エニグマの星
今日も相変わらず調子がいいらしい。卓上に放り出された札束を茶封筒に入れる彼の後ろ姿を見ていた。今ここにいるのは、帰った客の飲みかけのコップを片付けるマスターと、先程まで傀を観察していた安永さんと、もはや定位置となったソファでくつろいでいた私の三人のみである。
「名前さん」
もうそろそろ帰ろうかと立ち上がろうとしたところで彼から声をかけられた。傀が人の名前を呼ぶところなんてあまり見かけない――そもそも、彼はあまり喋らない――ので、返事の声が少し裏返ってしまった。
「な、何よ。何か用?」
「この後、一緒にどうです」
一緒に?何を?あの傀と?
頭の中が疑問で埋め尽くされる。人嫌いで謎めいている彼がまさか人を誘ってどこかに行くなんて。あの安永さんもあまりの衝撃にタバコを床に落としてしまいそうになっていた。
「どこか高レートの店にでも行くつもりなの?」
「……」
歩幅が大きいのか歩調が速いのか、置いてかれそうになりながらなんとか彼について行く。店を出てから少し歩いたところでタクシーを捕まえ、三駅ほど先のところにある繁華街までやって来た。その間も彼は一言も発さずタバコを吸っていた。
深夜の酔っ払いだらけの街に似合わない男だ。すました顔で通りを歩く彼は、
今の流行りではないその黒ずくめの服装のスタイリッシュさのせいかまるで貴族のようで、隣を歩く私はきっと使用人か何かに見えているのだろう。
「いらっしゃいませ」
裏通りのなんだか怪しげなバーに入る。こんなところに来ても、私たちは何も飲み食いできないというのに。
「こんなところに呼び出して、どうしたの?」
「子供のあなたにいろいろと紹介しようかと」
「だから、私は子供じゃない!」
私をからかっているのか、素で言っているのか分からない。私は傀にふさわしくなるために努力しているのに。これではいつまでも子供扱いのままだ。
私はバーテンダーが作った酒を覗いた。小麦色というのだろうか。匂いはなんだか消毒液のようだった。横の彼はその氷をからからと回したあとで、ほんの少しだけ口に含んだ。私は急いで彼の腕を掴んだ。
「馬鹿っ!何してるの!?」
「……まだ気づきませんか?」
慌てる私を見下ろす彼は、店内の照明のせいかいつにも増して綺麗だった。彼のような者を妖麗と呼ぶのか。
店内を見渡してみる。生気のない男、やたら髪の長い不気味な女、そして私を見て、何かを知っているかのようにニヤリと笑ったバーテンダー。
「なるほどね。招かれざる者の店ってこと」
人の真似をして、必要のない飲食をするためのお店だ。
「お転婆なあなたが大人になるには、経験が必要でしょう」
もう大人だもん。その子供じみた台詞はお酒と共に飲み込んだ。喉の奥がつんと熱くなるような痛みが、私を幾らか、彼に相応しい女に近づけてくれたような気がした。
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