恋人まであと少し
ジキル練習。
君を意識し始めたのは、何時からだろうか。
そんな事を思うようになって、早くも数日が経っている。それは甘くも自分勝手な感情であり、種火や素材集めのクエストに声が掛からなくなった理由なんて薄々感付いてはいた。
「はあ……」
種火集めに行くという彼女の姿を遠目に見送り、自室へと向かいながらジキルはため息をついた。
「今日も聞けなかったな……」
<ruby><rb>また</rb><rp>(</rp><rt>・・</rt><rp>)</rp></ruby>聞けなかったのではない事は、重々承知している。何度も彼女と挨拶を交わしているし、一人で居る姿も見かけている。未だ理由を聞けずにいるのは、単に自分の勇気の無さが原因である。だが、聞くに聞けない話でもあった。もし、万が一彼女が自分を避けているのだとしたら。
(いや、彼女に限ってそんな事は……)
十分にあり得る話である。もう一人の自分。未だ完全に制御仕切れていないハイドの存在。それが、これまで彼女にどれだけ迷惑をかけたか。彼女を傷付け、怯えさせ、悲しませたか。
(分かってる……これは、本来抱いてはいけない気持ちなんだ。僕のわがままなんて……)
距離を置くべきは自分の方なのに。それでも笑って傍に居てくれる彼女に甘え、いつしか恋心を抱いてしまった。僕とも、ハイドとも真っ直ぐに向き合える彼女のひたむきさに、笑ったり泣いたり、感情豊かな表情に、憧れてしまった。
(傍に居たい、なんて……また君を傷付けてしまうかもしれないのに……)
だから、今は彼女が他のサーヴァントの育成に忙しいだけだと。そう思うようにしている。彼女は人類にとって最後のマスターだ。こんな状況だからこそ、一人だけの存在では無いのだ。
「マスター……」
「はい!あ、呼びました?」
「うわあ!」
どれほど廊下に立ち尽くしていたのだろう。ぼんやりとそんな後悔を連ねていたら、無意識に彼女の名前を呟いていたらしい。背後から聞こえた彼女の声に肩が跳ねる。慌てて振り向けば、不思議そうにこちらを見る彼女の姿が思ったよりも近くにあった。
「ごめんごめん、驚かすつもりじゃなかったんだけど。声かけようかなって思ったら呼ばれた気がして……」
「あ、いや、僕の方こそごめん。ちょっと、考え事に集中していたみたいだ。」
僕は何をやっているのだろうか。こんな事では、いざという時に彼女を守ることすら出来ないだろう。背後に居たのが敵だったらどうするのか。サーヴァント失格も良いところだ。
「何か心配ごと?」
「ううん、大した事じゃないんだ。」
「ほんとに?」
疑問を浮かべながら、彼女が視線を向けてくる。ああ、今は顔を見ないで欲しい。つい、視線を泳がせてしまう。
「何か気になることとかあったら言ってね?」
「うん、ありがとうマスター。ところで、僕に何か用だったのかな?」
「え、うん、まあ……」
咄嗟に疑問を返してしまったが、上手く僕の事に関しては流せたようだ。しかし、今度は彼女の方が気まずそうに視線を泳がせている。
「ジキル、今……時間、あるかな?」
「それは……大丈夫だけど。種火集めに出るんじゃなかったのかい?」
「見てたの?ま、まあ、それは大丈夫……というかおじゃんになったっていうか……」
大方、集まったサーヴァント達が騒いで一度解散になったのだろう。血気盛んな者も居れば、すぐ喧嘩になる者も居る。ここには、本当にいろんなサーヴァント達が集まっているから。
「それで、僕に用というのは?」
「う、うん。ついてきてくれる?」
そう言って歩き始めた彼女に続けば、案内されたのは彼女のマイルームであった。ここに足を運ぶのも、もうどれほどぶりだろうか。
彼女がロックを解除すれば、認証を示す電子音が響きドアが開く。空気が入れ替わるように揺れ、ふわりと甘い香りが中から漂ってきた。
「と、とりあえず適当に座ってくれる?今お茶入れるから……」
「あ、うん。」
なんと歯切れの悪い返答か。マスターは気にしていないのか、パタパタとマイルームに備え付けられたキッチンの方へと去っていく。返事をしてしまったのもあり、とりあえずいつものようにベッドの淵に腰掛ける。久しぶりだからか、変な緊張を感じた。
「ごめん、お待たせ!」
そう言って彼女が戻って来るのに、そう時間は掛からなかった。サイドテーブルに、二客のティーカップと手作りのクッキーが並べられる。
「これは……君が?」
「うん。よく分かったね。ジキルと話す時って、いっつも紅茶飲むでしょ?だから、紅茶に合うお菓子を作ってみたいなぁと思って。最近練習してたの。」
どうかな、と言って彼女が照れ臭そうに笑みを浮かべる。その表情に、自分が安堵しているのが分かった。
ココアとプレーンの合わさったそれは、不慣れを語る割りに凝っていて彼女らしい。口に運べば、さくりと心地好い食感とともに、程好い甘さが口一杯に広がる。
「おいしい……」
「ほんと!?良かったぁ。だいぶマシになったかなーとは思ったけど、やっぱり気になって……」
「そんなに心配しなくてもいいと思うよ。甘さも食感も凄く良い。僕は好きだな。」
彼女の頬が真っ赤に染まるのを見て、僕は漸く何を言ったか理解した。話の流れからクッキーが、というのは彼女も分かっているだろう。それでもそんな反応されれば僕もどうすれば良いのか迷うわけで。
「クッキーが、だよね。うん、ありがと!」
「う、うん。もう一枚貰っても良いかな?」
「ど、どーぞどーぞ!」
それだけではない、と。そう言えたら、きっと楽なのかもしれない。ふと、そんな考えが頭を過る。でも、それを言ってしまえば彼女を困らせるだけだから。
「でも、安心した。最近ジキル元気ないように見えたから心配だったんだけど。カルデアで会うことも減っちゃって、食べて貰えるかなーとか不安だったんだけど。ジキルがジキルで安心した。」
「これ、僕のために……?」
「うん、そうだよ。ジキルと一緒に食べたくて作ったの。というか、そうじゃなきゃこんな慣れないことやろうとしないって。」
この想いは秘めておこうと、そう思った矢先なのに。どうして彼女はこうも決意を揺るがすのだろう。自分でも甘いと思う。だけど――
「ありがとう、マスター。」
「どういたしまして!」
それでも、良いのかもしれない。