大きな手櫛(クザン)


「リンちゃん髪ぼさぼさだけど、どうしたの?」

どうやら硬い長椅子で居眠りをしてしまったみたいだ。
腰が痛い。
机に片肘をついてぼうっとしていると、クザン大将に声をかけられた。
それにしっかりとした返事ができるほど、頭は覚醒していなくてあーだかうーだか、そんな声しかだせなかった。

「あらあら、リンちゃんお疲れなのかな?」

未だにぼうっとしている私の髪の毛を梳かすように頭を撫でながら、長椅子の空いたスペースに腰を下ろした。

「珍しいね、リンちゃんがサボるなんて」

「サボったわけじゃ…」

「あ、喋った」

サボったわけじゃない、この人の仕事のしわ寄せや尻拭いに駆けずり回って、気が付いたら眠ってしまっていただけ。
そう考えると、こののん気な大将の様子に腹が立ってくる。

「調子よくないの? 俺が看病してあげようか」

「間に合ってます…」

まだ頭を撫で続ける大将の腕を、失礼にならない程度に振り払いぐっと背中を伸ばした。
仕事を再開しなきゃ、ヘタしたら今日は泊まりになってしまうかもしれない。

「へえ、なんか聞き流せない言葉だね」

「え」

「間に合ってるってなに? そういう相手が…リンちゃんを優しく看病してくれる相手がいるって言うの?」

「あの、私仕事」

「逃げる気?」

立ち上がろうと腰を上げた途端、肘を掴まれた。
大将の鋭い視線と、握るように肘に食い込む指が痛くて、逃げるように腕を引くと私の力なんかよりも更に強く引っ張られた。

「大将っ」

「リンちゃん誰? その相手俺に教えて」

「ちょっと、痛いです!」

「俺上司でしょ? 部下のそういうの把握しておきたいな」

初めて向けられる怒気を含んだ目が怖い。
逃げたいのに、逃げようともがけばもがくほど、どんどん大将の方に引き寄せられる。

「痛い痛いっ………いないですよ! そんな人、居ないです!」

「………」

怒りを含んでいた目は疑いの眼差しに変わった。
それも、限りなく信じていない方の。
それでも、肘を掴む手の力は少し和らいだ。

「俺から逃げたいから、でたらめ言うの? リンちゃんそんな悪い子だったの?」

「でたらめじゃないです。本当に………大体こんなに忙しくてそんな相手ができると思いますか!」

「できるよ。リンちゃん魅力的だもん」

思いがけない褒め言葉に顔が熱くなった。
誤魔化すように咳払いをして「いません」と呟くと大将は2、3回頭を掻いた。

「でも、さっき間に合ってるって言ったじゃない」

「言いましたけど、そういう意味じゃなくて。看病はいらないって言いたかったんです」

「紛らわしいな」

大将の手から腕を引き抜くと、肘には見事な指の痕が付いていた。

「あちゃー。痛そうだね」

「痛かったですよ」

「ごめんね。でも、俺のものって感じがいいね」

本当に痛かったし、怖かったけれど「リンちゃんは俺のもの」と、私の肘を撫でる大将が嬉しそうで、咎める気が無くなってしまった。

「大将、私仕事に取り掛からないと」

「色気がないねぇ、リンちゃんは」

「なくていいです。大将が仕事しないから、私今日帰れないかもしれないんです」

「あ、今日は帰りたくないって言ってみて?」

「言いません。仕事してください」

「ちぇ」

子供のように口を尖らせた大将が腰を重そうにして立ち上がったかと思うと、そのまま私の髪の毛をさっきと同じ様に梳かしてくれた。
されるがまま大将を見上げると、穏やかな表情を向けらた。

「んーしょうがないから仕事しますか。またリンちゃんが髪を乱してぼうっとしてる色っぽい姿が見られるかもしれないしね」

「冗談は」

「冗談なんかじゃないよ。リンちゃんが大好きなの」

同じ目の高さまで腰を屈めた大将。
無意識に引いた体を押さえられて、軽く唇を合わせられた。
そっと離れた顔を唖然と見つめると悪戯な笑顔を見せた。

「えへ、奪っちゃった。これで仕事頑張れるよー。終わったら飲みに行こう」

私の返事も聞かないで、大将は手を振って行ってしまった。

大将が今日の分を今日中に終わらせるなんて無理だと思っていたのに、その日の終業時刻を少し過ぎたときに現れた大将に担がれて、行きつけらしい飲み屋さんに着替える暇もなく連れてこられたのだった。

「これからも、一緒にいっぱい出かけようね」

そんな大将の言葉に素直に頷いてしまったのは、お酒だけのせいではないんだろうなと、頭を撫でられる大きな手の気持ちよさに思ったのだった。



END

20111116

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