まりはマリーが自分の敷地内にあるガーデンテーブルに腕を枕にため息をつくりんを見つけて声をかけたことから始まった。
りんは数ヶ月ほど前に遠くから引っ越してきた離れの下宿人なのだが、引っ越してきた当初は月光町ののんびりと進む時間や壁のない人付き合いに馴染めずしばらく同じようにため息を吐き、目に見えて落ち込んでいた。
しかし案外面倒見のよいマリーや、同じ下宿人のお節介とも呼べるような親切心でりんは今では月光町の立派な一員になっていた。
そんな過去があるりんだからてっきりまた馴染めないと思い込みこの町から出ていくなんて言い出すんだろうと声をかけたマリーはまさか恋の話しに内心驚いていた。
「マリーさんの初恋はどうでしたか」
「初恋ねえ……」
マリーは小さくつぶやくと、過去に思いを馳せた。思い出すのは甘く、しかしとてもとても酸っぱい思い出で、恐らく恋を、しかも初恋をしたであろうりんに自分の初恋の経験をありのまま伝えるのははばかられた。
「私は、誰よりも教養を身につけて美しいものに囲まれて育ったのよ。初恋なんて思い出せないほどたくさんの男性に言い寄られて、それはもう貴族のお姫様のようでしたわ」
マリーの言葉を信じたりんは、ほうと息を吐き視線を溶かした。りんには若い頃の美しいマリーがパーティのような会場で男性に取り合いされる様子まで頭に浮かべることができて、尊敬や羨望が入り交じった。
そんなりんの視線を感じて騙すようなことを言ってしまった罪悪感は多少なりともあったが、りんの為と心に蓋をした。
「私もマリーさんのような淑女であったらよかったのに。それか乙女先生みたいな目を見張るような清楚な美人だったら、私も自信が出たのになあ」
テーブルから頭を持ち上げながらそう言うとりんはまたしてもため息を吐いた。
確かに淑やかであることは嗜みとして必要だとマリーは思っている。でも、マリーの目から見て今のままのでもりんは魅力的だった。
数日前りんは乙女先生に半ば無理矢理引っ張られバレエのレッスンを受けたことがあった。そこには他の下宿人や月光町の人々も集まったのだが、慣れないバレエにりんは足を挫いてそのまま派手に転び本棚に突っ込んでしまったのだった。そんなりんにみんなは慌てて駆け寄った。
怪我をして助けるのは当然だがそんな純粋な心の中に数人は隠れた下心が混じっていることを、知っている人は知っている。マリーもその知ってる人の一人だった。
そのときの様子を思い出しりんにばれないようにくすくす笑ってふとマリーは思った。そう言えば、あのときは最終的にケンさんが強引に抱き上げてそのまま病院へ連れて行ってしまったんだったわ。と。
「だ、大丈夫っすかりんさん! 俺が病院に連れて行くんで首に掴まっててください!」
りんが大丈夫だと慌てるのも周りががやがや言うのも聞かないでケンはりんを抱えて走り去っていったのだ。
マリーの中でりんへの隠れた下心をもつ人物にケンの名前は無かったのだが、たった今胸に引っかかるものを感じて思い返してみればりんに一番親身になっていたのはケンだったように思えた。
月光町を出ると言ったりんを誰より強く引き留めたのも、迷子にならないようにと町の案内を買って出たのも、りんの部屋の窓が壊れたときに直したのも、買い物に付き添うのも全てがケンだった。
マリーは考えてみた。りんがため息をつきテーブルに腕と顔をくっつけてため息を吐いていた視線の先に誰がいたのか。
しかしこれはあまりにも簡単な問題だった。なぜならマリーは見ているのだ、バイトへ行くために敷地を駆け出たケンを。
りんは確かにケンの出ていった後を目で追いかけていた。
「ケンさんに恋しているのね」
マリーの穏やかな問いにりんは頬を赤く染めた。気恥ずかしさは大きいがそれでもどこか嬉しそうなのは相談できる相手を見つけたからだろう。
「マリーさん。内緒にしててくださいね」
いつの時代もいくつになっても恋愛話は心が弾むものだ。しかもそれが傍目にうまくいくという見立てがあるものなら尚更だった。
「ええ。いいわ。女同士の秘密ね」
口元に人差し指を立てたりんを真似したマリーは少女のように笑った。
END
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