【○○が欲しい】




 会社の少し長めの休憩時間、私は敷地内のカフェテリアにいた。窓辺の隅の二人掛けの席が私のお気に入りで、外を眺めながら何も考えずにその日のオススメジュースを飲むのが好きだった。
 今日のオススメは100%オレンジジュースでとてもフレッシュだけど酸味が少し強かった。

「それ、もらってもいいかな」

 オレンジジュースの入ったコップに刺さるストローを何の気なしにいじっていたときそう言われてハッとした。雑渡さんがいつの間にか私の前に座ったことも気が付かないほどぼんやりしていた。

「あ、ごめんなさい。なんて言いました」

「それちょうだい」

 雑渡さんは私の手元を指でさしていた。彼の手元にはホットコーヒーがあるのになぜオレンジジュースを飲みたがるのか不思議ではあったけれど断る理由もなかった。

「いいですけど、ただのオレンジジュースですよ。何の変哲もない」

 どうぞ。と、コップをズリズリと差し出すと雑渡さんは嬉しそうに笑って「ありがとう」と言った。そしてコップを引き寄せストローの蛇腹を掴みそのまま持ち上げた。
 同じストローを使わない配慮してくれるのかしら。なんて考えながら眺めていると、雑渡さんはストローを伝う水滴を払いテーブルに備えてある紙ナプキンで何度か拭くと、懐からハンカチを取り出してストローを丁寧に包み当然のようにまた懐に仕舞った。
 頭が着いていかず何も言えずにいる私を余所に雑渡さんは相変わらず嬉しそうにもう一度「ありがとう」と言ってストローの無くなったコップを私の前に置いた。

「え……あれ、雑渡さん」

「ん?」

「あ、あの」

「どうしたの」

 優雅にコーヒーを飲み始めた雑渡さんは私の声にも慌てるでもなく。何かあったかい? とでも言うように首を微かに横に傾けた。あまりにも当然のように振る舞われ、私が間違ってるかのような錯覚さえ陥る。

「あの、集めてるんですか」

「うん、まあね」

「ストローならカフェの人に言えばいくらでも」

「君の口紅ついてるのが欲しかったんだよ。ずっと狙ってたんだけどやっと手に入った」

「え?」

「ん?」

 なんだかよくない予感がする。そしてその予感は間違っていないような気もする。

「ストロー収集が趣味なんですよね?」

「ストロー自体には興味ないよ」

「口紅がついたストローが重要なんですか」

「正確には君の口紅が付いた。だね」

「……集めてるのか聞いたら、まあねって言いましたよね?」

「君の使ったものを集めてるんだよ」

 ほんの少し嫌な予感がしたとは言え全体的には予想外だった答えに何と言っていいのか分からなくなった。気持ちを落ち着かせるためにオレンジジュースをコップから直接飲んでみたけど氷がごろごろしていて飲みにくかった。

「ねえ。なにか勘違いしてるかもしれないけど、変な意味じゃなくて純粋に好きだから集めてるだけだよ。君が好きだから君が使った物が私の宝物になるの。変なことに使ったりはしてない」

「す、好きって」

「本当だよ。好きだから欲しくなるの。オークションにスターの使ったタオルが出品されてたりするでしょ? それと一緒。それにさ、全部君の同意をもらってるよ」

 ペン、キーホルダー、残り少ないメモ帳、少し欠けてしまったコップ……と指折り上げていくものは確かに雑渡さんに直接欲しいと言われ、まさか集めてるとは知らずに差し出した物ばかりだった。

「非公式は嫌なの。だから許可もらった物を集めてる。隠し撮りとか盗聴とかそういうのに興味はないよ」

「私、集めることに許可はしてませんよ」

「アイドルのグッズ集めるって決めたとき本人に許可もらう?」

「……もらいません」

「でしょ」

 当然のようにそう言われ満足げに笑われて、なんだかよく分からなくなってきた。そもそも私はアイドルではないのだけれど。

「学校とかかっこいい先輩のファンクラブとかなかった?」

「私の学校にはありませんでした。多分……」

「そう。私の学校ではあったんだけどな」

 時代かな。なんて呟いて、もう一度優雅にコーヒーを飲み、それをじっと見てると爽やかに微笑まれた。

「まあ、そんな感じだよ」

「そんなって?」

「ファンクラブとかそんなの。ちなみに私の学校では私のファンクラブがあったんだよ」

「誰かが雑渡さんの使ったもの集めてたりしたんですか」

「そうだねえ。ゴミとして捨てた紙が拾われてたり、ロッカー開けられて私物を持って行かれたり色々あったよ」

「今じゃ考えられないですね」

「そう考えたら私の収集って、可愛いものじゃない?」

 「許可もらってるんだよ」と言われて少し考える。
 そうなのだろうか。本当に可愛いものだろうか。雑渡さんの体験に比べれば確かにましには思えてくるけど、でも、やっぱりストローは持って帰って欲しくなかった。

「あの、やっぱりストローはやめて欲しいんですけど」

「どうして?」

「口付けてますし、衛生的にもよくないです」

「私は気にしないんだけどなあ」

 そう不満げに言いながらも雑渡さんは懐からハンカチにくるまったストローを取り出した。
 摘んで一通り眺めると名残惜しげにため息を吐いてオレンジジュースのコップにストローを戻してくれた。

「君の口紅がついたものが欲しかったのに、やっと手に入ったのに」

 あんまりにもがっかりした様子でそんなこというものだから、私もため息が出る。あまり自分に執着されたことがないからどのように対応したらいいのかイマイチ分からない。

「そんなにリップマーク欲しいならそのシャツにでもつけてあげましょうか」

 半ば呆れと嫌みを含んだ冗談だった。だって雑渡さんが着ているシャツは高級ブランドのシャツだって私は知ってる。リップなんて付けたらそのままにするわけにもいかないし落とすのも大変だ。
 私は雑渡さんが恨めしげに「もー……」と言うくらいでこの話題は流れてくれると、そう思ったのに。

「本当に? 付けてくれるの」

「えっ……いや」

「それならここがいいな」

 今までで一番の笑顔と嬉しそうな声で「ここ」と指さしたのは心臓の少し上のあたりだった。

「ここに君がキスしてくれるの考えたらドキドキするな」

「じょ、冗談です冗談。雑渡さんのシャツ高いやつじゃないですか。知らないかもしれませんが口紅って落とすの大変なんですよ」

「落とすなんてとんでもない! 絶対落とさない。額に入れて飾るよ」

「やめてください。何考えてるんですか。とにかくしませんから」

「待って。わかった。額には入れない。とっておくだけにする。それならいい?」

「よくないです。高いシャツ汚すなんてこと私にはできません」

 ダメだ。頭が痛くなってきた。雑渡さんに好かれていることは嬉しいという気持ちが正直なところではあったけど、こんな状態はいただけない。
 とりあえず色々なことを一人になってちゃんと考えたいと思い立ち上がると雑渡さんはしゅんとしたような表情を見せた。

「君が言ったのに、ここに付けてくれるって。なのに、ぬか喜びさせるなんてひどい」

「う……」

「純粋な男心を弄ぶなんて残酷だ」

 なんで私が悪いみたいになっているんだろう。そもそも私が怒ったっていいくらいじゃないのかな。
 座ったままの雑渡さんは私を見上げて眉をハの字にし、目まで潤ませている。どこか演技がかって見えるとは言え大の大人で上司である男がこんなに残念そうにしているのを見るとなんだか無碍にできないし、頭ごなしに怒る気にもなれなかった。

「わかりました。他になにかいい案はありませんか。シャツ以外の」

「お願い聞いてくれるの? んー……じゃあ、首に直接キスマークを」

「却下。もう話は二度と聞きません」

「えー! ちょっと待ってよ。シャツ汚すの嫌って言うから、なにも汚れない方法考えたのに」

「問答無用です。ちょっと、着いてこないでくださいよ」

「休憩時間まだ残ってるんだからもっとお喋りしようよ」

 歩き出した私を追って横に立った雑渡さんを横目に見ると、なんとも締まりのない顔をしていて「向こうの池のところ散歩しようか」なんて呑気に敷地内の池がある広場の方を指差した。
 最初から普通に食事にでも誘ってくれていたら素直に喜べたんだろうな。なんて考えながら雑渡さんの言う散歩にしょうがない体でお供することにした。


END


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