拍手夢2(副官夢主)



 私は今、随分とはっきりした夢を見ているようだ。今日はちゃんと自室の布団に入って寝た記憶があるのに、おそらく満寵殿の屋敷の中を歩いている。おそらくというのは、見覚えのある光景なのに、全体的に全てが大きく見えて、更にそれを見る目線がぐっと下がっているから別の景色に見えるのだ。不思議な光景ではあるけど、慣れた場所だからよくわかる廊下を四足歩行で軽やかに進んでいく。視界に入る脚は茶色の毛で覆われていて、一歩の歩幅がとても小さい。そう、私は今、杏の姿になっている夢を見ているのだ。それこそ最初は驚いたけど、こんな不思議なこと起こるはずもないから、すぐに夢だとわかった。ならば夢から覚めるまで杏の姿のまま楽しもうと思い、屋敷内を歩き回っているところだ。広い廊下はゆっくりと歩いてみたり、女官など人がいる所は走ってすり抜けてみたり、屋根の上に登って歩いてみたりと、人間の姿の時にはできないことを楽しんだ。屋根を伝って歩いていると、また見覚えのある庭にたどり着いた。満寵殿の部屋から見える庭だ。そうするとこの下には満寵殿がいるのかもしれない。気付かれないように覗いてみたいという気持ちが湧いてきたから、屋根からそっと顔を出してみた。あかりに灯された部屋の中には満寵殿らしき人物がいるようだけど、手だけしか見えなくて、はっきりと満寵殿だとわからなかったから、もう少しだけ身を乗り出して中の方を覗こうとした。その時、身を乗り出しすぎたのか足元が滑ってしまい、屋根から落ちてしまった。やばいと思ったけど、さすが猫の体と言うべきか、体が自然と反転して着地できる体勢になりかけた。はずなのに、地面すれすれのところで手足が出なくて、そのままお腹からべしゃっと落ちてしまった。猫は体が柔らかいからさほど痛みはなかったけど、驚きの方が増している。中身が私のせいで杏の体を上手に使いこなせていないのか、それとも杏の身体能力があまり高くないのか。少しだけ呆然としながら立ち上がったら、部屋から満寵殿が出てきた。やばいと思ったけど、その時には前脚の部分に手を入れられ、ひょいと抱き上げられる。前脚の付け根の所に手を入れられているから、前脚から下が無防備にだらんと伸び切った状態だ。

「何かが落ちてきたと思ったけど、杏だったんだね。最近綺麗に着地できていないけど、ちょっと太ったせいなんじゃないかな」

 満寵殿はそう言うと、お腹に顔をうずめてきた。突然の行動にびっくりしすぎて声が漏れる。その時に人間としての声が出てしまったらどうしようかと思ったけど、聞こえてきた自分の声は「にゃん!」という杏の声だった。これで杏の中身が私だと気付かれずに済みそうだ。それにしても満寵殿はしばらく顔を離すつもりはないのか、ずっとお腹に顔をうずめてゆっくりと深呼吸をしている。くすぐったいし、いくら杏の姿と言えどもこの状況はとても恥ずかしい。だけど私には抵抗する術がわからなかったから、「にゃーーー」と長く鳴いて止めてほしいと主張した。

「今日はよく鳴くね」

 満寵殿はやっと顔を離すと、そのまま私を抱きかかえて元の場所に戻り、自分の脚の上に私を下ろした。背中をゆっくりと撫でているのは、ここに座れということなのだろうか。満寵殿の脚の上なんて座ったことなかったから、何となく恥ずかしくて降りようとしたら、満寵殿からどきっとするような言葉が出てきた。

「今日はやけに逃げたがるけど、まるで彼女みたいだね」

 彼女というのはたまに屋敷に来る私の副官のあの子だよ。と名前も言われて、全身の毛が逆だった。言い方的には気付かれてはいないと思うけど、名前を出されたことにびっくりしてしまった。満寵殿は固まった私の背中をとんとんと叩いた。いつもの杏がどのように満寵殿と接しているのかわからないから、無闇に逃げ出さない方が良いのかもしれない。そもそもこれは夢なんだから、何も心配する必要なんてないはずだ。恥ずかしさは残っていたけど、私は今杏なんだと言い聞かせて、満寵殿の脚の上で体を丸めた。満寵殿は満足したのか、背中を叩いていた手を頭の方に移動させて、耳の裏辺りをかりかりと撫で始めた。それがとても気持ち良くて、すっと目が細くなる。喉からも自然にごろごろという音が鳴り始めた。暫くその気持ち良さを堪能していたら、満寵殿の笑い声が聞こえてきた。

「彼女もこれくらい気を許してくれたらいいのにな」

 また名前が出てきたからどきっとして尻尾で満寵殿の腕を叩いてしまった。叩くといっても所詮猫の力だから、満寵殿は気にせずに耳の後ろを撫で続けている。

「私としてはもっと彼女に甘えてもらいたいんだけど、彼女の性格的に無理だろうな。その恥ずかしがりな所がかわいいんだけどね」

 落ち着いていた心臓の音がまた早くなってきた。夢のはずなのに、やけに現実的だった。満寵殿に触れられる感触や、声、全てが実際にそうされているかのような感覚だ。あまりにも現実的すぎるせいで、満寵殿の言葉も本音のように聞こえて、恥ずかしくなってきた。満寵殿は私のことをそんな風に思っていたのだろうか。甘えたい気持ちもないわけじゃないけど、それよりも恥ずかしさの方が勝ってしまって満寵殿の腕から反射的に逃げてしまうのだ。次からはちょっとだけその恥ずかしさに耐えて満寵殿に応えてみようかな。満寵殿の手を感じながらそう考えていたら、段々と眠くなってきて、頭がかくんと落ちた。

「眠くなってきたのかい?いいよ、ゆっくりおやすみ」

 満寵殿はそう言うと、次に眉間の辺りを優しく撫で始めた。それがとても気持ち良くて、段々と意識も遠のいていった。夢の中の出来事だけど、恥ずかしさもありつつも幸せな夢だった。次に起きた時にはちゃんと人間の姿に戻っている事を願って、静かに眠りについた。



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